八発の凶弾
@wlm6223
八発の凶弾
「弾はいくつ欲しい?」
「一発。自殺用だから」
「そういう訳にはいかないんだよ。レンコンじゃないんだから。一つのカートリッジに八発入ってる。それでいいか」
「ああ。充分だ。で、いくらだ?」
「百五十万」
「ずいぶん高いな」
「おいおい、ネットか何かの知識を鵜呑みにしてないか。こっちだって色々諸経費がかかってるんだ」
「分かった。現金でいいんだな」
「物分かりがいいな」
「で、いつ用意できる?」
「二三週間後。こちらから電話する」
「分かった」
「じゃ、そういうことで。しかし、堅気にしてはやけに物分かりがいいな。ハジキとかチャカとか三十八歳別嬪さん子持ち六人とか、半可通なことを言ってきたらこの話はなかったことにする積もりだったんだがな」
「こっちはまるで素人だからね。誤魔化したってすぐボロが出る。だったら最初から素直に堅気の言葉を使った方がいいと思ってね」
「なるほど。根が正直者にできてるのか。じゃあ、免許証のコピーとか名刺とかも全くの本物?」
「ああ。本物だよ」
「しかし、一般人がそんな物をおれにほいほい渡しちゃって少しは警戒しないのか?」
「ああ。どのみち近いうちに自殺するんだ。今更誰に何を知られようと構うようなもんじゃない」
「そうか。腹は括ってるのか」
「うん。もう娑婆苦とはおさらばしたい」
「そんな言い方すんなよ。あんたが何を見てきて聞いてきたか知らんが、そんなに世の中悪いもんじゃないよ」
「半グレに説教されるとは思わなかった」
「失礼。それじゃあこの辺で」
「電話待ってる。よろしく」
道介とその半グレの一員はファミレスを後にした。
晩秋だった。
×
道介は今年で四十二になる。男の厄年だ。厄年とはいえ道介は今、人生の頂点に立っているといってよかった。世代的にも現役ばりばりの脂の乗った、仕事をこなす真っ盛りの年齢だ。ちょうど世間を動かしている、世の中でもっとも活躍できる年齢だ。
道介は東京理科大卒業後、大手通信関連会社に入社した。仕事は大して面白いものではなかった。
入社三年目で仲間を募って独立。SEの派遣会社を興した。
これが大いに当たった。
三十前にして道介の年収は一千万を超え、仕事も順調に続いていった。
時折、年齢が若いこともあり舐められることもあったが、そういった輩を吹き飛ばして事業を拡大して行った。
四十を過ぎた頃には従業員数も千五百人になり、会社の売上げも一千億を超えた。
まさに順風満帆の社会人生活だった。
しかし、道介は闇を抱えていた。
その闇の原因は道介が育った家庭環境にある。
道介の実家は東京都江戸川区のボロアパートだった。
道介の実家は貧しかった。貧困家庭のくせに道介の父は車の趣味があった。
二年に一度は高級外車に乗り換え、「このあたりでこんなのに乗ってるのはおれだけだ」と自慢気に語り、週末にはその愛車の洗浄を趣味にしていた。BMW、ベンツ。ジャガー――大体そんな車に乗り換えていた。
道介の父の趣味にはゴルフもあった。
週末の朝早くから出かけて夕方には自慢の高級車に乗って帰宅してくる。顔が真っ黒に日焼けし、道楽に興じている様を隠しもしなかった。
どうして道介の父がそんな金のかかる趣味ができたのかというと、道介の父もまた零細企業の社長だったからだ。事業は茶碗・食器類の卸売り販売だ。
顧客には街の喫茶店から大手ホテルチェーンまで種々雑多だった。
当時子供だった道介は「社長業は儲かるんだ」という意識を植え付けられた。
しかし、一家の家計は火の車だった。
道介の家にはシャワーがなかった。電子レンジがなかった。DVDデッキがなかった。パソコンがなかった。
それらは当時から普通の家庭に普及していたのに、そういった父の興味の範疇外の物には一切の出費をしなかったのだ。
思えば道介は家族で外食した記憶がない。
そんな食費さえ抑えて父の趣味に収入があてがわれていたのだ。
何故そんな父を道介の母は何の小言も注意もしなかったかと言えば、その原因の一つに母が古いタイプの人間だったこともある。
妻は三歩下がって夫に尽くす。そういうタイプの人間だった。
それに加え、母方の親戚は皆とっくに死んでおり、母には「家を出て行く。実家に戻る」という選択肢がなかったのだ。母は生活苦の忍従にひたすら耐えていた。
そんなことから両親は不仲だった。今で言うDVもしょっちゅうあった。
だが道介は可愛がられて育った。
その可愛がり方は子供を養育しているものというより、愛玩動物を可愛がるのと等しかった。
即ち、子供の教育というものには一向無関心だった。
道介は塾に通うこともなく、将来の展望を持たされることもなく、近所の公立中学・公立高校を卒業した。
中学生ともなれば多少ではあるが世間の知見というものが知れてくる。
そこで道介は自分の家庭が他の家庭とは異質で歪であり、浪費家の父・何事も受け身の母の異様な姿をしていることを知った。
ここから早く抜け出さなくてならない。
中学生の道介はそう考えるようになっていた。
道介にとって家庭は憩いの場でもなく安息の場でもない。ただ父の子供じみた暴虐の場でしかなかったのだ。
