第3話  第二部 『野球するべ!』


「背たげーな。なんぼあんね?」

「おめ、おんちゃ、いねのが?」

「あしはえ?おれ、徒競走いっつも、げれっぱなんだで。おめ、足はえ?」

「んだら、明日な!せばー!」

転校生の僕のことを知りたくて話しかけてくれるのだろうが、男の子も女の子もみんな早口だ。この日からしばらく、僕は言葉の違いに悩まされた。以前住んでいたところは車だと一時間程しかかからないところなのに、使っている言葉はずいぶんと違う。東北地方の方言から派生したらしい北海道弁の中でも、函館系や青森系や秋田系や他の地域の流れをくんだ言葉など、言葉自体のちょっとした違いやアクセントや発音の違いがある。

目を三角にした相手が「あやこの!」なんて言ってきても僕にはわからなかった。体育の時間に「うだでこえな!」と言うのが口癖の柳田君がいて、なんとなくその意味がつかめたくらいだ。僕が珍しく勇気を出して何か話すたびに、にやにやした顔や、ちょっと驚いた顔を向けられる。そうすると、もう声を出すことが恐ろしくなってしまった。話を挟めるタイミングを待ち、自分が考えられる限りの丁寧な言い方や、上品だと思う話し方をしようとしてだんだん言葉が出なくなってしまった。丁寧な言葉は女の子の言葉で、男が使う言葉としておかしいのだ。そんな思いが周りの子たちには強くあったらしい。


「野球やるべ?」と誘ってくれたのは、和田という同級生だった。彼は新しく住むことになったアパートの向かいに住んでいる。双子だった。

「男女の双子は二卵性だからあんまり似てない」と彼の母が言っていたとおり、「姉」はほっそりとした父親似で、彼は丸くふくよかな母親とそっくりな顔をしていた。

「野球やるべ!」は「友達になるベ!」という意味になる。和田のこの言葉をきっかけに近所にいる子供たちの集まりに入っていくことが多くなった。三年生の僕と和田が一番下で、中学生もいる。夏休みには町内のソフトボール大会に出るという。

そして、同じようにして学校でも野球をやるようになった。野球は得意だった。前に住んでいたところでも男の子たちはみんな野球をやった。もっとも同じ年の子どもは一人か二人しかいなく、小学校入学前の子から、中学三年生までと年齢差は大きく、子どもという範囲は随分と広かった。手作りのボールもバットもあった。全員分の道具がそろわないこともあったので、使い心地のすこぶるよくない手作り品でもちゃんと役に立った。そして海沿いの小さな町に広場はなく、僕たちは道路で野球をやっていた。でも、ここでは小学校の立派なグランドが使える。バックネット付きのダイヤモンドがある。しかも、低く小さいながらテレビの野球中継でしか見たことのなかったマウンドだってあるのだ。

毎日毎日放課後は夢中になって野球をやった。他の学年とぶつかるときにはグラウンドを二分割して背中合わせで使った。雨が降らない限り、雪でグラウンドが使えなくなるまで、放課後は毎日野球をする。みんな野球に夢中だった。そうそう、バックネットの裏にはベースを収納する小屋まで作ってあったっけ。

今の時代だと学校のグラウンドで遊んでいたら、きっと、早く帰りなさいと先生に言われるのだろう。もしかしたら、放課後にグラウンドに立ち入ることすらできないのかもしれない。ましてや、親子でキャッチボールなんかやらせてもらえない状態に違いない。私たちが今住んでいる近所の小学校でも、放課後のグラウンドに子供たちの姿を見ることは稀でしかない。

でも当時の僕たちにとって、学校のグラウンドは放課後の遊びのために存在し、僕たちにとって遊びの中心は野球に決まっていた。

「いっかい家に帰ってから来ねーとよ、先生に怒られっからな」

「さっさと来ねーば、バックネットとられっちまうべや!」

「こん次、学級対抗でやっからな。おめーの球、今のうちに慣れておっからよ」

そうやって毎日放課後を校庭で過ごすうちに、今までずっと喉の奥でくすぶっていた言葉に対する恐怖感はどこかに消えてしまっていた。僕の周りにいるのは、雨の日以外は必ずグラウンドに集まって野球をする。そんな子供たちばかりだった。野球をするのに言葉の違いを考える必要はなかったのだ。


そのグラウンドの一角に屋根付きの立派な土俵が造ってあった。バッターボックスに立つと、ちょうどライト側のファウルグラウンドにあたる場所にそれはどっしりと存在していた。土俵の後ろには小学校のグラウンドにはつきものの遊具達があり、何度も落ちて体中にアザを作った鉄棒は校舎と平行に並んでいる。普段は、誰も土俵を使うことはない。休み時間に相撲のまねごとをする生徒もいなかったし、その上を遊び場にすることもなかった。この土俵をきっかけに、僕の新しい母校があの大鵬と関係していることを知ることになった。


