夢物語~短編集

クニ ヒロシ

第1話 憧れの人

 はじめに~

 この物語を書くに当たって『夢』について検索してみました。

 しかし、これと言って腑に落ちる者が無かったので、自分の体験から少し考えてみたいと思います。


 正夢は結構見る方です。

 日常の暮らしの中で、

『あっ!この場面を見たことがある』

 結局は記憶の中に留め置かれた夢と、現実が重なって居るのだと思います。


 高校生の頃に、一度こんな事が有りました。

 僕は自転車で遠くの街に住む友人のところに向かっていました。

 いつもの事ですが、僕は見知らぬ所に行くのに、当てずっぽう、つまり、頭の中で思い描いた地図を当てにして向かうのです。


 詳しくはこうです。

 取り敢えず南に向かって行けば線路に出くわし、その線路を辿って行けば友人が住む最寄りの駅に着ける筈だと。

 その途中の事でした。

 分かれ道が有りどっちを行けば?

と、迷った時のことです。

 

『この道、覚えている』


 初めて通る道なのに、夢の中で同じ場面に出くわしていたのです、

 夢の中でと同じ様に右の道を行き、目的地にまで行く事が出来ました。

 

 正夢とデジャブとは似通っていますが、詳しい事は何とも言えません。


  過去に夢の中で見た場面も屡々(しばしば)出て来ます。

  たとえば、トイレの窓から見ていた月が突然ドクロに変わったり、

  現実に見たことがない住宅街が何度も夢の中に出て来り、

  ある家の床下に死体が埋められていたり、

  思い返せばきりが有りません。


 辛い体験やトラウマに成って居る事も夢の中に、少し場面は変わっていますが、よく出て来ます。言って見れば、夢の中で追体験をして居る様なものです。これには堪りません。酷い時は月に二三度見ます。二夜連続って事も有りました。


 睡眠中の妄想が夢だと捉えることも出来るのではないでしょうか。

 

 夢に色彩が有るかと云えば、一度だけですがオレンジ色を見たことがあります。


 このように話して居ては終わりが見えないので、又の機会にという事で閉めたいと思います。

 ただ一つ、僕の見解を述べさせて頂けば、夢の中では時空の縛りが無いように思えてなりません。

 それだと、束の間の眠りの中で長い物語を見れる事も頷けますし、正夢も理解できるような気がします。



 さて、

 今回の夢の中に現れた彼女は実在の人です。

 本名を明かす事が出来ないので、仮にMJと呼ぶことにします。


 MJと最後に会ったのは高校三年生の頃だったと思います。

 曖昧にしか覚えて居ないのは、その頃には行き会っても互いに声を掛ける事が無くなって居たからです。

 

 駅のホームのベンチに腰かけていた僕の前を、さっそうと通り過ぎて行くMJの姿を今でもハッキリと覚えています。


 MJとは小中と同じ学校に通って居たのに、同じクラスに成ったのは中二の一年間だけでした。

 僕が言うのもなんですが、MJは完璧、非の打ち所がない女子でした。

 綺麗で可愛くて成績も優秀で、誰からも好かれて居て、僕から見れば手の届かない憧れの存在でした。


 そんなMJと同じクラスになれただけでも幸運なのに、なんと、半年の間、彼女の前の席に居られたのですから、まるで、有頂天を突き抜けて天国にでもいる様な日々を過ごしていました。



