第3話 いじめの全貌
さすがに痛いからとローションを使っていた
行為が終わった後も、冷静に使用済みのゴムを見つめながら、
「結構早かったですね」
「そ、そりゃ仕方ないだろ。気になる女の子とヤったんだから」
「……じゃあ、キスはできるのですか? こんな汚い顔を見ながら」
「速水さんは汚くねえしっ……というか普通、順番逆じゃね?」
「う、うるさいです! できないからってごまか——」
言葉の続きは消えた。俺の口の中に。
速水さんの目が大きく見開かれた。
「ヤってるときもしたかったけど、嫌かなと思ってしてなかったんだよ。何なら頬にもするけど?」
疑問系で言ったが、した方がいい気がして承諾も得ずに頬に唇を押し当てた。
「っ……!」
一回だけではない。
息を呑んで呆然としている彼女の左右の頬に、何度も。
「……これで、俺の気持ちがわかってくれたか?」
速水さんの瞳が揺れた。
信じられないものでも見る目で、
「ほ、本当に私のことが好きだったのですか……?」
「あぁ。だからもう、自殺とか考えないでくれ」
「っ……でもっ、辛いだけの人生を生きる意味なんてないじゃないですか!」
速水さんが泣き叫んだ。
こちらの胸が張り裂けるような、悲痛な叫びだった。
俺はボロボロと涙をこぼす速水さんの手を握った。
「なら、俺が速水さんを楽しませる」
「……えっ?」
速水さんは驚いたように顔を上げた。
「言ったろ、義務感じゃねえって。もちろん自己満でもねえし、自殺を止める以上は生きててよかったって思わせるまでが止めたやつの責任だろ。俺は速水さんに死んでほしくないから止めたわけじゃない。速水さんを幸せにしたいから止めたんだ」
「っ——」
速水さんは目を見開いて固まった。
驚きで涙は止まったようだった。
瞳に残った
「……歯が浮くどころか、風に煽られてどこかに飛んでいってしまうくらいのお言葉ですね」
「う、うるせーよ」
頬が熱い。恥ずかしいことを言った自覚はもちろんあった。
速水さんはうつむいて、
「でも、嬉しいです。そう言ってくれる人が一人でもいて……!」
その声に再び涙が混じっていく。
やがてダムが決壊するように、激しく
泣き終わるころには、速水さんの表情には少しだけ生気と感情が戻っていた。
大泣きしたのが恥ずかしかったのか、頬は薄く染まっていた。
恥じらう表情も可愛いなぁ。
「そういえば、
「えっ? あぁ」
やっべ、見惚れてた。
慌てて時計に視線を向ける。十九時半を回るところだった。
俺のような帰宅部であれば、普通ならとうに家に帰っている時間だ。
でも問題はない。
「友達の家に寄るって言っといたから大丈夫だ。夕飯もまだ作り始めてなかったみたいで簡単に許可してくれたぜ。実際、突発的に泊まることとかもあるしな」
「
「その二人だな」
彼らはクラスどころか学年でも有数の紛うことなき変人だが、同時に俺の数少ない友人でもある。
「……なんかいいですね、そういうの」
「あっ、ご、ごめん!」
俺は平謝りした。
人間関係に悩んで自殺しようとしていた人に対して配慮が足りなかった。
速水さんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「いえ、こちらこそごめんなさい。別にそういう意味で言ったわけではないですから、お気になさらず」
「お、おう」
沈黙が落ちる。
「……あー、なんだ。その……何があったのか、とか聞いてもいいか?」
「別に構いませんけど、気分悪くなるだけですよ?」
「言っただろ? 生きててよかったって思わせるって。そのためには根本を解決しねえと。どこまで力になれるかわからねえけど、よかったら聞かせてくれ」
「……一条君も物好きですね」
「つるんでるやつら見れば、物好きなのはわかるだろ」
「確かに」
笑みを見せた後、速水さんは自分の身に降りかかった数々の災難について話し始めた。
