百日目・進

 俺はもうずっと寝られていない。眠気もこない。体も頭も精神も疲れ果ててしまっているが休息をしたくても恐怖と不安と狼狽ろうばいと困惑の鎖が全身をがんじがらめに縛り付けて離さない。

 俺が不気味で不可思議な〝ラジオ放送〟を聴いたあの晩に、火戸ひどさんが亡くなった。自宅で入浴中におぼれ、処置の甲斐なく息を引き取ったと、水島みずしまさんが青い顔で伝えにきた。月も凍る寒さの中で、水島さんの吐息が白い霧となって風に散らされる光景が、何故か印象的だった。


 ――絶対に俺のせいだ。

 思い返せば最初からおかしかった。土田つちださんが亡くなった時も木下きのしたさんが亡くなった時も、金本かねもとさんが亡くなった時だって、俺はあの変なメッセージを受けとっていた。〝シチゴサン〟だなんて、何を意味している言葉なのかちっとも分からなかった。

 一体何が引き金になって彼らの生命が奪われてしまったのか俺は必死に考えた。あの時俺が〝シチゴサン〟のメッセージを受けとった時にしていた行動で、土田さんにたち関係する話。確かあの時は明奈あきなと口論になって、自治会を〝どうにかしたい〟とか言っていた記憶がある。


「いや――」


『とにかくあの人たち、特に本当に困ったもんだ。な……』


 ――そうだ、土田さんを名指しでどうにかしたいと言っていた……気がする。その後部屋でこのメッセージを受けとったんだ。

 木下さんの時はどうだったか。あの時は美桜みおが幼稚園で他の子をいじめているとか何とかで木下さんが家に押しかけてものすごい剣幕で苦情を言ってきた日だった。法的措置をいとわない強硬な態度で反応したらさらに激昂げっこうして帰っていき……その日の晩に亡くなったと聞いた。

 あの時も俺は明奈と二人で頭を抱えながら話していた時につぶやいた記憶がある。


『まさかだとは思わなかった。いずれにしても、本当にな――』


 ここまででももう、状況が怖いくらい似すぎている。どうにかしたいと心から思い、念じ、言葉に乗せてつぶやいていた。そして確かあの時も、自分の部屋で充電していたスマホが着信音を鳴らしていたのをかすかに聞いた覚えがあった。後で確認したらいつ受信したのか定かでない〝シチゴサン〟が画面に見えたのは今でもはっきり覚えている。

 ――俺は先に進むことに少し怖気おぞけを感じつつ、金本さんの時にはどうだったか思い出すが、あれは忘れるほうが難しい。美桜が雨の降り続く夜中、傘もささずに家の前に飛び出した時、出刃包丁を握りしめておよそ人間とは思えない形相ぎょうそうを浮かべながら、美桜の前に立っていた。近所の人たちが見守る中で、俺は金本さんの呪詛じゅその叫びを聞いた時、頭に血が昇って――


『こっちから関わり合いになることは金輪際こんりんざいないから、とっとと俺の前から!!』


 荒唐無稽こうとうむけいにもほどがある馬鹿げた妄想だ――とは、今の俺には言い切れない。必死に否定を試みても、起こったことと状況だけを並べてみれば、あまりにも符合しすぎている。

 考えれば考えるほど自分が一連の悲劇、いや惨劇の引き金になっている気がしてならない。だが、何故ここまで短期間でこんなことになってしまっているのか、俺には分からなかった。まるで疑念と憎悪を呼び起こさせるような、あまりにもタイミングのいい災難と不運の数々。


「……分からない。何でこんなことに――」


 頭にかかった濃いもやを追い払うように頭を振って卓上時計を見ると、深夜二時ちょうど。火戸さんが亡くなったと水島さんから連絡があってから、一睡もできていない。葬儀へ列席を頼まれたが、断った。もう何も信じられない、何も分からない。何も考えたくない、もう何もしたくない――疲弊しきった脳と神経とが悲鳴をあげ、体は一切空腹の警鐘を鳴らさない。


 またスマホが〝ポコン〟と音を鳴らす。俺はその音へ過敏に反応し、慌てて画面のロックを外してSNSを開く。


 かえりたい


 メッセージの送信者はアカウントを削除したのか、誰なのか分からなかった。


「〝メンバーがいません〟……だって?」


 ――そもそも、これは一体誰が送ってきたものなんだ? それに、俺はどうして今になるまでこのことを疑問にすら思わなかったんだ……?

