第27話 楓の誕生日③ —観覧車の頂上で—

 怖いけど全部体験してみたいです——。

 そんなかえでの希望に沿い、絶叫系は適宜休憩を挟みつつ全て乗った。


 他にもメリーゴーランドなどを楽しんでいると、空がだんだんと暗くなってきた。

 沈んでしまった太陽の代わりにアトラクションや各施設に設置された照明が遊園地を照らし出したころ、俺は楓を観覧車に誘った。


 ゴンドラがゴトゴトと音を立てながら、ゆっくりと夜空に向かって上昇していく。

 昼間は心が踊るような陽気な雰囲気をかもし出していた遊園地は、紫に染まった世界の中でライトアップされ、お祭りのような賑やかさを残しつつも息を呑んでしまうような幻想的な景色を作り出していた。


「わぁ、すごいです……!」


 かえでは窓の外を見て、はしゃいだ声を上げた。瞳はおもちゃ屋さんに初めて足を踏み入れた子供のようにキラキラと輝いていた。

 俺は自然と笑みを浮かべていた。


「いい景色だな」

「ですよねっ」


 確かに色とりどりの光を放つその眺めは絶景だった。

 しかし、それすらも霞んでしまうほどに、楓の横顔は綺麗だった。


(女神みたいだな)


 長いまつ毛と無邪気に輝いている純粋な瞳、下からの光によりさまざまに色づく頬、わずかに開けられたままの口。

 眼下の景色に夢中になっている彼女に見惚れながら、俺は本気でそんなことを思った。


 強烈な視線を浴び続けていれば、外に意識を奪われていた楓も気づいたのだろう。


「ゆ、悠真ゆうま君。そんなにまじまじ見られると恥ずかしいです……」


 消え入りそうな声だった。楓はすぐに視線を景色に戻した。

 照れ隠しなのは丸わかりだったが、今はなんだか揶揄う気にはなれなかた。


「いや、綺麗だからさ」


 ライトアップされた遊園地のことを言っているわけではないことは伝わったのだろう。

 それまでさまざまな色に変化していた楓の頬には、すっかり赤が色づいていた。


 観覧車が頂上に差し掛かった。

 楓の後頭部に手を添えた。ほとんど力を込めていなかったが、彼女はこちらを向いた。

 緊張と期待が入り混じっていた。これから起こることを知っているのだろう。


「楓……いいか?」


 楓の頬はますます赤みを帯びた。それでも視線を逸らさなかった。


「……はい」


 彼女は小さく、しかし確かにうなずいた。瞳を閉じて顎を上げた。


 もう、何も言葉は必要なかった。

 俺は吸い寄せられるように顔を寄せた。


 唇同士が触れ合った瞬間、まるで示し合わせたかのように楓の背後で花火が打ち上がった。

 世界が俺たちのことを祝福しているかのようだった。


 俺と楓は驚いて顔を見合わせた後、クスクスと笑い合った。


「こんなことってあるんだな」

「すごい偶然ですね」


 キスを一回で終わらせることなど、これまではほとんどなかった。

 それでも、今だけはもう一度という気持ちにならなかった。


 楓も同じだったようだ。

 俺たちはどちらからともかく手を繋ぎ、夜空に瞬く光の花と地上を華やかながらも上品に照らす輝きに魅入っていた。




 国内随一の遊園地なので、帰りのバスや電車は当然混雑した。

 最寄りが近づいてくるにつれ、だんだんと人は減っていった。


 退園してからもしばらくはあれが良かった、これが良かったと楽しそうに話していた楓だが、やっと席が空いて腰を下ろすころには瞳がとろんとしてしまっていた。

 午前中から全力ではしゃぎ続けていたから、もうエネルギーが残っていないんだろうな。


「今日は楽しかったですね……」


 楓が覇気のない声でつぶやいた。


「いい誕生日になったか?」

「はい。人生で最高の誕生日でした……」

「それなら何よりだ」


 楓のしみじみとした口調は、その言葉が本心であると確信させるものだった。

 俺は安堵するとともに喜びを噛みしめた。彼女にここまで楽しんでもらえるなんて、彼氏冥利に尽きるというものだ。


 楓が肩に頭を乗せてくる。

 頭にポンッと手を乗せた。彼女はへにゃりと笑った。

 ずいぶんと無垢な笑顔だ。もう半分寝かかっているな。


「ちょっと目を閉じててもいいですか……?」

「おう。寝ちゃっていいぞ。着いたら起こすから」

「ありがとうございます……」


 楓は安心したように微笑んだ。すでに閉じかかっていた瞼が完全にシャットアウトする。すぐにすぅすぅという可愛らしい寝息が聞こえてきた。

 彼女の体温とこちらへの信頼を感じて、心は安らぎに包まれた。