 前置きはこれくらいにして、MJと再会した夢の中に皆さんをお誘いする事にします。



 僕は高校を卒業して就職した会社の都合で各地を転々として居ました。

 訳あってその会社を辞めて生まれ育った街に戻った僕は、母と妹たちが住んでいたマンションに転がり込みました。


 間もなく、再就職をしたのは大手の運送会社の下請けをして居る会社でした。

 主な仕事は集配です。

 出勤は早く、帰宅が遅い生活が続いて居たので、同じマンションに住む人と顔を合わせる事は殆ど有りませんでした。


 ある休日の事です。


 僕はパチンコ店に行こうと思い立ち、部屋を出てエレベーターのボタンを押しました。

 エレベーターの扉が開くと、何となく見覚えのある女性が乗って居ました。

 よく見ると少し大人びては居ましたが、確かにその女性はMJさんだったのです。


 彼女は僕のことなど覚えて居ない様子です。


 突然の再会に戸惑っていた僕に、


「上にいきますけど~」


と、MJは話し掛けて来ました。


「・・・}


 感激の余り喉の奥に言葉が詰まって出て来ません。


 MJは少し首を傾げ、埒が明かない僕を一瞥して扉のスイッチを押しました。


『あっ!』


と、心の中で呟いた僕を尻目にドアが閉まり、エレベータは上昇して行きました。

 エレベータの位置を示すボードを見つめて居ると、3F、4F、そして最上階の5Fで止まりました。


『5階に住んで居るんだ』


 それを確かめる為に僕はマンションの出入り口に備え付けて在るポストへと向かいました。


 502号室のポストに、名字は違って居ましたが彼女の名前が書かれて在りました。

 僕の部屋は302号室です。という事は、MJは僕の部屋の二つ上の階に住んでいた事に成ります。


 僕の心は中学二年生の頃と同じ様にときめ始めました。

 勿論、MJは結婚して居たであろうし、忘れられていた僕がどうこう出来る訳では有りません。でも、又、出逢う可能性が有ると分かっただけでも嬉しくて堪りませんでした。


 所が、数週間過ぎてもMJと行き合う事は有りませんでした。

 帰宅が遅い僕は、マンションの裏の駐車場から502号室の灯りを眺めて居るしかありません。



 深夜の事でした。

 僕はトラックターミナルでトラブルを起こしてしまい、親会社の事務所に呼び出され散々油を搾られて遅くに帰宅しました。

 気が滅入って居たのですから、MJの部屋の灯りを見るだけでも癒されるだろうと、原付バイクに座ったまま駐車場からその部屋を見上げて居ました。

 実は、中学校の頃も度々その様にMJの家の灯りを見ていた事があります。尤も、その頃は自転車に跨っていましたが。


 彼女の部屋のベランダの柵にもたれ掛かって居る人影が見えています。男性のようです。

 夕涼みでもして居るのだろうと思って居ると、突然、その人影がベランダから落ちて来たのです。

 眼を凝らして見ると、もう一つの人影が慌てた様子もなく、下の方を覗っていました。女性です。と云う事はその人影はMJかも知れない。

 不意に、怪しげな思いが込み上げて来ました。


『もしかして、まさか、そんな事が有る筈が無い』


 でも、刻一刻とその思いが深まって行きます。


『ん?』


 考えずとも、502号室から駐車場の僕も見えて居ることになります。

 駐車場の照明は僕の影をくっきりと地面に映し出しているのだから。


 MJらしき人影は駐車場を、僕を見ているようです。

 何となく冷ややかな視線が感じられます。


 僕はすぐさまその場を離れ、302号室に戻りました。


 部屋のベッドに腹ばいになり、今さっき見た光景を頭の中で整理して居ると、サイレンの音がけたたましく迫って来ました。


 マンションの近く、恐らく駐車場の辺りでサイレンが鳴り止みました。

 僕の部屋は表向きなので回転灯の灯りは届きませんでしたが、ざわめく人の声は微かながらも聞こえて来ていました。


 転落死したのはMJの夫でした。

 それが事故であったか、MJがワザと転落させたのか真相が分からないまま幾日か過ぎました。