道介の両親にとって道介の大学進学は意外なことだった。両親はてっきり高卒で就職するものだと決め込んでいたのだった。
道介を自宅から離さず、自分たちの老後は道介の稼ぎと年金で賄われる。そう思い込んでいたのだった。
早くここから抜け出さなければ。自分の将来がこの腐った両親の世話に自分の人生が食い潰されてしまう。道介はそう考えるようになっていた。
中学・高校と道介は勉学に勤しんだ。それは若いうちから独立しないと、この歪んだ親子関係を断ち切れないと踏んだからだ。
道介が高校を卒業する頃、進路相談で「進学」と聞かされて、道介の両親は驚いた。しかも奨学金を得て道介が一人暮らしをするというのである。道介の両親は道介が就職してそのサラリーを生活費の足しにする算段だったのだ。
当然一悶着あった。だが最終的に学校側の説得もあり道介の両親は道介の進学を認めさせられた。
大学入学後、道介の生活は至って真面目なものだった。
昼間は大学の授業を受け、夕方から夜までは宅配便の倉庫で荷物の仕分けのアルバイトに勤しんだ。バイトが終わると荻窪の安アパートに帰って寝入った。
道介が荻窪を生活の場に選んだのは、もう東京二十三区東部の生活苦の染み込んだ空気に触れたくなかったからだ。荒川を超え隅田川を超え、皇居を過ぎ去り新宿を超えると、もうそこには貧困と生活臭の薄い世界だった。道介にとっては別天地のように思われた。道介は自分に染み込んだ貧生活の腐臭をきれいさっぱり洗い流したかったのだ。
大学生となった道介は演劇クラブに所属して素人俳優として板の上に立ちたかったが、それは結局時間的に叶わなかった。
道介は大学を卒業するまでは貧困に喘いでいたが、就職すると懐具合は一変した。
なんせ今が最盛期の通信業界である。初任給からして他業種よりかなりよかった。
道介は二年で奨学金を返済した。それからは全くの自由だった。単に金銭的に自由であっただけではなく、時間的にも精神的にも自由だった。
その清々しさはより道介を快活にさせた。
そして仲間と独立。以後のことは前述の通り全く成功者の人生を歩んでいった。
慣れ親しんだ荻窪の地に新築のマンションの一室を買って一人で住んだ。
道介にも結婚のチャンスは四回あった。だがそれらを全て断っていた。
道介は結婚生活が怖かったのだ。
道介にとって家庭は安らぎの場ではなく諍いと歪な人間関係の場でしかなかったからだ。これは実家で経験した嫌な思いの呪いでもあった。
DVを受けた子供はDVを振るう親になる。ネグレクトを受けた子供は自分の子供をネグレクトする。
そういう暴力の連鎖というものを道介は知っていたからだ。
自分には親となる資格がない。子供との接し方を知らない。道介はそう考えていた。
だから家庭を持ちたくない。即ち結婚しないという道を選んでいた。
道介の周囲の人間は大体三十になる手前か四十になる手前で結婚していた。その二つの区切り目が概ね世間での結婚適齢期なのだ。
道介も結婚を考える相手がいなかった訳ではなかったが、相手が結婚を意識し始めるとすげなく交際を絶った。変に相手に結婚の希望を求められる間際、道介は自分が結婚する積もりはない、ときっぱりと言い切った。その理由も余すところなく語った。自分は良い父の例を知らない。良い夫の例を知らない。良い家庭の例を知らない。だから良い結婚生活を送れる見込みがない。
そう言って交際相手と手を切ってきたのだ。
道介は一人でいることを好んだ。それは人格形成に重要な最初の人間関係、家庭での父母との人間関係の形成に失敗したからだった。
表面では良き隣人になれたが、個々人のプライバシーにまで触れることを道介は恐れた。
道介は人間が怖いのだ。
一皮剥けば何が出てくるか分からない。傲慢・怯懦・怠惰・強欲・欺瞞・言葉の暴力――そういったものを道介は恐れていたのだ。
会社員であれば、勤務中、それらに出くわすことはない。ただし、それはあくまで社屋内での勤務時間中でのことだ。
いったん社屋を離れてしまえば、誰がどう豹変するか分かったものではない。だから道介は社員たちに対して極力勤務時間外での接触を避けていた。その代わり、勤務時間中には手厚い保護と少々厳しい指示を出していた。
道介の会社はIT関連企業らしく渋谷にあった。
道介の通勤路は中央線で新宿へ出て山手線で渋谷駅へ出ることになる。
この途中乗換駅に新宿があることが道介に魔を差した。
新宿は言わずと知れた夜の歓楽街だ。そこには様々な誘惑が待っている。
渋谷の街はどちらかと言えば若者の街だ。近隣の住民が多いと言うより遠方からわざわざ渋谷に来る者が多いようである。みな東京の風が気に入って遠方からも来ているのだろう。要するに渋谷は地に足のついた者が少ないように道介には思われた。
しかし新宿も似たようなところがあるものの、すぐ近くに安い住宅街もあり街ゆく人の年齢も多種多様である。道介にとってはそれが快かった。道介にとって、新宿の方がより都会の中心部であり、本物の東京の繁華街を感じられた。
だから仕事明けに一杯飲む時などは渋谷ではなく新宿で途中下車することが多かった。
道介に馴染みの店はない。新宿にはそれこそ星の数ほど飲食店がある。毎日通っても全ての店を訪れるのは到底無理だろう。それもまた道介のお気に入りだった。