……前置き通り、いや、それ以上に気分が悪くなるような話だった。
彼女は以前からも、学年で幅を利かせている女子グループに「ボツボツで汚らわしい」とか「ニキビ女」とか「醜女の最高傑作」とか、色々な悪口を言われていたようだ。
それが、元カレに浮気されて捨てられてからますます酷くなったらしい。
「どうやら元カレは私がセックスしようと誘ったことをそのグループのやつらに言いふらしたらしくて、だいぶそれで色々言われましたね。彼の取り巻きも絡んでくるようになりましたし、最近はパシられたりもしてました」
「マジかよっ……!」
怒りが沸々と込み上げてくるが、それをぶつけるべきは速水さんじゃない。
むしろ、彼女にすべきことは、
「悪かった。俺、全然気づいてなかった……!」
「それは仕方ありませんよ」
速水さんはふっと頬を緩めた。
固く握りしめていた俺の右手を両手で優しく包み込んだ。
「今はクラスも違うわけですし、表立ってやるようになったのだって最近ですから。そうやって怒ってくれるだけで十分です。私の吹き出物を見て顔をしかめたり視線を逸らす人が多い中で、一条君は一年生のときから普通に接してくれてましたし、さっきも本当に嬉しかったです。だから、自分を責めないでください」
「お、おう」
俺の手を握るために速水さんは前傾姿勢になっていた。下から俺の顔を覗き込んでくる。
う、上目遣いはやばいって。
「……でも、結局はそいつらに嫌がらせをやめさせなきゃってわけだな。速水さんさえ良ければ、これからは学校で四六時中一緒にいるってのはどうだ? 証拠を抑えられるチャンスも増えて好都合だし」
「それはダメですっ」
速水さんが鋭い声を出した。
「それだと一条君までイジメの標的になってしまいます」
「別にいいよ。そんな性格悪いやつらと仲良くしたくもないからな」
「でも——」
「それに、その、俺としてはシンプルに速水さんと過ごしたいっていうか」
「っ……!」
速水さんが息を呑んだ。
彼女はそっぽを向いた。耳は赤かった。
「……もしかして照れてる?」
「て、照れてませんっ、タマ潰しますよ!」
「待て待てそれだけは本当に勘弁してくれっ」
俺は股間を押さえて懇願した。
速水さんはおかしそうに口元を緩めて、
「大丈夫です。本気でやるつもりはありませんから安心してください」
「よかった……俺もそんなクソ野郎たちに黙ってやられるつもりもねえから安心してくれ。それとも、俺と一緒に過ごすのは嫌か?」
「い、いえ、私としてはありがたいですけど……」
「じゃあ決まりだな。大丈夫、速水さんが心配するような事態にはならないから」
「……わかりました。お願いします」
完全には納得してないだろうが、速水さんは引き下がってくれた。
「ちなみに先生には?」
「実は今日の午前中、意を決して担任に相談したんですけど、全く取り合ってもらえませんでした。それは単なる事実を言われているだけでいじめじゃないって。それにそんな大層な話なら親から話を持ってこさせろって言われました。両親が私のためにそんなことをしない人たちだと知っているんでしょうね。仮にも担任ですから」
「えっ……マジで?」
にわかには信じられないほど酷い対応だ。
「マジです。さらには『不登校とか子どもじみた反抗はやめろよ。成績がどうなっても知らないぞ?』とも脅されました」
「はっ? なんだよそれ……!」
俺は奥歯をギリギリ噛みしめた。
勇気を出して相談したいじめの被害者を、あろうことか担任が突き放すなんてあっていいはずがない。
これでもし速水さんが自殺してたら、そいつがトドメの一撃を刺したようなもんだぞ。
決めた。明日、そのクズを問いただそう。
そして速水さんをいじめていたクソ野郎たちともども、報いを受けさせてやる——。
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