音痴を理由に婚約破棄されました。~ところで、あなたと婚約した記憶がないのですが?~

夕藤さわな

第1話

「ソリメノ国第三王女、エリノア・リー・ソリメノ。あなたとの婚約を破棄させていただく」


 一年で最もフリーリア国がにぎわう創国祭。

 その前夜に行われるパーティでそれは起こった。


「婚約破棄、ですか」


「あなたのような音痴が我がフリーリア国の王妃にふさわしいはずがない! 我がフリーリア国の王妃にふさわしいのは女神シーガのように身も心も歌声も美しく、我が国を心から愛する女性! そう、ここにいる稀代の歌姫、ラウラ・ディ・シナー嬢こそが最もふさわしい!」


 王座が置かれた壇上から婚約破棄を宣言したのはフリーリア国王子、ミカル・マリア・フリーリア。金髪碧眼の王子様然とした、十八才になったばかりの美少年だ。

 ミカルに肩を抱かれて隣に寄り添うのはこれまた金髪碧眼の、十八才になったばかりの美少女。フリーリア国の歌姫として幼い頃より王都の神殿で育ったラウラ・ディ・シナー嬢だ。


 そして、たった今、公衆の面前で婚約破棄を言い渡されたのが月の光のような銀色の髪に紫水晶アメジストのような瞳をした二十一才の美女、エリノア・リー・ソリメノ。

 フリーリア国とは良好な関係とは言いがたい……どころか、一触即発状態のソリメノ国から一年前にやってきたソリメノ国第三王女。現国王と、兄姉である王子王女たちからの溺愛を一身に受けて育ったソリメノ国の末の娘、末の妹でもある。


 ミカルはエリノアを睨みつけ、ラウラは不安げな表情でミカルとエリノアの顔を交互に見つめ――。


「少々、音程やリズムがズレる程度で音痴だなんて大げさな、とは思いますが」


「あれを〝少々、音程やリズムがズレる程度〟で済ますな!」


「わたくしは一向に構いません。ミカル様との婚約破棄、つつしんでお受けいたします」


「おい、人の話を聞け! 〝少々、音程やリズムがズレる程度〟ではなく〝騒音も土下座で謝罪するレベルの音痴〟に訂正しろ!」


 エリノアはと言えば、あっけらかんとした調子で婚約破棄を受け入れ、にこりと微笑んだ。


 創国祭には各国の賓客ひんきゃくを招くが前夜に行われるこのパーティにはフリーリア国内の王侯貴族しか参加しない。後ろ盾となっているフリーリア国現国王も病により今日は不在。

 完全アウェイの中――。


「そんな大げさな。それに女神シーガに捧げる歌で重要なのは込めた想い、込めた愛です。上手い下手は重要ではありませんわ」


 エリノアは壇上のミカルを見上げてにっこりと微笑んで平然と言ってのけた。


 女神シーガの歌には愛が宿る。そして、愛は奇跡を起こす力となる。女神シーガの歌と愛と奇跡は女神シーガを信じ、敬い、仕える者に与えられる。女神シーガの歌と愛と奇跡によってこの世界は生まれ、〝私たち〟はこの世界に生まれ落ち、生かされてきた。


 だから、この世界では多くの国や人が女神シーガを信仰している。あちこちに女神シーガをまつる神殿があるし、その神殿では歌の上手い少女を貴賤の別なく集めて歌姫として育てている。

 フリーリア国も、エリノアの祖国であるソリメノ国も例外ではない。

 貴族の令嬢ともなれば歌唱力は必須。一国の王女、王妃ともなれば神殿の歌姫と比べても遜色そんしょくのない歌唱力を身につけているのが当然とされてきたが――。


「あなたは一国の王女であり、いずれは王妃になる身でありながらとんでもない音痴! しかもこの国に来たその日に恥ずかしげもなく、なんなら胸を張って、そのとんでも音痴を披露してみせたではないか! 淑女の風上にも置けない厚顔無恥な女が我がフリーリア国の国母になどふさわしいはずがない!」


