【コミカライズ】婚約破棄されることがわかっていたので、先回りをしました。

有沢真尋

第1話

「やだー、殿下ってば。冗談はおよしになってください♡」


 甘ったるい声が食堂に響き、「またやってる……」と良識ある貴族の子女は眉をひそめて、それとなく顔を逸らす。関わりたくないとばかりに、食事の中途で席を立つ者もいる。

 関わりたくない。


(婚約者もいる一国の王子が、栄えある王立学院で、女子特待生入学の男爵家ご令嬢とはいえ、貴族のなんたるかという教育を受けているとは思えない女性と日がな一日睦み合っている姿など、皆さん見たくもないでしょう……。「不倫は文化だ」なんて言い出す大人もいますけれど、そういった貴族の嗜みとしての火遊びにしても、あくまで結婚してからが本番。学生時代に羽目を外すのは、粋でもなんでもありません)


 不倫を粋などとは思わないが。


 ジュリエットは公爵家の娘として生まれ、物心つく頃から「貴族かくあるべし」を厳しく厳しく教育されてきた。四年前、十二歳の時に第二王子ブライアンと婚約したことにより、さらに「王子妃とは」という課題がそこに加わった。常に値踏みするような視線にもさらされてきた。

 そのプレッシャーの中、不安は胸に秘め、不満はおくびもださず。

 顔を上げてまっすぐに歩んできた。


 決して、自分を「選ばれた人間」と思っていたわけではない。ただ、「出来ない」と投げ出す選択肢がなかっただけ。これまでも、こういった生まれでこういった役割だった数多の女性はなんとかやり遂げてきたことなのだから、と。

 その一心で、すべてにのぞんできた。

 しかし、当の婚約者であるブライアンには、「王族かくあるべし」という認識が著しく欠けていたらしい。


「アデレイドは本当に可愛いなぁ。そうやって誰にでも甘えて、おねだりしているんじゃないか?」

「もー、殿下ってば、疑り深いんだからぁ♡ 殿下だけですよぅ、信じてください♡」


 鳥肌。

 耳にするだけで身の毛もよだつ会話が繰り広げられている。


(アデレイドさん、露出は少ないけれどお胸も大きくて、殿下の目は釘付け……。二人だけの世界……)


 イチャイチャという効果音すら聞こえそうな近さで「あーん♡」とフォークに刺した苺をブライアンの口元に差し出すアデレイド。その手首をすばやく捕まえ、「おっと、間違えてアデルの指を食べてしまいそうだ。可愛い指……」としまりのない顔で言うブライアン。「殿下のえっち」「あっはははは」「うふふふふふ」誰か消音ミュートの魔法使えないの?


 ドン引きした他の生徒たちはすでにほとんど退避してしまっている。

 これは婚約者である自分がどうにか収拾をつけねばと、頭痛を覚えながらジュリエットは二人の占拠しているテーブルへと向かった。

 学校用にと仕立てた、上品で簡素、派手さのないモスグリーンのドレスの裾をさばいて、礼をする。


「ごきげんよう、殿下」

「おっ、ジュリエット。いたのか。何か用か?」


 婚約者に見られたことすら、なんとも思っていない能天気さでブライアンは鷹揚に返してきた。

 言葉遣いや所作、表情に至るまで、その品の無さには言いたいことがたくさんあった。だが、ジュリエットがそのとき光の速さで悟ったのは、アデレイドの豊満な胸に屈服したこの男には、何を言っても無駄ということ。無駄無駄無駄。ブライアンには微笑みかけるだけで終える。

 すっと息を吸って、ジュリエットはアデレイドへと視線を向けた。


「こんにちは、アデレイドさん」


 アデレイドはふわふわの金髪に青い瞳で、顔にはけばけばしすぎる化粧を施している。下品すれすれだが、際どいところで華やかという印象が勝つ。ジュリエットと視線がぶつかると、にへらっと人好きのする笑みを浮かべた。


「こんにちは、ジュリエットさん。今日も美人ですね」


 流れるように。

 よもやのお世辞を言われて、ジュリエットは咄嗟に奥歯を噛み締めた。決して、驚いた表情など見せるものかと。


(この方、相手が私でも臆面もなく……! 私ですよ、私。あなたがいま狙って落とそうとしている目の前の男の婚約者!)


「褒めてくださってありがとう。ところで、アデレイドさんはいまからお時間あります? 私と少しお話して頂くことは可能ですか?」


 笑みを絶やさず、あくまで優雅に。

 ブライアンに話をしても無駄である以上、話をつける相手はアデレイドしかありえないと、ジュリエットは誘いかける。

 途端、アデレイドは両手の指を胸の前で組み合わせてぱあっと顔を輝かせた。


「わぁ! 私とジュリエットさんで、ですか!? 嬉しい!! ずっと話してみたかったんです!!」


 目覚ましい速さで、席を立つ。

 ブライアンが面食らった様子で「アデル?」と声を上げたが、アデレイドはずんずんとジュリエットのそばまで距離を詰めて、見下ろしてきた。


(あっ……、アデレイドさんって、いつも可愛い動作でぶりっこしてるからもっと小さいと錯覚していましたが、こんなに背が高かったの……?)


 何しろベタベタと寄り添っているブライアンも背が高いので目立たなかったようだが、ジュリエットは視線を上向けることになった。

 アデレイドはブライアンを振り返り「また会いましょうね!!」と愛想よく言ってから、ジュリエットに笑いかけてくる。


「それでは、行きましょう。すっごく楽しみっ。手、つないで良いですか?」

「だめです。どうして私とアデレイドさんが手をつなぐんですか?」

「だめなんですか。ちぇ~」


(一人の男性を挟んで、婚約者と浮気相手ですよ!? その態度は一体……、呼び出された時点で「小言かな?」「決闘かな?」くらい身構えてくれないんですか……!?)


 ときならぬアデレイドの上機嫌に内心動揺をしつつ、ジュリエットはその場を辞することをブライアンに伝え、アデレイドと連れ立って食堂を後にした。


 * * *


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