どこへ行っても一見の客、その他大勢の中に紛れ込むことができる。その程度の人間関係が道介にはちょうどよかったのだ。
バーでの行きずりの客。行きずりの会話。行きずりの別れ――それが道介の求める人間関係にうまく合致したのだ。
道介の人生は上手く陋巷から脱出して極一般的な、それでいて金銭面では恵まれた環境に馴染んでいった。
道介ももう四十を超えた。大昔であれば「人生長くて五十年」と言われてきたのを思い出した。もう生涯の後半を迎えようとする人生の哀惜を感じ始めていた頃だった。
あと道介に残された人生は長く見積もって三十年か四十年だ。そのうちの最後の十年くらいは体を壊し、認知能力も低下すると予想される。健康寿命を考えると、まともな人生はあと長くて二三十年といったところだ。
三十年――それは道介には長すぎる後半生だった。今の仕事にはそこそこ満足している。生活に余裕もある。時間もある程度自由に使える。若い頃に道介が理想としていた生活を手に入れることができたと言っていいだろう。これ以上を望むのは贅沢すぎた。
しかし、ネットスラングで「無敵の人」というのがある。何も失うものがない、社会的にもはぐれ者で犯罪を犯しても失うものがない人間の事だ。それは正しく自分のことだと道介は思った。
加えて道介は自分の将来に漠然とした不安を抱えていた。
自分の会社が潰れてしまうのではないか。誰かに乗っ取られてしまうのではないか。自分の資産をどう守っていけばよいのか。将来の自分の介護は誰がやってくれるのか。癌になったらどうしようか……無敵の人であっても不安や恐怖は消え去らないのだ。
道介は自分の将来を思い描くと、上手くいけば創業者社長から会長・相談役としての道があった。しかし、それが本当に自分のやりたいことであるのか疑問に思った。
思い返せば道介には趣味らしい趣味はなかった。
大学時代に演劇の道を囓ってみようとしたきり、これといった趣味趣向といったものがなかった。
道介が遊びに興じるような心理的余裕を持たせなかったのは、貧苦の恐怖から抜け出したい、もっと普通の真っ当な人生を歩みたいという一念からであった。
だがその真っ当な人生を歩んでみると、得も言われぬ憂欝、拭き取りがたい倦怠の日々を送ることになった。
自分は本当は何がしたかったのだろう?
道介はそう自問すると答えは出てこなかった。
貧乏の倦怠、家庭の恐怖から逃れたい一心だけではなかったか。そういったネガティブなものを遠ざけるのに腐心し、もっとポジティブな、自分の人生を昇華させることには全くの無関心だったことに気付いた。
虚しい――これが四十二歳の経済的な成功者の本音だった。
そこで近づいてくるのが甘い死の誘惑である。
戦時中の日本では、戦死は劇的で崇高な華々しいものであった。現代では死は忌避されるが、往事の日本では武士の時代より死はある場合において名誉であり正義であり潔さでもあったのだ。
道介もこの命に対する価値観の変化を朧気に分かっていた。
篠田鉱造著「明治百話」によると、明治時代になって人の命の重みが急に重くなったそうである。
果たしてそれは本当なのであろうか。
今日の日本人の自殺者は約三万人と道介は聞いたことがある。三万人である。収容人数でいえば武道館二個分だ。それだけの人数が毎年自らの手で自分を殺めているのである。
幸か不幸か、道介の周囲に自殺者もしくは自殺未遂者はいなかった。だから自殺者の、自殺へ至る道程もその後の処理のことも知らない。
しかし一つ道介にいえることは死は恐れ怯える対象ではなくなっていたことだ。
今の道介の生活が後の数十年続き、そして死の時が来ても、ただ高齢により順番が回ってきたとしか思わないだろう。いや、それ以前に道介は病苦に苛まれるのを非常に嫌った。加えて老化により今までできていた事ができなくなる方が恐怖だった。
だったら五体満足で健康なうちに自ら死を選ぶのも悪くはないと道介は思った。
ビルから飛び降り? いや、今時のビルは屋上にかなり背の高い柵が張り巡らせてあるから無理だ。
中央線に飛び込む? 他の乗客に迷惑だ。
服薬自殺? どんな藪医者でも致死量の処方などする筈がない。
腕の静脈を切って入浴? 痛いのやだよ。
ガス吸引? そこまで耐えられる自信がない。
もっと簡単で確実に死ねる方法を考えてみた。何より自殺に失敗して後遺症が残るのを恐れているのもあった。
それが銃による頭部を打ち抜く、という方法だった。
問題は日本では非常に銃が入手し辛い点だ。
逆を言えば、なんとかして銃を手にできれば自殺は簡単なのだ。
道介は今すぐの自殺を考えている訳ではなかったが、いざという時のために銃を入手しておくのも悪くはないと考えた。
そこで向かったのが新宿歌舞伎町だ。
夜の街であちこちの飲み屋の店主に「銃を買いたいんだが」と聞いて回ったが、怪訝な顔をされるか、逆に「通報するぞ」と脅されてしまった。
歌舞伎町も大分「浄化」されているようである。
道介はそう言い払われながらも自分の名刺を店に置いて回っていった。
ある日、「あなたの買い物をお手伝いできますよ」と若い男の声で電話がかかってきた。
「銃が手に入るのか」