「あら、ツラの皮の厚さとメンタルの強さは一国の王女、王妃の必携品ひっけいひんでしてよ」


「いけしゃあしゃあと悪びれることもなく即座にそういう返しができる時点で淑女の必携品である可愛げというものが欠けているように思えるのだが!?」


「あら、やだ。フリーリア国こちらに来てから一年、婚約者様にずっと放っておかれた寂しさから補充するのをすっかり忘れてしまっていたようですわ。ごめんあそばせ」


「ク……ッソ! ツラの皮が厚いしメンタルが強い!」


 ほほに手を当ててにっこりと小首をかしげるエリノアを前にミカルは美しい金色の髪をかきむしった。

 ミカルとエリノアのやり取りをパーティ会場にいるフリーリア国の王侯貴族たちは冷めた表情で見つめている。ミカルの突然の婚約破棄宣言をいさめる者もいない。そもそも長年、敵対しているソリメノ国第三王女のエリノアが次期王妃として王宮に迎え入れられたことを快く思っていない者ばかり。

 さらにフリーリア国は――ソリメノ国もなのだが――好戦的な性質の者が多い。ここでエリノアに何かあってソリメノ国と戦うことになっても一向に構わない、なんならそちらの方が都合がいいと思っている者がほとんどなのだ。


「ミカル様からすればわたくしは音痴で可愛げのない女で、婚約破棄もいたしかたないのかもしれません」


「あの音痴具合を個人の好みの問題レベルで語るな!」


 睨み付けるミカルとパーティ会場の雰囲気にエリノアは悲し気に目を伏せた。

 でも――。


「それをわかった上で一つ、お聞きしたいのです」


 すぐに顔をあげると壇上のミカルを見上げた。


「そもそもわたくし、ミカル様と婚約した記憶がないのですが?」


 そう尋ねてエリノアはちょこんと小首を傾げた。そんなエリノアを見下ろしてミカルはフン! と鼻を鳴らす。


「我がフリーリア国とソリメノ国が交わした婚約に関する誓約書には〝婚約する両名とはフリーリア国の次期国王とソリメノ国の第三王女である〟と記されている」


「ええ、確かに。よく覚えております。ですが、フリーリア国の次期国王はあの方・・・……クラウディオ・ルイジ・フリーリア。ミカル様のお兄様のはずでしてよ?」


 さらりと銀色の髪を揺らしてエリノアは反対方向にちょこんと小首を傾げた。そんなエリノアを見下ろしてミカルは冷ややかな表情で言う。


「そのクラウディオ兄様が死んだと、昨夜、知らせが入ったのだ」


 ミカルの言葉を咀嚼そしゃくして、呑み込んで――。


「クラウディオ様が……死んだ……?」


 エリノアは呆然と呟いた。


「あなたの祖国、ソリメノから我が国に帰ってくる途中でのことだったらしい。橋を渡っている時に落馬し、川に落ち、そのまま……」


「そんな……」


「現国王である父は病床にせっている。いつ、どうなってもおかしくない状況だ。次期国王の座を一瞬でも空席にするわけにはいかない。だから、ひとまず私が次期国王の座に就く。そして――」


 ミカルは隣に立つラウラの肩を改めて抱き寄せてエリノアを睨みつけた。


「次期国王としてあなたとの婚約は破棄し、ラウラ・ディ・シナー嬢と婚約する。あなたには即刻、この国を出てソリメノ国に帰っていただく」


 婚約者の――クラウディオの死を受け入れられずに呆然としていたエリノアだったが、ミカルの言葉にハッと顔をあげた。


「即刻、ですか? クラウディオ様の葬礼が終わるまで……せめてクラウディオ様のお姿を一目見るまでこの国に居させてもらえませんか? あの方が死んだだなんてこの目で見るまで信じられません!」


「ダメだ」


「王宮を出て行けと言うのでしたら宿を探します! だから、せめてクラウディオ様のお姿を見るまではこの国に……!」


「兄様の御遺体は捜索中だ。いつ見つかるかも、見つかるかどうかすらもわからない。兄様が見つかるまで、などと言っていつまでもあなたに居られては迷惑だ」


 婚約破棄に婚約者の死、さらには即刻の帰国を命じられてエリノアの頭はすっかり混乱していた。額を押さえてうつむき、それでもすぐに顔をあげるとミカルを真っ直ぐに見つめた。


