友達いないやつはナルシシスト説

ぼくが何を語るにしろ、その為人ひととなりを知ってもらう必要があるだろう。


「ぼくは犯罪者だ」


というものがいたとして、それは嘯いているのかもしれないし、豪語しているのかもしれないし、告白かもしれないし、懺悔かもしれない。


その判断材料は当人に対する知識や理解だろう。


ぼくの思考や言葉に一意的な解釈を与える手助けとして、ぼくはつらつらとぼくのことについて語ろうと思う。


まずぼくが好きなものについて紹介しようと思う。


ぼくが好きなものは、自由と運動とパンクロックとファッションと小説とアニメだ。


その全てがぼく自身の構成している中枢だと胸を張って言える。逆に、それらが損なわれている時、ぼくは自分を見失ってしまう。


ぼくが好きな作品の一節に、


「友達はいらない。人間強度が下がるから」


という文がある。逆張りの強がりのような印象を受けるが、しかし、ぼくにとっては案外的を得た言葉であり、自戒の言葉でもある。

ぼく自身の自己実現の過程において、友達と名のついた他人は不要であり、というか、障害となりうるからだ。反面、自己実現として、コミュニケーション能力は不可欠であるため、できる範囲で人と言葉を交わし、己が糧としている。


結果、ぼくの対人関係についてクラスメートから言われたことは、


「誰にでも話しかけててすごいね」


「友達いなそう」


である。そりゃそうだ。


ぼくは自分のためにしか人と関わっていないと自認している。

例えばぼくは他人を気遣うことはできても、その人を思って行動を起こすことができない。優しさが欠如しているのだ。


ぼくの身の上に関して、最も打ち明けたことがあるクラスメートには、


「言葉に心がない。会話が適当だね」


と言われた。それについて思うところがないでもないが、けれど、そんなでも、ぼくはぼくのことが好きだ。というか、自己愛がないと、こんな生き方はできないだろうと思う。


要は、人からの愛を受け取って自分を肯定するか、自分を愛することで自分を肯定するかなのだと思う。


そして、ぼくは人からの愛を受け取れるような器の人間ではなかったし、愛されるような人間でもなかったということだ。


だから、ぼくは人一倍自分を好きにならなければいけないし、そうしないとやってはいけないのだ。


好きなものに真剣に向き合って、好きで居続けること。

ぼくはそういう自分が好きだ。

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