第6話  第四部  最後の相撲大会


 中学校を卒業すると社会人として扱われることも多くなる。高校生になったとしても社会人になったとしても、中学卒業は大きな変化をもたらし、人生を変えていく。大人への階段と呼ぶべきものがあるのなら、中学卒業は一つ目の階段を登り切って、新しい階で生きることになったというところだろうか。それに対して小学生は、卒業しても中学生としてまた一から物事がはじまるのだから、同等に考えることはできない。だが、あえて言うならば、小学校を卒業するということは、階段の途中にもうけられた踊り場にたどり着いたところなのかもしれない。六年生になると、一つの区切りを迎えるのだという気持ちが自然と生まれ、次のステップである中学生に向かって自分を変えていくのだという雰囲気を、みんなが醸し出し始めるのだ。

六月の相撲大会。今年が最後のチャンスだという強い思いで僕たちは臨んだ。僕たちはかなり元気の良いクラスで、放課後の野球でも中心メンバーを占めていた。担任の先生も僕たちのクラスだけ持ち上がりではなく、六年生になるときに「熊」というあだ名の無口だがなかなかこわい先生に替わった。ひげ剃り後が真っ黒で縦にも横にも大柄な先生だ。体力自慢の僕たちでもちょっとかなわないパワーを感じさせる先生だった。そんな「熊」が無言になったときの目は、ちょっと、はむかえない雰囲気を持っていたのだ。5年生の時に担任だった上野碧という女の先生は低学年を担任することになり、今年やってきたばかりの「熊」が一年間だけの担任となった。つまり、当時の僕らはかなり手を焼く学級だったということだ。


洞爺湖と定山渓を旅した修学旅行を終え、ますます学級のつながりが強くなった僕たちにとっての最後の相撲大会の朝、「今年こそは」という思いが僕たち五人には満ちていた。だが同時に、誰もがその重責に体を縛り付けられていた。もちろん僕たちだけではなく、他のみんながクラスへの帰属意識を高めていた。期待の言葉もずいぶんとかけられた。そして今もクラスからの声援がうるさいほどだ。唇を何度もなめ回すやつがいた。普段よりもずっとおしゃべりになってしまうやつもいた。僕も緊張で膝が震え、ちょっと前からまた腹痛がやって来ていた。一番背が高いからという理由で大将役の五番手を任されているのも腹痛の大きな理由だった。それでも、この年の六年生たちは、昨年見た大鵬の土俵入りのようなかっこいい振る舞いを目指していた。蹲踞の姿勢も背筋がしっかりと伸びた堂々とした形を作っていた。これは、敵味方なく六年生の出場者みんなで約束したことなのだ。

「オレたちは大鵬の後輩だからな……」

 決勝までの三試合、僕たちは接戦をものにして何とか勝ち上がったのだが、初戦から二対二の大将戦に持ち込まれるような厳しい展開だった。他の学級の子たちもこれが最後なのだと意気込んでいるのは同じで、参加している誰もが、そして応援する学級の仲間たちも去年とは全く違う熱い気持ちを持っていたはずだ。そんな中でも、特に僕たち五人は去年の負けを取り返そうとする思いがほかの学級の選手たちよりも強かった。そのせいかみんな力が入りすぎていた。気持ちだけが空回りしているというやつだ。大将戦の相手は大柄な住吉大悟。八興会館の道場で柔道をやっているが、毎日グラウンドを走り回っている僕らから見ると動きが鈍すぎる。去年も対戦して上手投げで勝っている相手だ。僕は彼のようなタイプを得意にしていたので立ち会いから自信を持ってぶつかっていった。体重は10キロ以上も重いはずだが、不思議なことにこいつはあんまり勝負に執着がないようで、一度目のぶつかりですぐに体が起き上がった。柔道では相手の襟をつかんで向き合うと強さを発揮するようだが、相撲の立ち合いでは、下から相手をかちあげるので何にもできなくなってしまう。立ち上がってしまった相手に体に寄せると、すぐに腕が上がって両脇ががら空きになった。そこから簡単にもろざしになり胸を合わせると、彼は何もできずにあっさりと土俵を割った。

