第5話 相対す

さて、何はともあれ、彼女と仲良くなりたい。




 すでに家に連れ込むことには成功しているからハードルは限りなく低いとは思う。


 でもこれは何か事情があるからである可能性が非常に高い。


 ここから心を開かせるまでの難易度たるや。想像するだけできつい。




 とりあえず、ジュースでも持っていくか。


 紙コップを手に、恐る恐る彼女に近づく。




 ソファですっかり眠りこけていて、可愛らしい。


 この見た目通りの子なら、悩むこともなかったのにな。


 今更言っても意味がないことだ。




 俺は一瞬、目を瞬いた。


  気を抜いたと言い換えてもいい。




 いきなり俺の目の前に、鈍く光る槍の穂先が出現した。




 それは見るからに鋭くて、一突きで容易く俺の命を奪ってしまうだろう。




 刃を見ないように、その向こうに視線を移す。




 容易な仕事じゃなかったが、なんとか、やり遂げた。




 槍を構える彼女は、こちらを、無表情で見つめていた。


  いつの間にか姿勢は戦闘態勢だ。


 あの一瞬で飛び起きて槍を突きつけたのかよ。やばすぎる。




「俺は敵じゃない。」




 両手を上げて敵意がないことをアピールする。




「槍を下げてくれ。」




 いまだに心臓がばくばくと音を立てて鳴っている。

 命の危険なんてもの、今まで感じたことはなかった。


 彼女と槍先。視線が往復してしまう。


 彼女はこちらを訝しげに見てきたが、ほどなく納得したのか、槍を下ろした。


 ⋯⋯この槍、どこから持ってきたんだ?




 技能に収納って書いてあったから多分そこだな。考えに入れとくべきだったか。




 過ぎたことは仕方ない。








 今からでも遅くない。どうにかしてコミュニケーションを取るんだ。


  いけるだろ。


 さっきは大丈夫だったじゃないか。


 死の恐怖に震えた心を鼓舞する。






「君が家に行っていいと言ったんだろ?」




『なんのこと? ここはどこ?』




「ここは俺の家だ。」




 あの時の受け答えをまるっきり忘れてるみたいだぞ。そんなの俺が怪しまれるに決まってるだろうが。




『ちょっと待って。⋯⋯思い出した。』




 彼女が言って俺はホッとする。


「じゃあ。」


『ちょっと待って。これだけ聞かせて。』


 彼女の雰囲気が変わる。

  闇が彼女の青い海色の瞳を染めていくような感覚だ。


『あなたは⋯⋯。私に、何をさせたいの?』


 その言葉は予想外で、そして、深い絶望が刻まれているように思えた。

 最初にする質問がそれかよ。

 これまで彼女は利用されるということしかなかったのかよ。

 これは俺の想像でしかない。

 でも、彼女の態度は、それがそこまで外れていないことを示していた。

 遣る瀬無さと無力感が俺を締め上げる。


 小首をかしげて、彼女はそんな俺を見ていた。全てを諦めた目だった。



「俺は、お前に何かさせたりしない。お前のやりたいことをしろ。」




『へ?』






 意味がわからないのか、彼女は目を細める。






「何かないのか。あそこに行きたいとか、これを食べたいとか。」




『なんでそんなこと言うの。私は化け物なんだよ。』




 その葛藤はさっきやった。




「お前が化け物でも構わない。」




『そう。』




 だから、彼女になってくれ。そう言うのは流石に早すぎる。俺は堪えた。






 ぐうぅ⋯。




 腹の音がした。 俺じゃない。なら、彼女だ。


 お腹の音だな。


 恥ずかしがってくれると可愛いんだけど。




 彼女はやっぱり無表情だった。


 ただ、こちらを見つめる視線の圧力が増した気がした。




「飯作るからちょっと待っててな。」




『っ!』




 どう見ても喜んでるよな。それがわかるだけで嬉しい。


 何にするかな。お腹が減っている人に食べさせるなら、肉じゃがかな⋯⋯。


 作るの簡単だし。お腹にも優しいはず。


 一人暮らしで上がった料理スキルを使うべき時だ。




 手際よく済ませていく。


 ご飯も炊いとくか。非日常で忘れていたが、もう夕食の時間だ。


 俺もお腹がすいてきた。




 彼女はソファにちょこんと座っていた。膝立ちして、いつでも動き出せる姿勢だ。




「そんなに構えなくてもいいんだけど⋯⋯。」




『いつ襲われるかわからないから。』




 彼女のこれまでが気になって仕方がない。


 でも、それはおいおい知っていけばいいだろう。




「今は大丈夫。ほら、飯できたよ。」




 配膳していく。ご飯、肉じゃが、和え物。


 豪華とはいえないけど、俺もそこまで上手ってわけじゃないから仕方ない。




「召し上がれ。」




 向かいに座って、促した。




「いただきます。」




『⋯⋯? 食べるよ。ありがとう。』




 彼女は俺が手を合わせるのを見て首を傾げていた。


 いただきますをする習慣がないのか。やはり外国人なのかな。




 彼女は箸を迷わせていた。フォークを持ってくるべきだったか。




 ちょいちょいと肉じゃがをつついている。


 恐る恐るという感じだ。肉じゃが食べたことないのかな。




 俺が食べて見本を見せよう。




 箸を操って、じゃがいもを頬張る。自画自賛になるけど、美味しい。


 自分好みの味付けだし。いい感じの火加減だ。




 俺の様子を見て、納得したのだろう。彼女も食べ始めた。


 思っていたより箸づかいが上手い。日本人とは思えないんだけどな⋯⋯。


 レベルの高さに任せて技量でなんとかしてるのかもしれない。




 一口食べて、しばらく静止して、もぐもぐと味わう。


 表情が変わったと思ったら猛然と食べ始めた。




 美味しいってことか? 嬉しいな。




『ん。』




 茶碗を差し出された。おかわりが欲しいらしい。




「了解。」




 ちょっと笑いそうになって、怪訝な顔をされた。






 お腹がいっぱいになったらしい彼女は、ソファで丸まって眠り始めた。


 気まぐれで、猫みたいだ。




 片付けをしながら、横目で観察する。すやすやと、疲れを癒している。


 眠ってくれるのは、俺を少しは信頼してくれた証なんだろう。




 ちょっと嬉しかった。




「調べてみるか。」




 彼女から事情を聞くのは明日でいいだろう。


 俺はパソコンを立ち上げて、検索を始めた。


 やっぱり、彗星は話題になっているようだ。




 彼女の名前で検索してみる。


 トライヘキサ




 一件だけ、ヒットした。


 7年前、アメリカの宇宙船の乗組員として、その名前を持つ13歳の少女が選ばれたらしい。




 その子の写真もあった。褐色白髪。彼女と同じ特徴だ。面影もあるような気がする。


 だが、世界の全てに絶望したような焦点があっていない瞳が、彼女を別人のように見せている。




 ⋯⋯どういうことだ?


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