「直に言わないで下さい。ただあなたのお望みの買い物のお手伝いならできまいよ、って話です」
「どうすればいい?」
「電話ではなんですから直接お会いできませんか」
「日時と場所を指定してくれ」
男は今週木曜日の午後十時、中野のファミレスを指定した。
「分かった。金はいくら用意すればいい?」「いや、今すぐって訳にはいきませんから、まずはお話だけ伺いますんで」
「ところであんたは何者なんだ」
「ええ。暴力団ではありませんからご心配なく」
「いわゆる半グレってやつか?」
「大体そんなところです」
「そうか」
「それでは準備については後日」
「分かった」
電話が切れた。
×
その半グレとの面会は呆気ないものだった。その男は三十歳前後に見えた。中肉中背。髪も黒のままで服装もTシャツにジャケットといったIT業界の創業者のような服装だった。道介が想像していた半グレの印象とは大分違っていた。
男は現金で百五十万を要求し、二三週間で手に入ると言ってきた。この金額が妥当なものなのか判断できなかったが高値であることは間違いなかった。
しかし、自殺者にとっては金額の多寡などどうでもよかった。偽物ではなく、ちゃんと動作する銃であれば何でもよかった。できればリボルバー式、通称レンコンの方が構造が単純なためその方が良かったのだが、「レンコンではない」とのことだったので、何式か分からないが何かしらのオートマチック式の銃なのだろう。
実のところ、道介が銃を手にするのは初めてではない。
五年ほど前、アメリカのマイアミ観光で射撃場へ寄ったことがあるのだ。そのときは確かDesert Eagleというハンドガンを使ったと覚えている。初めての銃で興奮を覚えたが、実際手にしてみると予想外に軽かった。実際に撃ってみてもイヤーマフをしていたせいか、射撃音もそれほど大きく感じなかった。
銃の扱いは思っていたよりあっさりした印象しかなかった。
しかしここは日本だ。警察の許可なく銃を持っていれば違法だ。ましてや闇で銃の取引など言うまでもなく御法度だ。
しかし道介は自分が犯罪に手を染め始めているという実感は殆どなかった。なんせ自殺用に銃を買うのである。暴力団の抗争ではない。他者に銃口を向ける積もりもない。だから合法だとは言えないが、道介のような用途であれば罪の意識はかなり薄い。誰だって赤信号を無視して横断歩道を渡ったことがある。道介はその程度にしか考えていなかった。
道介は仕事の合間を縫って銀行へ行き、現金五十万円を引き出した。引き落としの限度額が一日で五十万円なのであとの二回は別日に家の近所の銀行窓口から、もう一回は新宿の窓口から日にちを跨いで引き落とした。
道介は早速ネット通販でショルダーホルスターを購入した。二千九百八十円。銃が非合法であるのにホルスターが廉価で手軽に購入できることに道介は皮肉を感じた。どうもサバイバルゲーム用らしい。注文して二日後にホルスターが届いた。早速開梱して着用してみた。ベルトの長さを調節して一丁上がり。あとは半グレからの連絡を待つのみだった。
中野のファミレスでの面会から十五日後、例の半グレから電話が来た。
今度は高円寺のファミレスへ午後九時に来い、との事だった。
この半グレはどうも中央線沿線が好みらしい。
道介は指定された通りにファミレスに着いた。午後八時四十分だった。
半グレはまだ店に着いていないらしく、道介は夕飯にハンバーグとライスを注文した。
注文した料理が配膳されるのと同時に半グレが来た。
半グレは道介が何の緊張感もなく勢いよく夕食を楽しむ姿をみて呆れたようだった。
「一体何の積もりだ? 大事な取引の時に」
「この時間に食事を注文しないと却ってあやしまれるだろ」
咄嗟に方便が口をついた。
時間が時間だけに店内はかなり混み合っている。客の出入りも多いのでその流れに乗ってしまえば非合法な取引の場に使われているのも気付かれないだろう。
「頼まれたものは持ってきたから」
半グレはテーブルの下から家電量販店の紙袋を道介の方へ押し出した。
道介も鞄の中から五十万円分の封筒三つを半グレに渡した。銀行の封筒そのままだった。
半グレは封筒の中の一万円札を数えていった。
道介の食事が終わる頃、半グレは「確かにいただきました」とだけ言った。
道介は足下の紙袋の中を見ようとした。
「ちょっと待った。こんなところで確認するなよ」
半グレがそう言うと確かにその通りだと道介は思い、紙袋をそのままにしておいた。
「それと安全装置が付いてないから扱いには気を付けてくれよ。それじゃおれはこれで」
「なんか食っていったらどうだ? 奢るよ」「いや。いらない。せいぜい天国へ行けるようお祈りしろよ」
「おう。ありがとう」
半グレは初冬の夜の闇に立ち去った。
×
道介は半グレから貰った紙袋と仕事用鞄をもってファミレスを後にした。持ち物が二つになったので夜の中央線では邪魔になった。
帰宅して部屋着に着替えて早速銃を検めた。
半グレのくれた紙袋には大小二つの物が入っていた。
大きい方は銃だった。
銃は映画で見るような茶色の油紙に包まれているのではなく、油の染み込んだタオルで巻かれ、更に透明なビニール袋で巻かれていた。
道介は二つの包装を解くと、銃と弾が入ったマガジンが出てきた。