「アー!」

一斉に何人ものため息がやってきた。

「なんだよー!」

彼のクラスの田中幹夫が大きな声で叫んでいる。一緒に野球をやっている彼は、選手に選ばれなかったことを随分と悔しがっていたのだ。

住吉からは勝つという気持ちが感じられなかった。柔道着を着ている時だとこの結果は反対になるのだろうが、それだけではなく、誰もが不満の声をあげたくなるような気持のなさが伝わっていた。

「よし!!」「いいぞ!」

僕の仲間たちは、何とか次に進めた喜びと安心感を大きな声にのせていた。

「次はもっと楽にやらせてくれよ」

これは僕の強い思いだ。

客席の父母から大きな拍手をもらい、僕らのクラスは一回戦を勝ち上がった。二戦と三戦は先に三勝目を上げていたので、楽な気持ちで土俵に上がることができたのだが、三戦目はまたしても20センチも背の低い相手に潜り込まれて負けてしまった。

 決勝を前に勢いづいた仲間を前に、僕のプレッシャーはますます大きくなっていった。唇が乾き、心臓のあたりに何かが住み着いてしまったような、じっとしていられない気持だった。今年の相撲大会最後の取り組みが始まった。決勝戦だ。六年生にとっては小学校生活最後の相撲となる。僕たちにとっては最初で最後の決勝戦だ。応援席の観客達も今日一番の盛り上がりを見せ、担任の先生方や、行司や審判役の先生方もムードの盛り上げ役をうまくこなしてくれていた。平日にもかかわらず、僕たちの母親も後ろの席に並んでいる。

日本アスパラガスの加工場で、今で言うパート勤務をしていた母は同じところで働く山本君の母親と一緒に三列目の席に座っている。アスパラは岩内町周辺の農家が日本で初めて栽培したものらしく、アスパラの工場も岩内の名物だったのだという。そこでは母たちはホワイトアスパラガスの缶詰作りの作業をしていたらしい。母は、運動会のリレーの時にも必ず見に来てくれた。今日はリレーの時とは違いすぐ近くに母の顔があった。運動に関すること以外には自慢できるもののない息子だったから、運動会と相撲大会は母にとっても楽しみな日だったのかもしれない。

決勝はやっぱり接戦になった。どちらのクラスも最後の相撲大会を勝って終わらせたいに決まっている。どちらの学級も当然、全力でぶつかり合った。

先鋒の「タカ」こと高橋雅弘は小柄なすばしっこいやつで、この大会は無敗でここまで来た。勝ち気で調子に乗りやすい彼は、今も自信満々に土俵に上がっていった。野球をやっていると、こいつは敵にとっていやな選手だ。バッターボックスでベースよりに小さく構え、前足を小刻みに動かしてタイミングをとる。こうするとピッチャーは投げにくくなり、四球で出塁することも多くなる。そして、塁に出るとバッターボックス同様、得意の足でかき回す。足が特別速いわけではなく、細かな動きを繰り返してピッチャーを揺さぶるのだ。そのうえ足だけではなく、その口もよく動くやつなのだ。どこのチームと対戦しても、いつもピッチャーに嫌われる、そんないやらしい一番バッターだった。中学の野球部でも、打てない二塁手ながらレギュラーを外れたことがなかった。盗塁で失敗したことがないというのが、彼の自慢だった。

立ち会いすぐに横に回り込んだタカの動きに相手はついていけない。半身にさせてまわしを取ると相手の左足が浮き、すかさず体を開いて上手投げを決めた。勝ち名乗りを受けている彼の蹲踞の姿が自信に満ちていた。背中が伸びて真っ直ぐに前を向いている。「よっしゃー!」と吠えながら土俵を降り、彼は両手を挙げてポーズをきめた。

