赤く滲んだ約束

小土 カエリ

第1話 プロローグ 遅くなった再出発

 セミの鳴き声が飽和していく。


「ハハァ…やっちまったな。で、どうするんだ?」


 幼い男の子は山際の大きな樹木を背にもたれかかる。その声は声量に対して抑揚が弱く、感情が読み取りにくい笑い方だった。


 表情は疲れたような微笑みを浮かべている。それはこの瞬間だからという訳ではない。彼は元からこんな顔だ。


 男の子はその場に居るもう一人の子供の答えを待っていた。


「んー…わかんない。」


 その中性的な見た目をした子供は無表情のままそうつぶやく。木陰にいる男の子と違い、子供は真っ赤な夕日に照らさせていた。その沈みかけた夕日が、子供の影を大きく引き伸ばしていく。


「…はぁ?」


 その答えを聞いた男の子は思わず声を漏らす。その顔には困惑の色が広がっていた。


「君が決めてくれよ。この罪と向き合うべきか、逃げるべきか。」


 子供はさっきまでいた小屋の方を見ながら、二択を突き付けてくる。


「…なんで俺が決めるんだよ。やったのはお前なんだから、お前が責任持てよ。」


 男の子はそれに対して怒るわけでもなく、ニヤケ面のまま茶化す。


 この無駄なやり取りを1秒でも長く続かせるために。この瞬間を目に焼き付けておくために。


「そんな厳しいこと言わないでよ。ほら、あるでしょ?友達の為に「ここは俺が!」みたいなやつ。」


 子供は誰かを庇うような、大げさな演技をしながら乾いた笑い声を出す。


「なら、当てが外れたな。俺は屑なんだよ。2年も一緒にいて気付かなかったのか?」


 男の子はこれまでの思い出一つ一つを、心の本棚の中に仕舞っていく。


 いつかその本を開く日は必ず来る。


 その瞬間ときのために、記憶が鮮明な今から大切に保管しておくのだ。


「あらら。つるむ相手間違えたなぁ…過去の自分が憎いぜ。」


 子供はやれやれといった様子で脱力すると、男の子の方に向き直る。


「さてと、楽しい時間はここまでみたい。もう日が沈む。答えは決まったかい?」


 男の子は山に降りていく夕日を一瞥した後、子供の目を真っ直ぐと見据える。


「お前は────。」


 セミの鳴き声がいくつも重なっていく。うるさいくらいに大きな鳴き声の後、一瞬の静寂が訪れる。


「わかった。じゃあ、そろそろ行くよ。」


 子供は最後に男の子に手を差し伸べる。その手は僅かに赤く滲んで汚れている。


 しかし、男の子は迷わずその手を取った。


 「ありがとう。じゃあね。」


 男の子を立たせると、子供は山際にある神社を後にする。


(これでお別れ。こいつと会うことも、もうないな。)


 男の子と子共は仲が良かった。


 小学校に上がって初めて知り合ったのに、彼らは妙に気が合った。


 相手に踏み込んだ話をし合った訳でも、境遇が似ていた訳でもない。ただ最初の席順で横の席になったという、たった一つの接点しかなかった。


 いつも、子供が今日は何をやるのかを考えて、男の子はそれに付いていく。男の子はずっと決定権を子供に預けていた。


 思い出が勝手に頭の中を流れている。


 離れていく子供の背中が、その時だけは何故かとても小さく見えた。


「…なあ。」


 思わず声が出た。


「どうした?」


 歩いていた子供が、足を止めて振り返る。


あかり、またな。」


 男の子は手を振って見送る。


「…ああ。またね。境介きょうすけ


 灯りは笑顔でそう返すと、再び歩き出す。




 一人残された境介はその姿が見えなくなるまで、ずっとそのままだった。


(俺、上手く笑えてたかな?)


 境介の頭にふとそんな疑問が浮かんだ。だが、その質問の答えを知る唯一の相手は、もう遠く遥か先に行ってしまった。


(今から追いかけても間に合わない、か。)


 セミがまた鳴き始める。その一匹に反応して、周りのセミもすぐさま加勢していく。


 境介は一人で考える。今までは灯りが全て決めてくれていた。


 でも、もういない。


 自分の中で答えを探し続ける。自分がこれからどこに向かうのか。


(思えば、ずっと灯りは俺の隣にいた。)


 だというのに、今日一日で随分先に行ってしまった気がする。ならば、境介もまた、先に進まなければいけない。


 だって────。


「友達、だからな。」 


 その場に取り残された境介が動き出したのは、山に日が完全に沈んだ後だった。

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