どちらも油でべとべとだった。おそらく湿気対策でそうしていると予想された。
道介は銃とマガジンにへばりついた油をトイレットペーパーできれいに拭き取り、スマホで銃の写真を撮って画像検索してみた。
トカレフTT-33と出た。
WikipediaでトカレフTT-33の項目を読んでみた。
八連装。安全装置なし。道介の知りたい情報はこれだけで充分だった。
道介はしげしげと銃を見回した。確かに安全装置と思われる物は付いていない。
ずいぶん物騒な仕様だなと思ったが要は引き金さえ引かなければ暴発もしないということだ。
自殺を考えるものにとって、この仕様は適切だった。
万一躊躇っても引き金を引いてしまえばそれでお陀仏。道介にはそれが潔く感じた。
ホルスターを身につけて銃を差し込んでみた。
その上にいつもの仕事用のジャケットを羽織ってみる。
ちょっとした膨らみはあったが銃を隠し持っているようには見えなかった。
これでいつでもどこででも死ねる。
それが道介に何か安堵を与えた。
ホルスターから銃を取り出してマガジンを装填してみた。そしてまたホルスターへ入れてみた。以外な事に銃の重さが実感できた。
準備は整った。だがこれで全て終わりではない。
道介は銃を寝室のサイドデスクに置き、ホルスターを脱いでシャワーを浴びた。
バスルームから出てくると、そこは全く以前と変わらない日常があった。
夕食は済ませているので早々に寝ることにした。また明日から仕事があるのだ。
寝室にはさっき置いた銃があった。
何故かいつでも楽に死ねると思うと不思議な安心感があった。
道介はベッドに潜り込み銃を横目に眠りについた。
×
その週の土曜日の朝、道介は午前四時に目覚まし時計に起こされた。
今日は先日入手したばかりの銃の試験発砲の日と決めていたのだ。
道介は愛車レクサスに乗って立川を目指した。
冬の始まりの朝はまだ誰も目覚めておらず、空もまだ陽を帯びていなかった。
立川に着いたあたりから空は茜色と夜の色とが混じり合い、ようやく朝の到来を感じさせた。
道介は立川から多摩川へと向かった。
多摩川と中央線が交差する中央本線多摩川橋梁が目的地だ。
道介はカーナビに従って車を進め、国道二十九号から一歩入った小道に駐車した。
このあたりの多摩川河川敷は道らしい道もなく、橋梁へ向かうのに生い茂った野原をかき分けながら進むしかなかった。川沿いという事もあり寒風がきつかった。
なんとか橋梁まで辿り着くと中央線が走り過ぎるまで待つしかなくなった。
多摩川に用があるならわざわざ立川まで来ないで、二子玉か狛江あたりの方が便利なのだが、なんせ実弾の射撃試験なのだ。少しでも人目を避けたかったし、そんな目立つ場所に弾痕を作りたくなかったのだ。
それにしてもとにかく寒い。川沿いで遮蔽物がなく、初冬の朝の風は冷え切っていた。
道介は時間潰しにスマホをいじりだした。が、寒すぎて指がかじかみ上手く操作ができない。
中央線よ。早く通り過ぎてくれ。
道介は内心でやはりもっと近場で都合のいい場所を選ぶべきだったと後悔したが、今となってはどうにもできない。
スマホで中央線のダイヤを調べると、始発は午前四時半ごろから動いている。それから大体十分前後の間隔で運行している。
その十分がいやに長く感じられた。
右手に銃、左手にスマホを持ってひたすら耐えた。
ついに中央線が通りかかった。
列車の走行音に紛れて一発発射した。
銃の音は走行音にも負けない音量だった。
実験は成功だった。
道介は銃口の先を鼻に近づけてみた。火薬の匂いがした。
道介は銃をホルスターにしまい、車に戻ってさっさと帰宅した。
残りの弾は七発。これを何に使うか思案した。
いや待て。自殺用に買った銃だ。自殺用に一発、残りの六発は使う必要がない。だが六発もの余裕があるのだ。
このとき道介は正に「無敵の人」となった。
殺そうと思えば六人を殺せる。それが今自分の手の内にある。
そう思うと俄然、心に余裕が出てきた。
その日以降、道介は常に銃を携帯するようになった。無論、ショルダーホルスターは使えないので剥き身でジャケットの内ポケットに入れてだ。
それからというもの、道介はいつでも何にでも寛大になれた。
通勤の山手線の中で誰かに強く押されようとも、部下の失策が露見しようとも、微笑みで応えられるようになった。
ま、今すぐお前を殺そうと思えばすぐ撃ち殺せるけどね。
そういう気構えができると、自然、心底から柔和になれた。
この心持ちの変化を、道介は自分が気弱な軟弱者だからだと分析した。
そうか、おれは他人に対して弱いから死を与えられる武器を持つことでようやく対等に渡り合えるようになったのか。
道介はそう思った。
武器というものの根本は殺人のために開発されたものである。現代社会においては武器の使用は基本的には禁止であり禁忌だ。ましてや個人間での使用は単に犯罪行為である。ということは武器の使用はそれほど敵に対して有効な攻撃手段という訳だ。攻撃するにしてもその程度があるが、銃火器を人に向けた場合、それはそれだけで殺意のある(未必ではない)殺人と言ってよい。人によってはそれを生殺与奪の権を握ったと勘違いする愚か者もいる。
その愚か者が道介だった。