「でしたら、せめて父にわたくしが帰国することを知らせてから……了承の返事があるまでは待っていただけませんか。知らせもないまま国境を越えたりしたら……」


 フリーリア国もだがエリノアの祖国ソリメノも、大方、フリーリア国派かソリメノ国派かに分かれる近隣諸国も好戦的な性質の者が多い。

 それでも、ここ二年ほど平穏が保たれていたのはクラウディオとエリノアの婚約があったからだ。クラウディオがフリーリア国内部を、末の娘可愛さにソリメノ国現国王がソリメノ国内部を抑えこんでいたからだ。

 エリノアからの説明もフォローもないまま、エリノアが婚約破棄された、フリーリア国を追い出されたと父の耳に入れば開戦は必至。抑えつけて無理矢理に保っていた平穏だ。いざ、戦争が始まれば反動で近隣諸国を巻き込んでの大戦になる。


「クラウディオ様がこの一年、次期国王という身でありながらフリーリア国を留守にし、婚約者のわたくしをほったらかして何をなさっていたか、ミカル様もご存知でしょう?」


「国をけることと、たかが婚約者風情ふぜいのご自分がほったらかされたことを同列に語るな、厚かましい!」


「和平交渉の席に就いてもらうために近隣諸国を説得してまわっていたんです! この平穏を壊さないために! 嘘偽りのないものにするために! このままではクラウディオ様の努力が無駄になってしまいます!」


「私のツッコミをいともあざやかに聞き流すなというツッコミも聞き流されるのだから呑み込むとして! その努力自体がいらぬ努力だと言っているのだ」


 悲痛な表情で訴えるエリノアを冷ややかに見下ろしてミカルは吐き捨てるように言う。ミカルの言葉に違和感を覚えてエリノアは眉をひそめた。

 でも――。


「和平交渉なんて腰抜けがすることだ。我が国には優秀な兵士も優秀な歌姫もいる。兄様自身も武勇に優れた方だ。昔の兄様だったら和平交渉なんて考えもしなかったはずだ」


「まさか……!」


 違和感の理由に気が付いてみるみるうちに青ざめた。


「あなたに出会って兄様は変わってしまった。フリーリア国の次期国王としてふさわしくない振る舞いばかりするようになった。今回の和平交渉もあのお姿・・・・もフリーリア国の次期国王にふさわしくない! 兄様らしくない!」


「だから、クラウディオ様を亡き者にしたのですか!?」


 エリノアに睨みつけられてミカルはフン! と鼻を鳴らした。否定しないミカルにエリノアはますます目をつりあげる。


「和平交渉なんて腰抜けがすることだからと、王としてふさわしくないからと、そんなくだらない理由でクラウディオ様の命を奪い、クラウディオ様の努力と意志を踏みにじり、平穏な日々を壊すのですか! クラウディオ様が守ろうとしたこの国と民を危険にさらすのですか!」


 まくし立てて肩で息をするエリノアをミカルも、フリーリア国の王侯貴族たちも冷ややかな目で見つめている。同じことを祖国ソリメノや近隣諸国の王侯貴族たちに訴えても同じような反応が返ってくるだろう。

 エリノアを溺愛する父や兄姉たちですらおとぎ話を語る幼い子供を見るような目で微笑むだけ。まともに話を聞いてくれたのはクラウディオだけだった。最愛の婚約者だけだった。


 でも、そのクラウディオはもういないのだ。


「…………」


 エリノアの体から力が抜け、目から光が消えるのを見てミカルはフン! と鼻を鳴らした。


「どうせ、ソリメノ国との戦争を始めるつもりなんだ。我が国から出て行かないというのであれば強制的にお帰りいただくのみ。首から上だけのお帰りになるが、な」


 ミカルの目配せに警備兵たちはエリノアを取り囲んだ。兵士でありながら貧相な体つきの警備兵たちが迫るのをエリノアは無表情のまま眺めた。


「ミカル様、お命までは……!」


 歌姫ラウラがあわてて制止の声をあげたがミカルも警備兵も耳を貸さない。


「ソリメノの魔女め。……死ね!」


 ミカルの声を合図に警備兵たちの輪が縮まる。槍が自身の喉に迫るのを見てもエリノアは無表情のまま。

 でも――。


「お前たち、私の婚約者に何をしている」


 パーティ会場に響いた聞き慣れた声にエリノアの紫色の瞳が宝石のように輝き出した。

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