第四話 「変わりたい」

「これは君のものではない」 


 なぜか、直感的な本能で口が返した。勝手に口が動いてしまったのだ。その時、またもや相反する心が出てきた。


 一瞬左手で口を抑え、喋るのはもうやめようとする僕と、その直感に合ういい理屈を思いついてしまい、反論することで変わりたい僕。


 どっちの心を信じようか迷ったその時、本能がまた一足早く動き出してしまい、彼女にこうぶつけた。


「これは君のものではない。なぜなら、君は青色や紺色にすごくこだわっているから。君が今着ている、うちの学校のセーラー服は、赤いスカーフのタイプもあるのに、わざわざブルーのスカーフをつけている。君の羽織っている甚平らしき服も、ターコイズを基調としている。今話している途中に気づいたけど、君が履いている運動靴はシアン色、靴下は紺色。君はこんなにも青色系にこだわっているのに、赤いラインが入ったこれを所有しているのは腑に落ちない。だから、君のものではない」


 自分で言っておきながら、見苦しく、胸糞悪かった。これでは今まで通り、また人を怒らせたり避けられたりしてしまうことになるのは確実だろう。


 変わりたいと思うたびに負の循環に嵌まってしまうとは、指くわえて憎むことしかできず、皮肉だ。そのとき、心の内でまた自分を嫌い「変わりたい」とより強く思ってしまうのだった。負の循環を壊せないというのに。


 一方の彼女は何を考えたのだろう。右腕を伸ばして僕が持っている剣の柄を掴み、無理くり引っ張ってきたのだ。時間が過ぎたために、ゲームを取り上げてくる母のようで暴力的だ。


「は、な、し、て」


 だが気迫が強いだけで、何でもない力だった。


「嫌だ」


 変わりたいと強く思ってしまう程、またやってしまう。これこそがダメだというのに、なぜやってしまうんだろうか。

 

 また自分を恨んでいると、柄を引っ張っていた彼女は諦めて手を離し、嫌悪を露わにし始めた。眉間に皺を寄せて、僕の顔をしっかり見ながら


「本当にボッチって、なんでこんな理屈っぽくて、いざ欲しいモノ得たら馬鹿力出るの。ほんとキモい」


 彼女は、柄を返さない僕が嫌いなだけでなく、僕のようなボッチと関わることも嫌いなのか。


「それに、あんたがそれ持ってても何の役にも立たないでしょ。返して」


 これが柄を返す最後のチャンスだ。しかし、暴走した本能はそう判断させる猶予も与えてくれなかった


「死んでも返さない。なぜならこれを手放したら、僕が変われなくなるから!」


 今まで以上に、一つ一つの語気を強め、この言葉をしっかりぶつけてしまった。もう、戻れない。これに従う以外の道が残されている気がしない。そんなに本能が我儘になってでもこの柄を得たいというのならば、諦めて身を任せてみることにした。


 本能はこう囁いていた。



 アーサーが引き抜いて王に変わったように、僕も何かが変わるはずなんだ。だから、せっかく見つけたこの希望を、絶対に渡さない。この思いは、正しいんだ。



 こんなに幼稚で嫌な奴が今の僕なのかと絶望し、やっぱり抗って返そうとしたその時。彼女はさらに頭に血が上り、眉間に皺が寄り、口が締まっていった。全力で睨み始めたのだ。それはあまりにも禍々しく恐ろしい雰囲気を放ち、何か動いただけでも駄目な気がした


「『変われなくなる』?あのねえ、あまり人に慣れていないような、緊張しすぎて語気が強くなっちゃうしゃべり方。ほんと気持ち悪い。しかもそんな奴と揉めるなんて最悪。ましてや、揉める理由が『変われなくなるから』だなんて。イタいわ」


 人として大事な何かが切れたのか、何も構わず罵倒する彼女。


 それに反応して本能はうるさく叫び始め、心に発狂させてきた。無視しようとするほどに強くハウリングし、従わなければ気がどうにかなりそうだ。さらに今度は心臓や頭に反響してきたので、本能がどう考えているのか整理してはっきりさせようと、今度こそ身を任せてみた。


 本能は、こう唸っていた。



「変わりたい」という僕の希望は、とことん踏みにじられた。自分が心から正しいと思ったことを言っては、また否定される。こんな感覚、前にもあった気がしてならない。


 あれは、中学の頃だ。


「ねえ、いじりは良くないよ!」


「授業中しゃべっちゃダメ!」


「お腹からワイシャツ出てるよ!」


「勉強は大事だよ!」


「あれ面白い!」


 そんな言葉を言うたびに、和気あいあいと話し合うクラスメイトは静かになり、一気に表情をストーンと変え、あるいは人によっては耳を自らの指で栓をして、視界に僕の顔を入れないようにしてくる。


 あいつをいじってて楽しかったのに、うるさ。

 授業中のおしゃべりも、教師のチャックが開いていることに気づいたときなんかは楽しいのに、うるさ。

 お腹からワイシャツ出ていた方が、風通しがよくなって夏場でも涼しいからいいだろ、うるさ。

 勉強はあまりにも面倒くさいのに、うるさ。

 いや授業で学んだ内容のあれはどこがおもしろいんだよ、うるさ。


 みんな何も言わずに黙り、僕を見ないようにし、まるでこう言っているみたいだった。そして、そんな空気感を打ち出す空気砲を作り、僕をその場から吹っ飛ばした。

 

 さらに、二度と近づいて来ないように「距離をつくる」「極力関わらない」「避ける」という電気柵を張っていた。

 

何回も吹っ飛ばされるうちに、電気柵に触れてでも、自分が正しいと思うことをやるのは。

 

 中学一年生を最後になくなった。


 それが柄を見つけた今、もう一度正しいと思えることを貫こうと思えた。電気柵を握りしめてでも立ち向かうことにした。


 だから、この柄は彼女のものであろうと、彼女に渡さない。



 柄を見つけてしまったばかりに本能は、残酷な思い出を引っ張り出してきており、人として間違ったことをしてでも、昔のように正しいと思えたことをするつもりだったようだ。そう気づいたとき、遂に決めた。


 やっぱり本能には従うべきではない、と。


 何も変わろうとしないどころか、むしろ中学の時に戻ろうとしていたのだ。負の循環に陥ってしまう原因は、ここにあった。憎むべきものは自分ではなく、本能であるようだ。


 ようやくしがらみを振り払って、落ち着いた気分で柄を返そうと差し出せば、彼女はさらに言葉を続ける。


「あんたみたいにボッチな人は、受け身って相場で決まってんのよ」


 受け身という言葉に、なにかがぴったり当てはまるような感じがした。


 その時、「何の罪で牢屋に入れられているのだろうか」という疑問を思い出したのだった。


 僕の学校生活は、孤独を味わわせる独房。そこに、受刑者として収監された罪。


 それが「彼女のような人に吹っ飛ばされ続け、電気柵の痛みに耐えられなくなるうちに受け身になりすぎてしまったこと」なら、悔しいことにどう考えても、今までの辻褄が合ってしまう。


 せっかく本能から逃れられたはいいものの、残ったのは、本能が無くなったことで殻から破れなくなった心のみ。憎むべきは、受け身の自分だったのだ。


 今度こそ負の循環から解放されて変われると思った矢先、まだ負の循環から逃れることができないことに悔しさで胸が詰まった。

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