黄昏時に、君は微笑む

水面あお

第1話 眩しい笑顔

 黄昏時は、別名逢魔が時とも呼ばれ、この世界が曖昧になる。

 

 昼と夜の間に位置するこの時間は、理を越え、生者以外のものとも相まみえることがあるという。

 

 俺はこの黄昏時が好きだ。

 

 太陽が沈みゆくも、空がまだ微かに明るんでいる不思議な時間。紺、青、橙、赤と色彩豊かな空は普段とは違った顔を覗かせる。

 

 懐かしさが胸に去来し、一日の終わりを予感させる。それが寂しくもあり、同時に清々しくもあった。

 

 それだけではない。

 黄昏時には彼女がいつも微笑みを向けてくれるのだ。

 

「今日もお疲れ様っ」

 

 眉尻を下げ、白い歯を見せたその笑い方は、見るだけで俺の今日という頑張りが報われた気分になる。

 

 黄昏時の僅かな時間しか過ごせなくとも、俺にとって彼女は大切な存在だった。


「今日は弁当を家に忘れた」


「あらら、それは災難だったね。お昼はどうしたの?」


「何も食ってない」


「ええっ!? じゃあわたしと話してる場合じゃないじゃん。お家帰って早く何か食べないと死んじゃうよ!」


「いや死にはしないだろ」


「あれ……そうなの?」


 時々彼女は的外れなことを言う。

 けれど俺は深入りしなかった。

 

 人間だろうが、人間じゃなかろうが、俺たちの関係性は変わらない。

 人に化けた怪物だったとしても、俺は彼女と接することを止めないだろう。


「昨日の夕飯はチャーハンと餃子だったけど、今日の夕飯はなんだろねー!」


「自分が食べるわけでもないのにやけに楽しそうだよな、いつも」


「だってー、夕食ってなんかこう……豪華なんでしょ?」


「家にもよるが、まぁ俺のとこはそうだな」


 家は夕食が豪華だ。

 豪華と言っても朝、昼と比較して、だが。


 朝は時間がないのでパン一枚が基本だ。昼は冷凍食材盛り合わせ弁当である。それでも母親に毎朝準備してもらっているので感謝しかない。

 夜は母親の手作り料理が並ぶ。日替わりなので、早くも今日の献立が楽しみだ。


「腹減ってる分、いつもより美味いかもな」


「おおー! 明日感想聞かせてねっ」


「はいはい」


 適当にあしらうが、内心彼女と話す時間が幸せだった。

 気恥ずかしさからつい目を逸らしてしまうが、本当はその笑った顔をいつまでも見ていたかった。


 今日の夕食は混ぜご飯と春雨サラダだった。混ぜご飯の具はシイタケ、鶏肉、人参、タケノコ。その深い味わいには頬が緩んだ。

 

 春雨サラダは酢を利かせたもので、スルッと胃に収まってしまった。もっと食べたいと思いつつも、これくらいの量に留めておくのが一番美味く感じられるのかもと考えてみたりもした。


 * * *


 次の日、雨が降っていた。


 それでも俺は傘をさして外へ出て、彼女の姿を探した。

 

 しばらく歩いていると公園に辿り着いた。 静寂に包まれる公園に、ぽつんと彼女は立っていた。

 

 身体は濡れていなかった。

 それでも俺は彼女の頭上へ傘を持ってくる。


「別にいらないのに」


「なんとなく、気分的にこうしないと落ち着かない」


「……ありがと」


 はにかむように彼女はくすりと笑った。その頬はやや赤らんでいるようにも見えた。


「昨日はなんだったの?」


「混ぜご飯と、春雨サラダだな。めちゃくちゃ美味かった」


「いいなぁ、わたしも食べてみたい……」


 彼女は儚げに目を細める。

 

 彼女は人ならざるもの。

 食べ物を摂取することが出来ないのだ。


「いつか、一緒に食べられる日が来るといいな」


「ほんとだね。来世は人間になれますよーに」


 しとしとと降り続ける雨の中、小さな願いが俺たちの口から零れた。

 その願いは雨に混じって溶けていった。

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