「祖父の死んだ日に階段を上ってきたものは」
@kitamitio
第1話 危篤の知らせが……
作:北 道生
「学校にいる間に連絡が来るかもしれない。」
今朝登校前に父からそう言われていたので落ち着かない授業を受けていた。担任からすぐ帰宅するように告げられたのは午後の授業中のことだった。
「ついに、本当にこの時が来てしまった」
急いで家に戻り、姉と父と三人でタクシーに飛び乗り積丹へと向かった。
祖父が亡くなったのは今からもう50年以上も前、小学校6年生の初夏のことだった。
この町から祖父の住んでいた海岸沿いの町までタクシーをとばすとなるとどのくらいの料金になったのだろうか。当時タクシーに乗ることは珍しかった(私の家ではね)我が家にとってはかなりの出費だったに違いない。病院ではなく自宅で死ぬことを願った祖父のために、この町の病院で入院していた祖父に付き添っていた母は2日前から祖父の家に行っていた。親戚の人たちももう何人か集まっているはずだ。
祖父は6人兄妹の長男でただ一人の男であった。嫁いでいった妹たちも何人かの家族を伴ってやって来ているだろう。父も長男で跡取り息子なのだが跡を継ぐ何ものもなく、田舎まわりの公務員となってこの町に赴任していた。
僕はじいちゃん子だったから、小学校二年生まで一緒に暮らしていた祖父との思い出はたくさんあった。そしてそれは、今になってもけっして忘れることができない強い印象とともに私の心の中に存在している。
1「凧のセミ」
終戦を樺太で迎えたという祖父は、建築関係の仕事についていたらしく、手先が起用で何でも自分でこしらえてしまう。釣りの道具は全部祖父の手作り。ロッド、ガイド、仕掛け、鉛製の重り、魚籠、わらじ、そして釣り餌まで、すべてである。何から何まですべて祖父手作りの道具をもって、僕と祖父とは二人で何度も釣りに出かけた。
「ほらそこの岩と岩の間に深そうな穴があるべ、そこに落としてみろ」
言われるままに、途中で採って来たヤドカリやエラコを餌にして岩と岩の間に投餌してみる。すると、すぐに大物のアブラコやソイが掛かるのだ。家のすぐ横から磯に降りて一時間も釣り歩くと手製のびくの中には二人とも二けたに近い獲物が入っていた。
そして、祖父は凧を作るのも上手だった。そう、これも強く印象に残っている。
凧づくりは骨になる竹を割るところから始まる。川っぷちの藪から取ってきた太目の根曲がり竹を火にあぶったり、熱湯につけたりしてまずは真っ直ぐにする。縦に4分割ぐらいに裂いてゆくと平たい竹製のたこの骨が出来上がる。それを使って、四方と対角線という具合に骨組みを糸で組む。適当に湾曲させ張りを持たせてから、表面に障子紙か油紙をご飯粒でこしらえたのりを使って貼る。うまく貼れないところはその上から別の紙で補修して仕上げる。
乾燥してからはそれに絵を描く。絵も祖父が自分で描くのだ。武者絵、墨文字、龍、大漁旗のような模様などすべて筆を使って描いたものが多かった。そして、最後に糸目をつけて完成……とはならず、最後の仕上げには凧にうなりをつけるのだ。
凧を湾曲させるためには、裏側に3本の糸を張る。その一番上の糸に長方形の紙を二つ折りにしてはさむようにして貼り付ける。こうすると、空の上で風を受け、飛行機のラダーのようなその部分が振動して大きな音を出すのである。それはきっと草笛と同じ原理なのだろう。これを、うなりとか、せみと呼んでいた。
音としては、「ぶんぶん」とも、「びーんびーん」とでもいえば良いだろうか。かなり大きな音になる。家の中にいてもこの音で誰かが凧を揚げているとすぐにわかるので、その音が聞こえるとすぐに浜辺に飛び出して行くのが僕ら子どもの冬の習慣だった。
母は、嫁いで来た頃、「たこの音」と言われてずいぶんと頭を悩ませたのだそうだ。東北地方の山間部出身の母にとって、「たこが音を出す」と言われても海の中でうなっている八本足のタコしか思いつかなかったそうだ。ましてや「タコのせみ」などと言われたら全く想像できる範疇を越えていたらしい。
同じ東北地方でも、津軽の方では凧に同じようなうなりを付けて揚げるという話を聞いたことがある。住む所によって風俗や習慣の違いというのは大きいものなのだ。
縦1m、横60cmの四角い凧は力持ちだった。大きな湾になった砂浜の中央付近に積丹川が流れ込んでいて、そこに向かって吹き込んでいく冬の風は強烈に強く、凧は勢いよく揚がった。市販の凧糸などではとうてい持ちこたえられないため、私たちの凧を飛ばすためには荷造りに使う細引きが使われた。しっぽも奴凧のような紙では役に立たず、やはり細引きを使った。漁師をしている近所の大人たちが揚げていたもっと大きな凧になると、しっぽには荒縄が使われていたようだった。
積丹川に向かって吹き込む強烈な風を受け凧は高く遠くまで揚がった。凧のセミも元気よく甲高い音を発し、その音につられていつもの仲間が浜辺に姿を現した。私たちの冬の大きな楽しみであった。50mの糸をいっぱいに使って大空高く舞い上がる祖父の作った凧の姿は、その後いつまでも私の記憶に焼き付いている。
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