道介は四十を超した分別ある大人であるのに気弱な愚か者だったのだ。
道介はそのことに気が付くと、無性におかしくなった。道介は貧困から這い上がった自負もあり、経営者でもあり千五百人の従業員を抱える会社のトップでもある。
その人間の正体がこのザマだ。
自分がその程度の人間だった事が露呈し、嫌気や呆れを通り越して愉快になった。
社会的には人の上に立つ立場ではあるが、所詮、自分はその程度の人間だったのだ。
そういう結論に達すると道介は自分の今までの卑屈さを嘲笑った。
道介の日常は、ほんの些細な事の繰り返しにしか過ぎなかったのだ。
若い頃は苦学した。そして会社を興した。奨学金も返した。会社も無事に大きくなった。今はやろうと思えば(決してやろうとは思わないが)人を顎で使える社会的立場にもなった。
それら全ては最初から一貫した連続として起きた事象に過ぎなかったのだ。こうしてふんぞり返っていられるのも、何も人より努力したとか運が良かったといったことではない。今の立場は日々の活動の集大成に過ぎなかったのだ。道介にとっては大きな転換点があった積もりでいたが、俯瞰すれば事の始まりは道介の貧苦と人間関係の構築に失敗した家庭を反面教師とした、それら一切を忘れ捨て去りたい、という欲求が齎したに過ぎなかったのだ。
道介にとって自殺は絶望に陥ってすることではなくなっていた。人生の我が世の春を謳歌するときにこそするべき事になっていた。
ひょっとすると、今がそのときなのかも知れない。
そういった魔が差す瞬間はいくらでもあった。しかし甘い死の香りを嗅ぐと、それに反するもう一方の自分が死の誘惑を妨げようとするのだ。
それがいわゆる生存本能と呼ばれるものである。
その両者が道介の中で拮抗していた。いや、正確を期するなら一方が膨らむと他方が縮み、その反動で形勢が逆転していく事が何度も何度も繰り返されるのだ。
そして今週も週末を迎え仕事は休みとなった。
×
土曜日の夜、道介はJR荻窪駅南口の雑多な街並みの中の居酒屋にいた。近所でちょっと一杯、といったところだ。
以前であれば新宿の瀟洒なバーを転々としていたが、もう酒にもゴージャスな雰囲気にも飽きていた。詰まるところはそれなりの料理が出て酔えればそれでよかったのだ。で、行き着く先が近所の居酒屋となったのだ。
道介は勘定を済ませて居酒屋を出た。三千四百八十円。日本酒ばかり飲みツマミはあまり摂らなかった。冬の寒風に酔いも醒めた。そのせいもあり、帰宅前にコンビニへ寄り道してちょっと夜食でも、と思った。
コンビニは午後十一時過ぎだというのに煌々と明かりを灯していた。おそらく防犯の観点からもそうしていると思われる。
道介はミックスサンドイッチセットを買って店を出た。
コンビニの出入り口のすぐ傍に誰かが蹲っている。大分小柄だった。
子供?
道介は不審に思いながら声をかけてみた。
「どうしました?」
嗚咽が続いている。
「警察呼びましょうか」
「警察やめて!」
その蹲っていたのはまだ年端もいかない少女だった。トレーナーにスウェット。ショートカットにしたその顔は左頬に痣ができている。
道介は一瞬にして尋常ではない事が起きていると察した。
「顔に痣ができてるよ。どうしたの?」
少女は黙ったままだった。嗚咽はまだ続いている。
道介は腰を落として少女と目を合わせた。少女は明らかに怯えきっていた。その目は恐怖と不安と冬の寒夜の風に打ち震えていた。
「おうちで何かあったの?」
「……何でもない」
「何でもなくて顔に痣なんかできないよ。それにもう子供が出歩く時間じゃない。お巡りさん呼ぶから、ちょっと待ってて」
「お巡りさんやめて!」
少女はいやに警察を警戒している。どういう事だ?
「どうしてお巡りさん呼んじゃ駄目なの?」
「お母さんが逮捕されるから」
逮捕? ひょっとして児童虐待か?
「何があったか知らないけど、おじさんが家まで送ってあげるから。お家、何処にあるか分かる?」
少女は頷いた。
「立てる?」
少女はいやにゆっくりと立ち上がった。その様子はぎこちなかった。顔以外にも暴行の跡があったのかも知れない。
「おじさんは吉岡道介。君の名前は?」
「……長谷川葉月」
「何年生?」
「三年生」
葉月が立ち上がって気付いたが、小学三年生とはいえいやに痩せ細っている。
「晩ご飯食べた?」
「まだ……いつも夜は食べさせてもらえないの」
これは明らかにおかしい。食べ盛りの小学生が夕飯抜きとはいよいよ怪しい。児童虐待としか思われない。
「おなか空いた?」
「……うん」
「じゃあ、おじさんがファミレス連れて行ってあげるから。何でも好きなもの食べさせてあげるよ」
「いらない。おじさん、誘拐する積もり?」
小学三年生ともなればそれぐらいの見当はつくものだ。
「いや。こんな時間に小学生を放っておく訳にはいかなじゃないか。それに警察に行きたがらないのがもっと不安じゃないか」
葉月は躊躇いながらも小声で言った。
「……おじさん、家まで連れてってくれる?」
「ああ。いいよ」
「お母さんに叱られない?」
「おじさんがいれば大丈夫だよ」
道介はこういう絵柄を頭に思い浮かべた。
