ADHDと““私””
1.きっかけはお医者さんのひと言から
今年九月の初めごろ。元より体がだるかったり気分の波が激しかったりで駅近くの某メンタルクリニックに訪れてた。最初はうつ病もしくは躁うつ病みたいなものを疑って訪れていたが、ふと医者からこんなことを言われた。
「巫さん、ADHD検査って受けてませんでしたよね?」
ADHDという言葉には、この時から覚えがあった。ただ、当時は多動症だったりとかの浅い知識だったり、そもそも言葉ぐらいしか知らない程度のものだった。ただ、それでも少し当てはまるような部分を感じてた自分もいて、検査を受けておこうと思い了承した。その後、すぐにADHDの検査シートを渡され、出された項目に当てはまるものを選んでいくことに。
まず目に付いたのは、「12歳以下の時に当てはまっていたものを選んでください」という一文。そしてそこから続く色々な質問。とりあえず記憶をたぐり寄せながら一通り答え、漏れがないか見直して、改めてスタッフさんにシートを渡した。
すべてを終えての私の感想は「やばい、大体に覚えがある」だった。知っていた多動症っぽい部分だけでも、手足は動かしてないと気が済まなかったりとか、話し出しが被ってしまったりとか、喋りすぎてしまったりとか。それらが当てはまってるだけでなく、私が知らなかったADHDのもうひとつの特徴にも当てはまっていた。
話が聞けなかったり、注意散漫になってしまったり、予定がうまく立てられなかったり。いわゆる不注意とか、無気力とか、そんな感じの部分にも多くあてはまっていたのである。
「もしかして、やる気が無かったとかじゃなくてADHDだったのかな」
そう思うと、多くの出来事に対して説明ができるような、腑に落ちた感覚がした気がした。その後、ADHDがよく分かる漫画冊子をクリニック側から貰って読んだり、SNSでADHDの人達の体験談を見たりして自身のそれが同じ““特性””であると、まだ結果も出てないはずなのに確信を強めていた。なにせ、同じような悩みを抱えていたり、同じ感覚だからこそわかってしまう部分も多かったりで、他人事のように思えなかったのだ。
そして、診断結果が出た当日。手渡されたのは、ADHD検査で““ADHDの特徴大””と結果が書かれていたプリントだった。やや不注意優位だが、1項目分という誤差の範囲程度のものだ。
私は、ADHDだったのだ。
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