街を歩く一日
その日、悠人は初めて女装したまま外を歩くという一大決心をしていた。
サロンの中だけではなく、実際に外に出てみたいという気持ちが少しずつ強くなり、ついに行動に移すときがきたのだ。
「よし、行ってみよう…」サロンから出る前に、鏡の前で服装を確認する。
ウィッグを丁寧に整え、メイクも念入りに仕上げた。
普段の自分では絶対にしないようなファッションに身を包んでいる自分を見つめると、なんだか少し緊張感が増してきた。
しかし、それ以上にわくわくする気持ちが強かった。
ロングスカートを選んだのは、外を歩く際に少しでも安心感を得るためだった。
スカートならパンツスタイルよりも「女性らしさ」を感じさせてくれるし、体型を隠せるという点でも好都合だ。
しかし、この選択が後々予期せぬ問題を引き起こすことになるとは、その時は思いもしなかった。
最初に向かったのは、離れた街の中心にあるショッピングモールだった。
休日ということもあり、道には多くの人が行き交っている。
悠人は心臓が早鐘を打つのを感じながら、歩き出した。
「大丈夫、大丈夫…誰も気づかないよ」
自分にそう言い聞かせながら、周りの目を気にせずに歩こうと努力する。
スカートの裾が揺れる感触が新鮮で、足元に風が当たると少しひんやりとした感覚がする。
普段のパンツスタイルとはまるで違う動きに、自分が「違う存在」になったかのような錯覚さえ覚えた。
だが、エスカレーターに乗った瞬間、その「違い」を嫌でも意識せざるを得ない事態に気づいた。
エスカレーターの下から見上げたとき、ロングスカートの裾が風に揺れ、中がちらりと見えてしまうかもしれないという恐れが頭をよぎったのだ。
「やばい、これ下から見られるかも…」
一瞬のうちに、悠人はスカートの裾をそっと手で押さえた。
今まで意識しなかったが、スカートというのはこんなにも気を使うものなのか、と改めて実感する。
さらに、風の強い場所ではウィッグが風に煽られる。
髪が乱れるのを防ごうと何度も手で直すが、それでも風が吹き続けるとウィッグがずれてしまうような気がして落ち着かない。
「やっぱりウィッグは難しいな…風があるとこんなに不安定になるなんて」
街を歩くうちに、悠人は女装の細かな「リアル」に直面していく。
ヒールのある靴もその一つだ。
普段はスニーカーやビジネスシューズしか履かない彼にとって、ヒールのある靴での歩行はまさに初めての体験だった。
「最初はいい感じだと思ったけど…これ、結構きついな」
少しずつ慣れてきたとはいえ、長時間歩き続けると足の裏にじわじわと負担がかかってくるのが分かる。
ふらふらと不安定な歩き方になりそうな自分を感じながら、悠人は途中で何度か足を休めることにした。
ベンチに座り、足を伸ばして深呼吸する。
「女の人たちはこんなヒールで歩いてるんだなぁ…尊敬するわ」
休憩を終えて再び歩き出すと、少し足が軽くなったように感じた。
自分の体が新しい体験に順応しつつあるのを感じ、少し嬉しくなる。
昼過ぎになり、カフェで一息つくことにした。
ドリンクを注文して席に座ると、ふとした瞬間に気づいた。
飲み物を口にするたび、口紅がカップについてしまうのだ。
「口紅ってこういうのがあるんだ…」
悠人は気づかれないようにそっとカップを拭いたが、それが少し面倒だと感じた。
ストローを使うのが一番良いのだろうが、カップで出てくるものにはそうもいかない。
「やっぱり、細かいことに気を使わないといけないんだな」
女性が普段どれだけ多くのことに注意を払いながら日常を送っているのか、身をもって知る一日だった。
カフェで休んだ後、悠人はさらに街を歩き回った。
ショッピングモールでは人々の視線を気にすることも少なくなり、むしろ女装した自分が周りの景色に溶け込んでいるような感覚さえ覚えた。
「意外と普通に馴染んでるのかも」
服を選ぶ楽しさ、歩くときの軽やかさ、街中の風景が違って見える瞬間。
それらが全て、自分が今まで知らなかった「もう一つの世界」を感じさせてくれた。
確かに不安や気遣いも多かったが、それ以上に楽しい時間だった。
夕方になり、悠人は家路についた。
玄関の扉を開けて靴を脱ぎ、鏡に映る自分をもう一度確認する。
「なんだか、今日は一日がすごく濃かったな…」
足は少し疲れていたが、それでも充実感があった。
女装をして街を歩くことで、自分が知らなかった部分を知り、体験することができたのだ。
これまで抱えていた不安や戸惑いも、少しずつ消えていく気がした。
「またやってみようかな…次は、もっと大胆に挑戦してみるのもいいかもしれない」
そう思いながら、悠人はウィッグを外し、ゆっくりと部屋着に着替えた。
外で過ごした一日が、彼の心に新しい扉を開いたことを感じながら。
悠人がその日初めて経験した「外での女装」は、彼にとって単なる一時の楽しみを超えて、自分自身を見つめ直すきっかけとなった。
次に挑戦する時、彼はまた新たな一歩を踏み出していることだろう。
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