 僕の部屋にも警察が尋ねて来て事情聴取をして行ったそうです。僕は不在で母が対応しました。


 悶々とした日が続いて居ました。

 MJが夫を突き落とした可能性を拭い切れなかったからです。


 幸か不幸か、その転落死は事故として処理されました。

 僕の他に目撃者が居なかったようです。



 誰もが転落事故を忘れかけた頃です。

 MJと再会した時と同じようにMJとエレベーターで行き合いました。

 僕が3階で降りようとすると、MJが話し掛けて来ました。

 その指先は『開く』のボタンを押し続けています。


「橋本君だよね」

「えっ!」


 てっきり、僕の事を忘れていると思って居たのだから、不意を突かれた感じです。


「中二の時に同級生だった橋本君でしょ?」

「そうだけど、僕の事を覚えて居たんだ」

「忘れる筈がないでしょう。前と後ろの席だったんだから~」

「でも、この前は~」

「人違いだと恥ずかしいから声を掛けなかったの」

「そうなんだ」

「少し、時間が有るかな?」

「なにか?」

「良ければ、私の部屋で積もる話なんかできないかな?」

「ちょっとなら~」


 不愛想そのもの受け答えをしていても、僕の心の中は高ぶって居ました。

 陽が翳り始めた時刻に、彼女の部屋で、恐らく二人きりとなると興奮しても可笑しくは有りません。あの転落事故が無ければ喜んで応じるところだったと思います。



「少しくらいは飲めるでしょ?ビール、それとも、ブランデー?」


 リビングに落ち着くなりMJはそう話し掛けて来た。

 アルコールを飲まなくても、とうに、僕は高校生の頃と変わらない彼女の姿に酔いしれていました。


『カラン』


 グラスの中の氷が琥珀色に染められながら呟きました。


「こうして会うのは何年ぶりかな?」

「高校生の頃だから、十年は過ぎてるかな」

「そっか、同じ路線で通学していたよね」

「僕の事なんか見向きもしなかったの~」

「覚えていて、私はいつも脇目を振らずに歩いて居たでしょ」


 言われて見ればその通りだ。それが、却って、彼女の神々しさを引き立てていた。

 迂闊に声を掛けることなど出来よう筈がなかった。


「同じ街、同じマンションに居たのに、あの日まで顔を合わさずに居たのは不思議だよね」

「しばらく、地方を転々してたから~」

「そうなんだ。お仕事で?」

「うん」

「なら、最近、こっちに帰って来たってことなんだ」

「うん。仕事を辞めてね」

「今は?」

「運送会社に勤めてる」

「そうなんだ。この辺りも随分と変わったでしょ」

「そうだよね。僕が住んでいたアパートは取り壊されたし、特に駅前は随分と変わった気がする」


 いつまで、こんな話を続けるんだろう。

 彼女は近況を聞く為に僕を部屋に招き入れたのでは無いだろう。


「そう云えば、橋本君は原付バイクで通勤して居るよね」

「知ってたんだ」

「朝早く、エンジンの音が聞こえて来たもの。ベランダに出て見下ろすと君がね」

「まだ、マイカーを持てる身分じゃないから」

「分からないよ、突然、思わぬお金が舞い込んだりして~」

「宝籤でも当たらないとね」


 だんだんと外堀が埋まって来てる気がする。


「私の主人がベランダから転落死した事は知ってるよね?」


 ほら来た。


「うたた寝していたらサイレンの音が聞こえて来たし、ニュースにも出て居たから」

「今も、嘘を付くのが下手なんだ」

「えっ、なんで」

「ほらっ、直ぐにそうやって眼を逸らすよね。中学の時もそうだった。

 あの時、駐車場に居たでしょ。このマンションで原付バイクに乗ってる人は君だけだもの」


 もう少し、上手い誤魔化し方が有ったろうに。


「・・・」

「見てたんでしょ、あの時、ベランダに居た私を~」

「・・・」

「答えられないって事は、そうなんだ」

「あの時は暗かったし、よくは見えなかった」

「やっぱり、君だったんだ。なぜ、その事を警察に話さなかったの?君の所にも警察が聞き込みに来たでしょ」

「僕は居なかったから」

「それにしても~、まぁ、いいわ」


 何を思ってか、MJはソファーから立ち上がり向こう向きになり、衣服を脱ぎ始めた。