 送信者がアカウントを削除したことで、俺からは返信が何もできなくなっている。送信者が誰のかを問い詰めようにも、実行手段が向こうから遮断されてしまっていたのだ。


「……もうダメだ。この家にはもういられない――」


 お金に余裕がないとかそんなことは言っていられない状況だ。命の危険すら感じるこの家に居続けたら、本当にのろい殺されてしまう――

 俺はクロノアとただ一匹生き残った三毛の子猫をキャリーに入れ、最低限の荷物だけ抱えて玄関に向かった。しかし俺の前に立ち塞がったのは、引けば軽く開くはずの引き戸だった。


「えっ――何故開かない? 鍵も開いてるだろ――」


 引き戸をどれだけ揺すっても叩いてもうんともすんともいわなかった。蹴っても体当たりをしてもびくともせず、ガラスにもひび一つすら入らない。さながらコンクリートの分厚い壁を殴っているかのような感覚で、それは激痛となって俺の手足に伝わってきた。


「ち、ちくしょうっ!! 何なんだよおい!」


 いくらわめいても何も変わらなかった。俺は玄関を諦め、寝室のき出し窓に走りよった。窓には閉めた覚えのないシャッターが降りている。爪が悲鳴をあげるのも構わずシャッターをこじ開けようとしたが。何も状態は変わらなかった。リビングも、キッチンも同様だった――ここに到って俺は〝閉じ込められた〟と思わされた。何に? 決まっている、この家に巣食う〝のろい〟だ。俺と家族に不幸を撒き散らした怪異だ。


「あっ、明奈に助けを――いや、警察を――」


 パニックになった俺は握りしめていたスマホのロックを外し、緊急連絡のボタンを押して、電波が繋がっていないことに気づいた。〝通信サービスはありません〟の無情な表示が、俺の意識を蝕んでいく。固定電話を手にとったが、発信音はなかった。


 その時、リビングのシャッターが風に揺られたのか〝ガタガタ〟と大きな金属音を出した。俺はその場で電話機を放り投げ、椅子にへたり込んだ。情けない声をあげていたのだろうが、俺にはもう自分の声すら認識できない。


「も、もうやだあ……」


 いくらあがいても逃げ場はない。二階を確認しても同じだった。下に降りる前は開いていた窓にシャッターが降りている。絶対に逃さないという異常なほどの執念を感じる。俺の部屋はPCの白いスクリーンライトに照らされている。俺は不安と孤絶こぜつ感から電灯をつけた。何だか久々に白色灯のまぶしい光を見た気がするが、記憶と現実の境目が少しずつ曖昧になっている気もしてきた――


「とっ、とにかく一旦落ち着け。何が起きているにせよ――ひっ!?」


 突然背後――美桜の部屋から気配がする。猫は二匹ともキャリーの中で丸まっているから、この家には現在、他に気配を出せそうな人もモノもいないはずだ。しかし今俺の背中を射抜く凍てつくような気配は、厳然げんぜんたる現実として存在している。それが一体誰なのか――あるいは何なのか、見たくないという恐怖心の中に埋もれた僅かな好奇心の引力に吸い寄せられ、俺は恐る恐る気配があるほうに振り返った。


「う、うわ――」

「――――」


 一人の少女が立っていた。俺はその子を見たことがある気がする。彼女は美桜の部屋と俺の部屋を隔てる敷居のすぐ向こう側に立っていて、距離にして二メートルも離れていない。俺は驚愕きょうがくのあまり大声を張り上げそうになって、すんでのところでそれを飲み込んだ。今の状況を考えれば別に叫んでも誰にもとがめられないと思うが、それでも俺は声を唾と一緒に嚥下えんげした。


 年の頃は十代半ば、振り袖を着ている中学生か高校生のような雰囲気だ。派手ではないが、優美ではあった。背丈せたけはすらっとしていて高く、ひどくという表現がぴったりなほどには体の線が細かった。言葉は悪いが、しっかり御飯を食べているのかと場違いな心配をするくらい、肌の血色がよろしくなさそうな印象があった。上質そうで綺麗きれいな振り袖だが、そのデザインや色味いろみがどことなく古さを感じさせる。

 黒髪は部屋の白色光を照り返し、見事なつやを浮き上がらせている。髪型はおかっぱのようでそうではなく、正確にいえば〝おかっぱだったものが肩口まで伸びた〟というのが近い。瞳は細長く、唇は小さい。少しだけぷっくりとした頬にはわずかに朱が入っている。全体的に見た少女の印象は〝日本人形の、それも市松人形いちまつにんぎょうのよう〟だった。

 さらに、立ち姿は博多人形はかたにんぎょうを連想させる。背筋を伸ばしながら、どこかに品のようなものを感じさせ、着物を着こなした女性特有のあでやかさが、そこはかとなくにじみ出ていた。


