熊かも

壱原 一

 

さっき調べてみたら既に閉鎖していたので、節目と思って書いています。


小学生の頃に家族や親戚達とキャンプ場でテント泊をした時の話です。


夜に焚火でマシュマロやするめイカやビーフジャーキーやチーズを炙って食べたり、花火をしたり星を見たりカブトムシを観察したりして楽しんで寝ました。


日中は釣りと川遊びをしたので流石に疲れていて、すぐに寝付いたのですが夜中に目が覚めてしまいました。


*


麦茶やスポーツドリンクの飲み過ぎか、普段と違う環境でわくわくし過ぎているのかなと思うともなく得心しました。


けれど深緑色の大きなテント越しに、寝静まったキャンプ場の辺縁でそよぐ梢の音や、そこかしこで鳴く鳥や虫の声、低く力強いぶーんという羽音を立てて虚空を飛び駆けて行く甲虫の音などを、天から地まで四方八方のダイナミックな臨場感で堪能していると、どうも自分はただ独りでに目が覚めたのではないらしいと気付かされました。


下草の生えた土の上で物を引きずる音がします。


深緑色の大きなテントの中では、入口から見て左から順に妹と父と自分が並んで寝ていました。自分はテントの右端でテントの壁を向いて、すなわちテント越しに野外を向いて横倒れに寝ていて、音は自分の正面の遠くの方から聞こえてきました。


こちらへ進んで来ていました。


聞こえ方からして地面から物の天辺までそう高くはなさそうでした。寝ている自分が軽く片腕を掲げれば十分たりる位の高さと感じられました。


キャンプ場にありがちなクーラーボックスやコンテナの、引きずったら土が掘り返されそうな頑丈さや、内部の隙間に反響して音が籠もる様子も窺えません。


もっと密度とか質量とか柔軟性とか弾性とか、そう言う類の物の性質を連想させる聞き心地で、自分の頭に閃いたのは、かさばらないようギュウギュウに詰められた大きなテントの収納袋が丸太のように引きずられている絵面でした。


すると先頭に人が立っていて紐でも引いていそうですが、その音はどう耳を澄ませても単独で、他に連動する音はなく、しかも一定で絶え間ない。まるで安定して自走している何やらの機械めいていました。


ラジコンのおもちゃ位しか思い付きません。でも先の通り音には籠もった所がなくて、きっと地面に底を接し、特につかえる凹凸はなく、下草の生えた土の上を着々とこちらへ進んで来ています。


ここで、顔を向けている方角、音の進み来る方角に、昼間あそんだり釣りをしたりした川があると思い出しました。川幅が広く、水量が多く、少し下ると子供も安心な水位の綺麗で大きな沢に出られる素敵な川です。


川の対岸はこんもりした山林で、道が整備されていないし熊が出るかもしれないから絶対に近付いちゃだめと言われていました。


熊かも。


*


今思えば地面に底を接し一定で絶え間なく進んでいた上、寝ている自分が軽く片腕を掲げれば十分たりる位の高さのため、四つ足で移動する熊ではあり得なかったのですが、非日常の場所で遊び疲れているのに途中で起きてしまっただけの当時の自分の頭には、最早それ以外に考えられない位の天啓でした。


大自然で一日中過ごして野生の勘を取り戻した本能が、迫る危険を察知して、我が身を起こしたのだと思いました。


音はすぐ近くまで来ていました。父や妹を起こして騒ぎ、熊を刺激してはいけません。寝袋の中で拳を握り、どうしようどうしようと冷や汗を掻き、かくなる上は息を潜め気配を殺して熊が見逃してくれることを祈るしかないと覚悟を決めました。


ずーーーーーー


下草の生えた土の上で物を引きずる一定で絶え間ない音は、テント越しに川や山林の方を向いて横倒れに寝ている自分の顔の前へ、同じ高さで迫って来ました。


深緑色の大きなテントの丈夫なナイロン生地に当たり、そのままずーーーとまだ進んで、ちょんと鼻が出て、目と口の位置でへこみ、それが俯せで顔を上げた年上の人だと分かりました。


知らない年上の人の顔が、一定に絶え間なくずーーーと。


とてもとても混乱して、訳が分からなくて怖かったです。


挙句に顔はこちらへ向けてひそひそ声で喋りました。ごく親しい人に対して深刻な相談をする風な、平板で緊迫感のある小さく不安な声でした。


ねえ、外なんか音きこえる。


熊かも。


直後に顔は悲鳴を上げて、凄い速さで引きました。


今までに聞いたことがないくらい激しい声で叫び、来た時の何倍もの速さで、元来た方へ、大きな沢に出られる素敵な川の方へ、熊が出るかもしれない森林の方へ遠退いていきました。


*


途轍もなく怯えて嫌がっている震えた金切り声だったので、当時、誰もが無条件で自分より強く頼もしい筈の年上の人がそんな声で喚いているのを聞いているだけで堪え難く、びっくりしすぎて戻してしまい、悲しくてさめざめ泣きました。


すると父と妹があれほどの絶叫を全く知らぬげに起き出して仰天し、妹がつられて泣いて、周りのテントで寝ていた母や親戚達が起きてきて、大変迷惑を掛け恥を晒したのが追い打ちとなり、暫く立ち直れなかったほど落ち込みました。


見聞きした事を両親に訴えましたが、むろん夢だと宥められました。


この体験がずっと忘れられず、後年インターネットに親しむようになってから、同じような体験をした人がいないかと場所や語句を検索しました。


過去にそのキャンプ場で夜に事件があって、ひどい危害を加えられた人達が、沢で見付かったとのことでした。


*


こうした経緯で小学生以来キャンプを拒否してきましたが、最近できた友人の熱心な誘いに乗せられて、事前に場所を調べておけば行けるかもと意気込んでいます。


宿泊予定のキャンプ場一帯を調べるついでに例のキャンプ場を調べてみたら、既に閉鎖していたので、節目と思って書いてみました。


宿泊予定のキャンプ場は、新しくて便利そうです。


友人とのテント泊を楽しんで来ようと思います。



終.

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熊かも 壱原 一 @Hajime1HARA

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