少女は何らかの事由により親から折檻されている。そこで家を追い出され路頭に迷った。仕方なし、行く当てもなくコンビニの前で気力が尽きた。この年頃の子供である。どんなに酷い親でも親には変わりない。酷い仕打ちを受けても親を警察沙汰に巻き込むのは嫌だ。そこへ道介が現れた。子供は人を疑う事を知らない。誰か親と対等に話のできる人、通りすがりの大人であっても誰でも大人であればそれでよかったのだ。
「じゃあ、連れてって」
「さあ、行こう」
葉月はよたよたと歩き出した。
葉月の歩調からすると、どうも足の痛みを隠しているように見えた。
「どうしたの? 足、痛いの?」
「……うん」
「どうして足が痛くなっちゃったの?」
「お母さんの知り合いの男の人に蹴られたの」
これは明らかにアウトだ。
「おんぶしようか」
「大丈夫」
葉月は荻窪駅南口からまっすぐ南に向かい、駅前の繁華な街並みを抜けてマンション街を通り過ぎ、井の頭通りの手前の込み入った街路を案内していった。
「ここがあたしんち」
葉月が示したのは築四十年は経っているであろう二階建てのボロアパートだった。
そのアパートは外階段、外廊下のごく普通の古くさいアパートだった。
道介はまだこんな古くさい建築が残っていることに嫌気が差した。
それもそうである。このアパートの様式は道介の実家と同じ造りをしていたからだ。こんな陋屋はとっくになくなってしまえばいい。道介はそう思った。しかし世間にはまともな家に住めるほどの収入がない家庭も多いのも事実だ。それを考えればこういった陋巷もまた現代でも機能しているのだ。
道介は白状すればここから立ち去りたかった。この形式のアパートは道介が嫌った実家によく似すぎていたからだ。道介が逃げ出したかった実家。道介が逃げ出したかった陋巷そのものだったからだ。
「じゃあ、おじさんはこれで帰るね」
「おじさん、待って」
葉月が道介の左腕の裾を掴んだ。
「おじさん、お願い。お母さんと男の人がもう暴力を振るわないって約束するまで一緒に来て」
葉月は動揺しながら懇願した。その目は親に甘えたい一方、暴力の恐怖から逃れたいと願う真剣な眼差しだった。
その目を見ると道介は逡巡した。
ただでさえも見知らぬ少女を、家に帰すとはいえ連れ回したのである。これは犯罪者予備軍と見られても仕方あるまい。加えて見も知らぬ他人の家庭の事情に口出しするのは憚られた。
道介は葉月を家人に引き渡したら児童保護センターだかなんだか、そういったところへ通報しようと判断した。
「いいかい、葉月ちゃん。おじさんができることは葉月ちゃんを家まで送り届けることだけなんだよ。それ以上の事は自分でやってごらん。もう三年生なんだよね。もし暴力を振るわれたら学校の先生に相談してみてね」
葉月は絶望の顔をした。
「おじさん、お願い。あたしが家に入るまで一緒に着いて来て」
葉月は怯えきっていた。
「分かった、分かった。家の人に会うまで送ってあげるよ」
仕方なし。少女の懇願に勝てる筈はなかったのだ。
葉月は錆びた階段を上って一番奥の部屋まで道介を連れて行った。205号室。道介がチャイムを鳴らすとしばらくしてから「はーい」と気怠い返事がかえってきた。
205号室の玄関扉が少しだけ開いた。
「どなたですか」
女が外の様子を窺うように覗き込んできた。
「こちらのお子さんを連れてきました」
「警察ですか」
「いえ、通りがかりの者です」
扉が一旦閉まってチェーン錠が解錠される音がした。
「葉月! 何やってんのよ!」
「……お母さん、ごめんなさい……」
その女は葉月の腕をぐいと掴むと葉月を玄関の内へ強引に引っ張りこんだ。
部屋の奥から野太い男の声で「誰だ?」と聞こえた。女は「知らないわよ」と振り向いて苛ついた声で応えた。
無理に玄関に引きずられた葉月が転んだのが見えた。
「あの、この子に何かされてませんか?」
道介がきょとんと女に訊いた。
「あんた、どこの誰なのよ。警察じゃないんでしょ。さっさと帰りなさいよ」
「ですがお子さんの話を訊くと、どうも暴力を振るわれているようで、それなりの機関に連絡しようかと……」
「煩いわね! 人んちの事情まで首を突っ込もうっての! 警察呼ぶわよ! あんた、この子を誘拐しようとでもしたの!」
道介は少々動揺した。
「いや、誘拐の意図はありませんよ。ただちょっとお子さんの事が気にかかったので……」
「帰れ!」
女は玄関扉を締めて施錠する音が聞こえた。
道介にできることはこれ以上何もない。
あまりに呆気なかったので道介は立ち尽くしてしまった。
その途端、室内から男の怒声が聞こえてきた。
「何やってんだ! 馬鹿野郎!」
すぐさま葉月の「ごめんなさいごめんなさい」という泣き声があがった。
室内からドタバタした音が聞こえてきた。
「お前なんか野垂れ死ね!」
「ごめんなさいごめんなさい」
「死ね!」
「きゃああああ!」
明らかにDVの声が聞こえてきた。
道介はドアノブに手をかけて玄関ドアを開けようとした。がちゃがちゃと何度も回そうとしたが扉は開かない。
「どうしました! 何かあったんですか!」
道介が玄関扉をどんどんと叩いたが返事はなかった。その間も男の怒声と葉月の絶叫が続いた。
このまま見過ごす訳にはいかない。
すぐにでも警察に連絡するか?