 それと時を同じくして、家の中全体に〝あの〟異臭が立ち込めてきた。キッチンの床下から時々漏れ出てくる、生臭い臭いだ。今度は俺の部屋にまで上ってきてしまっている――いや、違う。この臭いの発生源はもっと近い――そんな気がしてならない。

 さらに、シャッターを叩く雨音が聞こえ始めてきた。それは瞬く間に激しくなっていって、時折突風が吹き付けては不安をかき立てる金属音を残して去っていく。

 しかしそれでもなお、俺の意識は眼前の少女に釘付けだった。前に見たことのあるような、初めて会うような――不思議で不穏な感覚に襲われながら、俺は乾いた唇を開いた。


「だ……誰……?」


 そう問いかけながら、俺の頭の中には、とある可能性が……いや、心当たり程度でしかない何かが引っかかっている。

 ――俺はこの子を知っている。知っている子によく似ている――


「――」


 少女は無言を貫きつつ、思考と表情の見えない瞳で俺の心を見透かすように凝視していた。その目も、無口な所も、俺は前に見覚えがあった。

 そして少女は右手をすうっと前に突き出した。人差し指だけを立てて〝1〟のポーズをし、その指をゆっくりと俺に向けて指さす。この仕草も――前に見ている。


「……のあちゃん、か?」


 その問いに少女は黙ってうなずいた。俺の知っている姿ではないが、髪型や所作などのすべてが俺の中で美桜と一緒に遊んでいたあの女の子を指し示している。


「ど、どうしてこんな所に――いや、その姿は一体……そんなことより、君は一体――」


 突如ポコンと鳴らされる受信音。


「えっ――」


 体を震わせながら、俺はおそるおそるスマホのロックを外す。


 かえりたい


「これ……君が送ってきていた、のか……?」


 前にも送られてきたメッセージが再び、このタイミングで出てきた意味を考え、俺は疑問を目の前の少女、のあちゃんに問うた。その質問は無言で返され、肯定も否定もされなかった。そして例の電子音とともに、メッセージが次々と送り込まれてくる。


 かえりたい


「――帰りたいって、どこに」


 かえりたい


「――だから、どこに」


 かえりたい


「……」


 意思が通じるようでまるで話になっていない。冷静に考えれば今自分が置かれている状況も十分に怪奇現象で、何故自分がここまで落ち着いていられるのかが不思議でたまらない。だが目の前の少女のまっすぐな視線を見ると、少しだけ恐怖心が遠のく気がする。

 ――いや、違う。恐怖心が遠のいているんじゃない、恐怖心に飲み込まれて麻痺したんだ。俺はとうに震えとか涙とか鳥肌とか、そういった反応ができるレベルを飛び越しているんだ。


「…………」


 かける言葉も思い当たらず、押し黙っていた俺の鼓膜を再び電子音が叩く。画面を見ると、そこには今までと違ったメッセージが書かれていた。


 アトヒトリ


「あと、一人……?」


 相変わらず意味は分からない。分からないが――その時家の周囲を強烈で不快な空気がうごめく異様な気配が現れた。まるで、家ごとぐるりと取り囲んで締め付けるような感覚が空気を通じ肌に食い込んでくるのが分かる。それは緩慢かんまんに回転しながら中の様子をうかがっているような――牙をく瞬間を狙っているかのような、ねっとりとまとわりつく悪寒がする。窓の外から――まるで誰かの視線が突き刺さっている感覚が首筋に届いている。俺は全身の毛が逆立つような怖気おぞけに襲われ、思わずキョロキョロと辺りを見渡して……その時になって初めて目の前の少女のあちゃんが、俺のPCの画面に指を指し示していることに気づいて、視線を振り向けた。


「な――」


 PCに映し出されていたのは今も稼働中の監視カメラだった。自治会の騒ぎがあってからは特に活用していた訳でもなかったが、防犯上の意味は大きかったので、継続して使っていた。普段は録画もしていないし、バックグラウンドで垂れ流しているだけだったカメラに今、何か白い紐のような――もっと太い、たとえばしめ縄のような何かが映っている。それはぐるりと家を取り囲んでいて、カメラ映像を信じるならウロボロスの環のような形になっていた。

 画質は粗く、モアレがひどい。動いているから生き物ではあるのだろう――いや、果たして本当に生き物だろうか? この家は普通じゃない。のろいがかけられているとまで言われている家だ、人間ではないナニカがいたとしてもまったく不思議では――

