聖女様は断罪間際の令嬢になりました

虎依カケル

第1話 すべてを奪われた日


「伯爵令嬢、ヴィオラ。おまえを国外追放とする!」


 貴族たちが集まる城で、第二王子の声が響き渡る。金髪碧眼の王子の隣には、ミルクティーのような淡く、緩やかなウェーブのかかった髪を持ち、金色の瞳を持った聖女、アイリーン。


「聖女アイリーンを害した。その罪は大きい。この罪を簡単に償えると思うな!」


 第二王子エルヴィスはアイリーンの肩を抱いて、こちらを睨んだ。


「即刻この国から出ていけ!」


 人々の視線を集めているのは伯爵令嬢ヴィオラ。紺色の髪を持つ彼女は、髪と同じ色をした瞳で彼らの方を見た。


「どうして……」


 震えるのをおさえながらも発した声には、動揺が帯びている。


「……どうして、そこにあたしがいるのですか?」


 ヴィオラの視線の先には、聖女アイリーンが立っている。アイリーンは驚いたように大きく目を開くと、不敵な笑みを浮かべた。


「何をおっしゃっているか、わかりませんわ。あたしの名前はアイリーン。間違っても、伯爵令嬢でも、ヴィオラという名前でもありませんわ」


 アイリーンは絡みつくように、エルヴィスの腕を抱き、首をかしげる。


「エルヴィス様。ヴィオラ様はどうやら、混乱のあまり、ご自分がどなたかもわからなくなっているようです」


 ヴィオラは首を振り、大きな声で言う。


「違います! あたしがアイリーン! この国の聖女よ!」


 彼女の言葉に周りの人々は冷ややかな目でこちらを見ている。その目は聖女として過ごしてきた中で、浴びたことのないものだった。


 ……どうして、こんなことに。


 彼女はぐっと唇を噛んで考える。

 ヴィオラ……いや、アイリーンはこのようなことになるまでの過程を思い出した。




 アイリーンは、聖女として生まれ育ってきた。前の聖女であった母親がそうであったように、彼女もまた特別な力を持っていた。

 そのため、アイリーンはこの国で大切に育てられてきた。聖女として人望が厚く、何より心優しい性格は人々に好かれた。

 だが、伯爵令嬢のヴィオラはアイリーンのことを目の敵にしていた。


「どうして、あなたとわたくしとでは、こんなにも扱いが違うのよ!」


 彼女の母親はアイリーンの母親の姉。つまり、アイリーンとヴィオラは従姉妹同士であった。伯爵家に嫁いだ母親の子の自分と、聖女として国を挙げて大切にされているアイリーンとの違いにいつも文句を言っていた。


「もし、わたくしの母が聖女であったなら! このわたくしが聖女として祭り上げられていたはず! それなのに、どうして!」


 ヴィオラはそう言いながら、アイリーンに魔術で危害を加えた。


「許さない! あなたのもの、すべてをあなたから取り上げてやるわ! 見てなさい!」


 ヴィオラはそう喚きながら、兵士に取り押さえられて、連れていかれた。

 この出来事に王をはじめ、アイリーンと関係の深い者たちは怒った。その中でも一番憤慨していたのは婚約者である第二王子エルヴィスだった。


「アイリーンに手を出すなど、許されるはずがない! 国外追放するべきだ!」


 ヴィオラはこれまで、さまざまなことをアイリーンにしてきた。アイリーン本人が罪に問わないでほしいと言ってきたからこそ、今まで見逃されていた。だが、今回ばかりはエルヴィスの怒りを抑えることができなかった。