次鋒は、準決勝までと順番を変えて、これも今まで無敗の武藤拓也が土俵に上がった。一年中真っ黒な「タク」には「オズマ」というあだ名がついていた。野球の時も一塁を守っている。「巨人の星」のオズマのように筋肉質の体は、時に予想外の打球を飛ばすことがあった。小学校に入学する前から父親と一緒に漁に出ていた彼の腕力は野球仲間の腕相撲大会でも一番だった。四年生の頃には、父親の乗る磯舟と呼ばれる小型の舟を長く大きな櫂を操ってウニやアワビを捕る手伝いをしていたのだという。この試合でも彼の腕力が相手を上回り、土俵下まで突き落として勝ったのだ。学級の仲間達は大騒ぎをしている。後一勝すれば優勝なのだ。去年の雪辱を果たす時が来た。

中堅の俵光弘が土俵に上がった。彼は「ミッツ」と呼ばれていた。タクとは対照的に色白なミッツはひょろりと背が高いこともあって強さを全く感じさせない。だが、外見に似合わず腕力が強い彼は吊り出しが得意で、投げよりも吊り出しで勝つことが多かった。そして、正面からのぶつかり合いには強さを見せるのだが、動きの速い相手には対応することができない。この日の相手は一番苦手とする小柄なやつだ。順番を変えたのが彼にとっては裏目に出てしまった。立ち会いから回り込まれて、足をすくわれ、何もできないまま土俵に転がってしまった。これで2勝1敗。

副将は山田将大。大将をあえてひっくり返した名前がそうさせたのか、体は大きいが気持ちの小さな「マサ」と呼ばれるキャッチャーだ。ピッチャーはこいつを相手にして投げると的が大きくて投げやすい。何よりもマサはキャッチングがうまかった。キャッチャーミットは肉厚で固くできているので、ボールをしっかりとミットの中までおさめてしまうことが思いのほか難しい。手のひら全体に力を入れてしっかりと包み込むように握ってやらないと、ボールが弾んでしまってミットからこぼれてしまうことがあるのだ。マサはそこでしっかりと握り、ボールをミットの中におさめることのできるキャッチャーだった。

だが、ちょっとボールがそれてしまうと動きの鈍い分パスボールも多くなる。マサの得意は正面からのぶちかましと押っつけや突き出しだ。これがまともに決まると相手は一瞬で土俵の下へ……、となるはずだが、何しろ動きが今ひとつで、野球の時と同じように、変化する相手には少々対応しきれず、……やはり、相手は正面から当たると見せかけて右手でマサの左肘を押し上げた。マサはくるりと背中を見せてしまい、そこを相手が押したもんだから、前のめりにつんのめってそのまま両手を土俵の外へ着いて腹ばいになってしまった。

「あー !」

それ以上は声にならない仲間達。マサの顎には砂がべっとりと張り付いている。俯いたその顔には、ごま塩のようなひげに覆われていて急に年老いてしまったようだった。

二対二で大将の僕のところへ回ってきた。心臓が乾燥してカサカサになってしまったようだ。なんとも落ち着かない。唇の水分が蒸発してしまったようだ。今年の全てを決める一戦となってしまった。急にのどの渇きを覚えた。リレーのアンカーならば負けている分だけ追いかける力が出るものだし、リードしているときは、リズムにさえ乗れば逃げ切れる。しかし、相手との一対一の戦いに勝たなければならない大将戦は、この上なく大きなプレッシャーとなってのしかかってきた。自分だけの勝ち負けでなく、クラスの勝利がかかってしまった。しかもそれは「優勝」という名の大きな重しとなった。朝からの腹痛がまたやってきた。校長先生や来賓の座る役員席の前に置かれた真紅の大きな優勝旗と箱の上にのせられている銀色の優勝カップが、異様な存在感を示して僕の目にちらつき始めた。名前を呼ばれ、土俵に上がろうとしても、膝がうまく機能してくれなかった。

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