第7話 再び速水さんの家にお邪魔することになった

 退学者と退職者を出した一連の流れは朝に行われていたため、当然学校のみんなも担任やらクラスメートやらがいなくなっていることには気づいた。

 そしてその面々を思い出せば、俺と速水はやみさんが関係していることはすぐにわかっただろう。俺らだけ授業に遅れてきたし。


 普段からほとんど話しかけられることもないが、今日は特に誰も近寄ってこなかった——同じ属性の早乙女さおとめ八雲やくもを除いて。

 ただ、視線は集めていた。


 注目されていることに慣れていないんだろう、速水さんは落ち着きなくソワソワしていた。

 俺も同じだったが、人間自分よりも慌てている人がいると落ち着けるものだ。

 幸いなことにラノベという共通の趣味があったため、俺なりに話題を振って速水さんの意識をみんなから逸らしていた。


 放課後、俺と速水さんは再び校長室に呼ばれた。

 校長から改めて謝罪と、嫌でなければ警察への届け出もするという申し出を受けた。


「えっと……私の両親の許可はいらないんでしょうか?」

「大丈夫だ。すでにいただいている」


 おぉ、優秀だなこの人。


「じゃあ……お願いします」

「あぁ。おそらく保護観察処分などになるだろう。警察が絡む以上報復などはほとんど心配しなくていいだろうが、何かあれば些細なことでもすぐに言いなさい」

「はい、ありがとうございます」


 最後にもう一度謝罪を受けてから、校長室から退出した。

 速水さんの横顔をうかがう。一応一件落着はしてホッとしているようだが、お世辞にも明るい表情とは言いがたい。


 両親や幼馴染に対してなど、思うところはいろいろあるだろう。

 彼女が何を考えているのかは正確にはわからないが、精神が安定していないことだけは手に取るようにわかった。


「あ、あのさっ」

「はい?」


 速水さんは立ち止まった俺を振り返り、不思議そうな表情を浮かべた。


「その……この後、一緒に過ごさないか?」

「っ……」


 速水さんは目を見開いた後、破顔してこくんとうなずいた。


「いいですよ。というより助かります。私も一人は少し心細かったので……一条いちじょう君がそばにいてくれるのなら安心ですね」


 速水さんが本当に安心したように笑った。


(っ……か、可愛すぎるだろ……!)


「一条君?」

「えっ? あぁ、いや、なんでもないっ。それよりどうする? 女の子と放課後過ごしたこととかないから要領わかんないんだけど、カフェでも行く?」

「うーん……」


 女の子といえばカフェで甘いものを食べるという先入観があったのだが、速水さんの反応はかんばしくなかった。


「あっ、いや本当にどこでもいいんだけど……速水さんは希望ある?」

「そうですね。あまり人が多いところは好きじゃないので……」


 少し悩む様子を見せた後、おずおずと、


「よかったら、また私の家に来ませんか?」

「えっ……いいの?」

「あれ、一条君。もしかしてナニか期待してます?」

「し、してねえよ!」

「ふふ、冗談ですよ。私は構いませんので、もし一条君さえ良ければ。親も相変わらずいませんしね」


 昨日のような緊急事態でない限り、親が不在の女の子の家に行くのはあまりよろしくないだろう。

 でも、精神的に不安定な速水さんは、他人がいないホームグラウンドのほうが安心できるか。


「わかった。ご厚意に甘えてお邪魔させてもらうよ」

「ぜひ。じゃあ、このまま一緒に帰りましょうか」

「おう」


 親に連絡だけしてから、速水さんの家にお邪魔する。


「大したものはありませんけど」


 そう断りつつ、速水さんは冷たいお茶とお菓子を出してくれた。


「ありがとう」


 俺はお茶を半分ほど飲み干してから、ローテーブルに置いた。

 ベッドにこぼしたら大変だ。


 そう。俺は今、速水さんのベッドに座っていた。

 勘違いするなよ? 決してそういう意図じゃないからな? 速水さんが自室が一番落ち着くっていうからお邪魔してるだけだからな?


 実際、俺の隣に拳一つ分空けて座っている速水さんに、昨日のように誘ってくる気配は見られない。

 俺が飲んだのを見てお茶を一口含んでから、彼女はほぅ、と息を吐いた。どこか夢見心地な様子でポツリとつぶやいた。


「……何だか信じられません」

「何が?」

「いなくなってくれたらいいなと思っていた人たちが、みんな一斉にいなくなるなんて」


 速水さんの表情は、微妙にセリフとマッチしていなかった。


「大丈夫、因果応報だよ。速水さんが何も気に病むことはないから」

「……ありがとうございます。何から何まで」


 速水さんがわずかに白い歯を覗かせた。

 どうやら俺の推測は当たっていたらしい。


「本当に、一条君には感謝してもしきれませんね」

「別にそんな大層なことはしてねえよ。結構俺のわがままみたいなところもあったし」

「でも、それもすべて私のことを想ってのものだったじゃないですか」

「それはまあ、一応そのつもりだったけど」


 俺は恥ずかしくなって頬をポリポリ掻いた。


「一条君の言葉に、優しさに、勇気に、私は本当に救われました。一条君のおかげで優しい人たちだっているんだと気づけましたし、少しだけ生きる希望が湧いてきました」

「えっ——」


 俺は速水さんの顔を凝視してしまった。

 彼女はふっと相好を崩して、


「すべてを前向きに考えられるようになったとは言えませんけど、今はもう死のうとも死にたいとも考えていません。いろいろとご迷惑とご心配をおかけしました」

「そっか、よかった……! ありがとなっ」

「お礼を言うのはこちらですよ」


 速水さんはおかしそうに笑い、体をもたれかけさせてきた。


「えっ、ちょ、速水さん……⁉︎」

「嫌ですか?」

「い、嫌じゃねえけどっ……」


 肩口から上目遣いで見上げられ、俺は動揺してしまった。


「なら、もう少しこのままでいさせてください」

「お、おう」


 お、落ち着かねえ。

 好きな人にぴたりと寄り添われているんだから仕方ないよな……って、おい! ちょっと待て愚息っ、立ち上がるな!


 俺が命令をしても、ムスコは元気に主張を続けるのみでからっきし言うことを聞いてくれなかった。

 電車で注意しても大声を出してしまう子供に困り果てるお母さんの気持ちがわかった。


 かと言って速水さんを離れさせるわけにも、ポジションを直すわけにもいかない。

 ポケットに手を突っ込んでモゾモゾしてたら絶対バレるし。


 頼む速水さんっ、気づかないでくれ……!

 ——そんな俺の願いは、はかなく砕け散った。


「なるほど。確かに嫌じゃなかったみたいですね」

「うっ……!」

「ふふ」


 速水さんにズボンの上からイチモツをギュッと握られ、うめき声が漏れてしまった。

 速水さんはあやしげな笑みを見せた。


「やっぱり期待してたんですか?」

「い、いや、それはっ……やっぱり意識はしちゃうというか……ごめん」


 俺は誤魔化すことをやめ、素直に謝罪した。


「謝らないでください。昨日の今日ですから仕方ないでしょうし、意識してくれているのは嬉しいですから」


 速水さんは本当に嬉しそうに笑った後、顔を近づけてきて、


「——もしも一条君が望むなら、好きにしていいですよ?」

「っ……!」


 耳元でささやくように言われ、俺の全身に電流が走った。

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