「アイリーン。君の気持ちはわかる。だが、もう私は限界なのだ」


 エルヴィスはアイリーンを抱きしめる。その手は震えていた。


「……私はもう耐えられない。許してくれ」


 アイリーンはその言葉を聞いて、うなずいた。


「わかりました。あなたの思うようにしてください」


 エルヴィスは断罪の場を設けた。そして、彼の隣に立ち、ヴィオラの断罪を一緒に見届けるはずだった。

 ……ヴィオラと体が入れ替わるまでは。



 紺色の髪に白い肌。ヴィオラの好む紫のドレス。それを身につけているのは自分だった。そして、目の前には聖女アイリーンが立っている。


「ヴィオラ様があたしとご自身の体を入れ替えたのです……。そうでなければ、こんなこと……」

「そんなこと、ありえるはずがないでしょう? 何より、証拠がありませんわ」


 笑みを浮かべるヴィオラをキッと睨む。それを見て、彼女はぎゅっとエルヴィスの腕に抱きついた。


「怖いですわ、エルヴィス様」

「ヴィオラ。愚かな発言をしているのをわかっているのか。罪から逃れたいとはいえ、そんなふざけたことを言うではない!」


 エルヴィスから冷たい視線を向けられる。それを見て、悟った。

 ……本当に、すべてを取り上げたのだ。名前も体も立場も……エルヴィスさえも。


「……あたしは、嘘を言っておりません」


 アイリーンは背筋を伸ばし、まっすぐ彼らを見据える。


「証拠がないのなら、見つけましょう。それができれば、認めてくださいますか」


 先ほどまでの動揺を隠し、目を向けてくるアイリーンにエルヴィスは目を彷徨わせた。


「そんなこと、許すはずがないだろう。馬鹿なことを言わず、早くここから出ていけ!」


 エルヴィスが杖を手に持ち、魔力を流す。杖から炎が発され、こちらに襲い掛かった。アイリーンはすぐさま聖女の力を使い、その攻撃を防ごうとした。


「どうして……っ」


 だが、力が発動しない。このまま焼かれてしまうのかと目を閉じたとき、シャンッと鈴の音が聞こえた。

 目の前に透明な盾ができて、攻撃が防がれる。何が起きたのかと思っていると、後ろから声が聞こえた。


「殿下、お待ちいただけますか?」


 低く、落ち着いた声が響く。声のした方を向けば、ローブを着た男性が立っていた。鈴の付いた大きな杖を手に持ち、ローブをマントのようにたなびかせ、ゆっくりとこちらに歩んでくる。銀色の長い髪を持ち、眼鏡をかけた男性はアイリーンの隣に立つ。


「ハロルド。いったいどうしたというのだ」


 エルヴィスは男性の方に目を向ける。男性……魔術師団長のハロルドはニコリと微笑む。彼はこの国で一番魔力が強く、悪魔の魔術師と呼ばれている。魔術のために悪魔と契約したのではないかという噂が流れているほどに強い魔術師だ。そんな彼がアイリーンのそばに立った。


「黒魔術の可能性を見逃してはいないでしょうか」


 その言葉に、周りの者たちが騒めく。エルヴィスは大きく目を開き、手を振った。


「黒魔術だったとしたら、大罪だ! ヴィオラがそこまでの罪を背負っていると言うのか!」

「はい。他者の体と魂を入れ替えることができるのであれば、黒魔術以外に方法がございません」


 ハロルドはそう言って、目を細めてエルヴィスの隣にいる聖女を見る。


「つまり、アイリーン様とヴィオラが入れ替わっている可能性がまったくないとは言えないということです」

「だが、黒魔術などそう簡単に……」

「殿下」


 ハロルドは声を低くして言う。


「もし、これが黒魔術であったなら、見逃しては国として傷がつくことになりかねませんが、よろしいのでしょうか」


 彼は腰を落とし、礼の姿勢を取って笑む。


「私が調査をいたします。お許しいただけますか?」

「もし、証拠がなかったらどうするつもりだ」


 エルヴィスはただでは許さないぞと言わんばかりに睨む。ハロルドはその視線を受けて、不敵な笑みを浮かべた。


「もちろん、処分を受けましょう。そうですね。彼女と共に国外追放でいかがでしょうか」

「……どうして、そこまでするのだ」


 エルヴィスは信じられないというように首を振る。

 ハロルドはチラリとこちらに目を向けた。眩しそうに目を細めると、エルヴィスの方へ視線を向ける。


「欲しいものがあるのです。とても欲しくて、たまらないものが。もし、入れ替わりを証明できたなら、私の欲しいものを一つ、いただくことは可能でしょうか」

「欲しいもの?」

「はい。私では決して手に入らないものです。殿下がお持ちですから。それを譲っていただきたいのです」


 エルヴィスはハロルドの申し出を受け、フンッと鼻を鳴らす。


「かまわん。調査をしてみろ」


 王子の許可を得て、ハロルドはニッコリと微笑んだ。


「ありがとうございます。では、ヴィオラは私の方で預からせていただきます」

「何だと?」

「もし、彼女が本当にアイリーンなのであれば、身の潔白を晴らすべく、私の調査の手伝いをしてくれるでしょう。もしそうでないのならば、逃げないように見張る必要があります。今から黒魔術に手を出すことを防ぐことも可能です」


 エルヴィスは納得していないようだった。だが、隣の聖女が不安そうに腕にしがみついているのを見て、決心をしたように顔を上げた。


「好きにすればいい。どうせ、無駄なのだから」


 エルヴィスは隣にいる者がアイリーンだと信じているらしい。仲睦まじい様子を見せつけられ、アイリーンは思わず顔を下げてしまう。


「アイリーン様」


 こちらに手が差し出される。ゆっくりと視線を上げると、それはハロルドのものだった。


「行きましょう」


 唯一、この場で自分のことを信じてくれている人。信じてくれるのであれば……自分も彼を信じてみたい。

 その手をそっと取る。それを見て、彼は笑みを浮かべながらうなずく。


「大丈夫です。私は信じておりますから」


 優しく手に触れられ、アイリーンは頬を緩めた。


「……ありがとうございます」


 ゆっくりと息を吸い、顔を上げる。そして、真正面からエルヴィスとヴィオラを見た。


「失礼いたします」


 もう、下を向くのはやめよう。

 アイリーンはハロルドに手を引かれながら、二人に背を向けて歩きはじめた。

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