 転校前の学校に佐藤幸喜という一つ年下の「同級生」がいた。名前の由来が「大鵬幸喜」からであると聞いた。彼の母親は、ことあるごとに息子の名前の由来を話して聞かせるのを喜びにしている人だった。大鵬を嫌いな人はいなかった。特に北海道では絶対的な人気の大横綱だった。

大鵬の本名は「納谷幸喜」と言い、母親の兄弟が岩内町にいたという。弟子屈町の出身であると大相撲のアナウンスでは紹介されていた。だが、樺太から引き揚げてきた納谷母子が最初に身を寄せたのは、母親の兄弟の縁からこの岩内町だったのだと聞いた。そして、岩内西小学校に入学したものの、まもなく継父の転勤にともなって、道東を巡り弟子屈で中学校を卒業した。そのため、出身地としては弟子屈と紹介される。でも、岩内西小学校が納谷幸喜少年の日本での出発点なのだという。そして、大鵬は私の叔母や祖父と同じようにあの引き上げ船で稚内に下船したために助かったうちの一人なのだ。その後、稚内から汽車を乗り継ぎ、岩内までやって来たのだろう。


「みなさん、この学校の校歌は、作詞が萩原生泉水で作曲は團伊久磨なんですよ。他の学校では考えられないほど大変有名な方々が作った歌です。ですからみなさん、この素晴らしい校歌をしっかりと歌いましょう。」

というのが、年配の音楽の先生の口癖だった。確かに今になって思うと、こんな歴史的な人物といえる人たちが校歌の作詞作曲者であることに驚いてしまう。だが、それ以上に現役の大横綱である大鵬が生活した学校に自分が通っていることに、何か特別な、優越感にも似た思いを抱くようになった。なんと言っても、あの大鵬がいた学校なのだから。普通じゃない。たとえ短い間とはいえ、大鵬もこの校舎の迷路の中を歩いていたのだ。


それでも当時の小学生たち、いや僕たちの一番の関心事は王と長島が活躍する巨人軍の野球の結果だった。

「昨日、大鵬勝ったべや」

「柏戸と優勝決定戦だとよ」

なんて言葉が学校で飛び交うことはなかった。

その代わりに、僕たちの周りに溢れていたのは毎朝のこんな会話だった。

「いやー、昨日の長嶋のホームランすごかったよなー。」

「おー、ライナーでレフトスタンド中段まで行ったよなー」

「あのよー、柴田のよー、盗塁ったら、すげーよなー」

「赤い手袋って、売ってんのかなー」

「堀内みたいに帽子脱げるとかっこいいよなー」

「いや、やっぱり王選手の一本足打法が一番いいべさ」

遊びの中心は野球で野球の中心は巨人軍で、中でも王と長島がお気に入りというのが野球少年たちのきまりごとだった。

「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が流行語になったきっかけは、昭和36年の堺屋太一経済企画庁長官の記者会見からだということをずっと後になってから知った。36年に初優勝を飾った大鵬は、38年には6場所連続優勝の偉業を成し遂げる。

それを少しさかのぼった昭和28年にNHKテレビが放送を開始し、37年には一般家庭のテレビ受信機数が1000万台を突破するまでになり、その数は急激に増え続けたという。カラー放送の始まる東京オリンピックでは多くの家庭がテレビ観戦に熱中するまでになった。

そんなテレビの急激な普及にしっかりとのって、プロスポーツが隆盛を迎えたのがこの時期だ。空手チョップで有名な力道山のプロレスから始まり、王、長島というスーパースターで勝ち続ける巨人軍の野球。32回という驚くべき優勝回数を誇る絶対的な大横綱である大鵬が活躍する大相撲。みんなテレビの前でその強さとかっこよさに夢中になった。そして、弁当のおかずは、高度経済成長下で物価が上昇する中でも安定した値段を維持したという「物価の優等生」卵焼き、だったのかもしれない。

 絶対的に強いものが求められた時代だったのだろう。そして、その象徴が巨人であり、大鵬であった。戦後の復興から高度成長経済へと突っ走っていた当時の日本では、それまで実現できなかったことがどんどんと実現されていく。暗くつらかった過去を忘れ去り、未来に向かえる空気が強く流れている時代だったのかもしれない。そんな中、限りない可能性が広がる明日へと向かい頑張るエネルギーをみんなが欲していたに違いない。そして頑張り続けることに付随するストレスを発散する対象が必要だったに違いなく、それが「巨人大鵬卵焼き」だったのだろう。そして、僕らはその「巨人と大鵬」のまっただ中にいる子供たちだった。

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