いや、葉月は警察を拒否していたのを思い出した。だがこれは冷静に考えれば通報案件だ。加えて道介は常に銃を携帯している。そのことに警察への引け目を感じていた。
道介はジャケットの内ポケットから銃を取り出しドアノブに向けて発砲した。
ドアノブは破壊され玄関ドアは開いた。
道介は土足のまま室内になだれ込んだ。
狭いキッチンダイニングとそれに続く六畳間があった。
女はキッチンに向かっていた。
男が左手で葉月の胸ぐらを掴んで右手を握りしめて振りかざしていた。
道介は男に向かって銃を振りかざした。
「動くな!」
「誰だお前は!」
「いいからその子から手を離せ!」
「この野郎!」
男が道介に突進してきた。
道介の胸元に男が右肩からタックルしてきた。
道介は銃を落としそうになったがなんとか持ち堪えた。
「くそっ!」
道介は胸元の男の頭にめがけて銃を数発発射した。
その途端、男はずるりと倒れ込んだ。
道介の顔から腹まで男の血と脳漿と肉片が吹き飛んだ。
それをみて女と葉月は茫然自失した。
倒れ込んだ男の頭から赤黒い血がとくとくと流れ出た。
女は声にならない悲鳴をあげた。
「うわああ!」
今度は道介が悲鳴をあげた。
道介は女に近づいて銃口を女の頭に押しつけた。
「子供を虐待するな! そんなことは人間のやることじゃない!」
女の目と口は見開いていた。
人間、いざとなると言葉がなかなか出ないものだ。
女は恐怖に顔を歪めながらがたがたと震えていた。
「あ、あ、あ、あたしが何したっていうのよ!」
「煩い! 黙れ!」
「あんた、一体何者なのよ!」
道介は歯を食いしばって言った。
「あんたみたいな親に育てられた子供だよ」 尚も女の震えは止まらなかった。
道介は女を床に乱暴に叩き付けた。
女は後じさりながら道介を見つめた。
「出てけ! 出てけ!」
道介は女を打った。数発で女は死に絶え動かなくなった。
狭い室内は血と肉片とが散乱していた。
そこに二人の遺体と少女が一人。
葉月は呆然と立ち尽くしていた。
道介は銃をしまって葉月の手を取り「さあ、帰ろう」と言って表へ出た。
葉月は先ほどとは違って泣き声すらあげなかった。
スーツを血みどろにしたまま道介は自宅マンションを目指した。
冬の夜は寒い筈だったが道介には寒さも暑さも感じなかった。
途中、数名の通行人とすれ違った。その誰もが道介の異様な気配に気圧されて、ただ道介と葉月を目で追うだけで二人を制止する者はいなかった。
道介は自宅に戻ると葉月をソファに座らせた。
「もう大丈夫だから。安心して」
葉月は一言言った。
「……人殺し……」
道介は溜息を一つ吐いた。
「ああ。おじさんはついに人を殺してしまったんだ。人殺しだよ」
「おじさん、どうなっちゃうの」
「罰を受けるんだ。自分で自分を罰するんだ」
「これからどうするの?」
葉月の一言に道介は何も用意ができなかった。
「葉月ちゃんはとにかくお休み。おじさんのベッドを使っていいから。パジャマもないけど上手く眠れるかな」
「……」
「いいかい。これから警察の人を呼ぶから、ちゃんとお巡りさんたちの言うことを聞くんだよ。お巡りさんたちは怖くない。いい人たちだから。ちゃんと保護されなさい」
「……うん」
道介は寝室に葉月を連れてベッドに葉月を横たわらせ、毛布を掛けてやった。
「お休みなさい」
「お休みなさい。でもあたし、眠れないと思う」
「それも仕方ないさ。こんな事があった日はね。でもちゃんと休まなきゃ駄目だよ」
「うん。分かった」
「じゃあね」
そう言い終わると道介はシャワーを浴びて血まみれになった体を洗い流した。
そのとき着ていた衣類はもう使い物にならないほど血で汚れていた。しかし道介はそれをどうこうする積もりはなかった。
部屋着に着替えてリビングのソファにふんぞり返った。右手には銃、左手にはスマホを持っている。
道介は一呼吸してスマホで一一〇番に電話した。
「警察です。事件ですか。事故ですか」
「事件です」
「どうされましたか」
「人を二人、銃殺しました」
「場所はどこですか」
「東京都杉並区荻窪です。住所ははっきり分かりませんがボロアパートの住人の男女一人ずつを殺しました」
「救急車を呼びますか」
「その必要はありません。確実に二人は死んでます」
「今どこにいますか」
道介は自宅マンションの住所を伝えた。
「五六分でパトカーが向かいますのでそのままお待ちください」
「寝室に女の子が一人います。被害者の子供です。酷いDVを受けていたらしく衰弱しているようです。これから私は拳銃自殺しますのでその後片付けもお願いします」
そこで道介は電話を切った。
道介はスマホを投げ出して右手の銃を逆手に持って口の中に突っ込んだ。
こめかみを打ち抜くと生き残ってしまう可能性があるので後頭部の脳髄を吹き飛ばすためだ。
しかし待てよ。残りの銃弾はちゃんと一発は残っているのか?
葉月のアパートにいたときにちゃんと発砲数を勘定していなかったことに気付いた。
なんせ初めての殺人だ。興奮状態だったのでそんな初歩的なことも頭から吹き飛んでいたのだ。
道介は口の中に金属の味と火薬の匂いを嗅いだ。
ここでちゃんと死ねるか、それとも銃弾を使い切っており生き残ってしまうか、それは実際にやってみないと分からなかった。だが選択肢は他になかった。
道介はゆっくりと引き金を引いて、その結果を素直に受け入れた。
八発の凶弾 @wlm6223
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