「くわぁ……」


 あくびが漏れる。楓を楽しませるために張っていた緊張の糸が切れかかっているのだろう。

 ダメだ。寝過ごすわけにはいかない。

 それはそれで後から笑いのタネにはなるだろうが、まだ俺たちには家に帰ってケーキを食べるという使命が残っている。


 少々詰め込みすぎな気もしたが、何気ない会話の中で楓がハッピーバースデーを歌ってもらってケーキを食べるということに強い憧れを抱いているのは伝わってきた。

 もちろん彼女がその気になっていないのなら無理に今日食べる必要はないが、寝過ごしていい理由にはならない。


(本来ならそんなの、家族がいれば当たり前のはずなんだけどな)


 楓の両親は、娘の誕生日だというのに帰ってこないらしい。一応お祝いのメールとお金はもらったらしいが、高校生の子供への誕生日プレゼントとしては味気なさすぎる。

 怒りが沸々と込み上げてきた。


(……いや、そのおかげで楓と二人きりの時間を過ごせるんだから、俺はそっちに集中すべきだよな)


 意識を楓を楽しませることに切り替える。

 起きたときに俺が不機嫌になっていたら、最高の誕生日ではなくなってしまうからな。


 今日一日を振り返ってみる。

 いつもなら絶叫系の楽しかったポイントが真っ先に浮かんでくるのだが、脳裏に焼き付いているのは楓の笑顔だけだった。


(つくづく惚れ込んでるよなぁ、俺も)


 乱れの感じられない楓の寝息に耳を傾けつつ、まばらに人が座っている車内で一人苦笑した。




 少し寝たからだろうか。

 家に到着するころには、楓はかなり元気を取り戻していた。


「楓、ケーキ食べるか?」

「食べますっ」


 間髪入れずに元気な返事が返ってきた。

 思わず顔が綻んでしまう。相応に疲労感じていたが、彼女のそんな無邪気な可愛らしい姿を見てしまえば疲れなど一瞬で吹き飛んでしまった。


 飲み物などの準備を終えると、ケーキに刺したろうそくに火をつけて部屋の電気を消す。

 暖色に照らされた楓の頬はわずかに緊張していた。


「ハッピバースデートゥーユー——」


 おそらくは世界中でもっとも歌われているであろうその歌を口ずさむ。

 人前で歌うのは得意ではないが、楓を喜ばせるためだと思うと声も出るというものだ。


 俺が歌い終わると、楓がパチパチと拍手をした。その瞳は少し潤んでいた。

 確認をするようにこちらを見てくる。俺はしっかりとうなずいた。


 楓が深呼吸をする。一際大きく息を吸い込んでから、ケーキに息を吹きかけた。

 見事に全てのろうそくの炎が消えた。


「うまいな、楓」


 褒めながら電気をつけ——俺は絶句した。

 楓が静かに涙を流していたからだ。


「か、楓。どうしたっ?」

「す、すみませんっ……!」


 最初は感動で嬉し泣きしているのかと思った。

 その側面もなくはないようだが、それにしては浮かない表情だった。


 それ以上は問い詰めず、頭や背中をそっと優しく撫でた。


「……すみません」


 泣き止んだ後、楓は再びポツリとこぼした。


「謝る必要はねえよ」


 俺は縮こまってしまっているその体をそっと抱きしめた。


「俺、何かしちゃったか?」

「い、いえっ、違います!」


 楓は力強く否定した。


「今日は本当に最高の誕生日でした……こんなに楽しい一日は、生まれて初めてです」

「それなら良かった。ありがとな」

「お礼を言うのは私のほうです。こんな素敵な一日をありがとうございます。でも……私は悠真君に謝らなければなりません」

「えっ?」


 不穏な言葉が聞こえて、俺はじっと楓を見つめた。

 迷子になってしまった子供のような、不安げな表情だった。


「悠真君が私のことを本気で愛してくれているのはもちろんわかっています。だから、関係が壊れるのが怖くて今まで言えませんでした。でも、それは悠真君に対する裏切りです。こんなに素敵な一日の最後に申し訳ないのですが……私の話を聞いていただけますか?」


 楓の表情はひどく真剣なものだった。これから重大な告白が行われるのだろう。

 彼女曰く、関係性が壊れてしまうほどのものらしい。

 できれば聞きたくない。でも、聞かないわけにはいかないだろう。


「いいぞ。話してくれ」


 楓は覚悟を決めるように一息吐いてから、静かな口調で話し出した。


「私は一つ、悠真君に嘘を吐いていました——」

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