 僕には全く訳が分からなかった。

 息を詰めて、足下にスルスルーと零れ落ちて行く服に目を落としていた。


 全裸になったMJの姿を見た時、


『あっ!』


と、僕は絶句した。


 その後ろ姿には、打ち傷、切り傷などの後がくっきりと見えて居たのだ。

 惜しげもなく振り向いた彼女の身体のそこかしこにも似たような傷跡が痣となって残って居た。


「もう、分かったでしょ、私がどのような扱いを主人から受けていたか。あぁするしか無かったの。・・・あの日、私は主人に頻りにお酒を勧め、ほろ酔いでベランダの柵に寄りかかって居たあの人の足を持ち上げたの。重かったわ。でも、この傷に比べれば何ともなかった。


 酔っぱらってベランダから落ちる事もあるでしょ。これでと思った矢先に橋本君を見かけたの。


 てっきり、もうダメかなと思って居たら、泥酔による転落事故で収まってしまった。目撃者が君で良かった」


 やっぱり、僕の推測は当たっていた。

 それにしても、酷い痣だらけだ。

 色白の彼女だから余計に痛々しく感じられる。


「驚いた?」

「・・・」

「余りの事で何も言えないんだ。中学の頃はやたら喋りまくって居たのに~」


 MJはそう言いながら傍に置いていたガウンを身に付けた。

 僕らはテーブルを挟んで再び向き合った。


「どう?今からでも警察に行って見たままを話して見る。これだけの痣が有れば重い刑には成らないけど」

「僕にそんな事が出来ないことくらい分ってるんだろ」

「そうよね。君にとって、私は憧れの人だったものね。授業中は頻りに振り向くし、成績が上がったのも私に認められたかったからでしょ」

「確かにそうだったけど、今は複雑な気持ちなんだ」

「私が主人を突き落としたから~」

「それも有るけど、君が何を考えて僕をこの部屋に入れたのか分からなくて」

「そう、なら、そのモヤモヤを早く消してしまわないとね」

「・・・」

「いいこと。こう言えば変だけど、君は私を庇ってくれたんだから、それなりのお礼をと思ったの。そこで、このメモに君の口座番号を書いて置いてくれないかな。保険金が入ったら、それなりの金額を振り込むから」


 初めからそう云う考えだったんだ。

 それにしても、わざわざ傷跡を見せる事は無かったろうに。


「それから、私は今から寝室に行くけど、痣だらけの私にあの頃の様な想いがあるのなら、構わないから。言ってる意味、分かるよね?」


 MJの言葉が胸にグサッと刺さった感じがした。

 俄かにMJの傷跡を労わってあげたい思いが込み上げて来た。

 それは僕への褒美だと考えたら躊躇する事は無い。


 MJは僕の言葉を待たず、寝室へと向って行った。

 心の中に長年燻ぶっていた感情が溢れて来た僕は、恐る恐る彼女の後を辿って行く他なかった。


 

 十年越しの想いを叶えた僕は舞い上がっていた。

 誰しも、その次を期待してやまないところだ。

 しかし、二度目は訪れなかった。


 MJと同じベッドで過ごしてから間もなくの事で有る。

 502号室は空き家となって仕舞ったのだ。

 彼女からは一言も無かった。

 当然と言えばそれまでだが、僕の期待はくじかれて仕舞ったことになる。


 一か月が過ぎた頃、僕の口座に高額が振り込まれた。

 どうしても切なさが込み上げて来て堪らなかった。


 

 と云う夢から覚めた僕は案外にんまりとしていた。

 夢の中であれ、状況がどうであれ、憧れていたMJと一夜を共にしたのだから当然と言える。

 欲を言えば、前半部部は要らなかったのではと、注文を付けたくなる。


 夢の中で口座に高額が振り込まれたのに気分を良くした僕は、どれっと、運試しにパチンコに行くことにした。



 エレベーターの扉が開くと驚かずには居られなかった。


 夢の中で再会したMJが同じ服装で立った居たのである。


「橋本君・・・だよね。久しぶりだね!」

 



 

 



 


 



 

 

 



 

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