 俺はじいっと目を凝らしてそれをもっと見ようとして――そんなことがどうでもよくなる、最悪の違和感に襲われた。


「えっ――ちょ、待て、この映像――どうして!?」


 自治会と揉め、誰かが夜な夜な家の周りを徘徊はいかいするような音を聞き始めた頃、俺はカメラを取り付けた。それは事実だ。しかし、それはあくまで〝ガラス越しに外を見るように〟付けたものだった。明奈のアドバイスを受けて、外壁には取り付けていなかったのだ。

 そして、今この家はすべての窓のシャッターが降りている。ということは――


「この映像って……一体どうやって撮っているんだ……?」


 そして、まるで俺が一番驚くタイミングを狙いすましているかのように鳴る電子音。


「ひいっ――」


 アトヒトリ


 今度はこのメッセージが続くのだろうか。大体何が〝あと一人〟で、その一人がどうなれば何がどう動くというのか。分からないことだらけだ。


「ねえ、のあちゃん、君がもしこの家ののろいのことを知ってい――うわああっ」


 彼女はもう俺が考える〝怪異〟の一部なのは間違いない。何が目的で美桜に近づいたのかは見当もつかないが、彼女ならこの家のことを何か知っているだろうと思って振り向くと、俺のすぐ後ろに彼女が立っていた。俺は思わず飛び退いて足をチェアにしこたまぶつけてしまうが痛みなど感じなかった。

 それにしてもいつの間に、しかも物音も気配も感じさせずに、俺のすぐ後ろに……?

 以前も所作がものすごい静かで日本人形のようだと思ったことはある。しかしそれにしてもここまで何も感じられないものなのか――顔を引きつらせながらそんなことを考えていると、再び俺のスマホが受信音を鳴らした。


 アトヒトリ

 かえりたい

 アトヒトリ

 かえりたい

 アトヒトリ

 かえりたい

 …………


 そこからは狂ったように繰り返しメッセージが送られてくる。SNSアプリはスクロールを続け、画面をフリックしても入力を何も受け付けなくなってしまっていた。


「ちょ、ちょっと……! もう、何なんだ! とっ、止め――ぐぶっ」


 俺が引きつった声でそう口走ったのと、のあちゃんが俺の首をがしっとつかんだのがほとんど同時だった。華奢きゃしゃな手には似つかわしくない握力で、俺の喉に嫌な圧力が込められ、俺は息がほとんどできないまま体を持ち上げられた。一般成人男性の平均よりわずかに重い俺の体を、年端としはもいかない少女が片手で浮かせるなど、どんな怪力だよ――と場違いなツッコミを脳内に響かせ、足をバタバタさせながら何とかして彼女から逃れようと試みた結果、何とかして俺は解放された。ただし、現実世界からの、意識の解放だったが――


 ――ああ、そういえば。

 義父とうさんと義母かあさんが明奈の荷物を取りにくるって言ってたの、明日だっけ――


 □■□■□■□■□■□■□■□■


 まぶたの裏に映るのはいつだったかもう覚えていない、俺と明奈と美桜と玲央れおが皆で笑っていた場面。誕生日のケーキがあるから、引っ越す前の話だ。俺は皆の笑顔を思い浮かべ、あの日に戻りたいと心の奥底から願った。そういえば美桜の誕生日は来週に迫っている。美桜の六つのお祝いはもうできないのかもしれない。だけど、七つのお祝いだけは――それまでには美桜を見つけ出したい。明奈もそうすれば少しは元気が戻ってきてくれることだろうと思う。そして場面はそこから走馬灯そうまとうのように移り変わり、楽しい思い出が次々と流れていく。本当に最高の思い出ばかりだった――プールや遊園地でのハプニングや、どこかの山の中にあった、明奈が行きたいと騒いでいた神社でのお参り――すべてが幸せだった。

 そこまで思い出して、今日は聖夜クリスマスだったことも思い出す。今頃ケーキを食べ、もしかしたらフライドチキンや竜田揚げ、生ちらし寿司や明奈自慢の手料理で楽しく過ごせていた世界線もあったかもしれないと思うと、寂寥せきりょう感と孤独感の津波が容赦なく押し寄せてくる。そして今頃おせちの仕込みでおおわらわになっている明奈を手伝おうとしてどやされている自分の姿を、俺は涙を流しながら思い浮かべていた――もう、こんな日常は、二度と戻ってこないのか――

 次に思い浮かべた場面は、どこかの部屋でひとり、お手玉をして遊んでいる美桜の姿だった。俺はその部屋に覚えがない。でもどこか懐かしさを感じさせるというか、見たことはある――そんな既視きし感めいた何かがそこにあった。


「み、美桜――」


 美桜はずっとお手玉をして遊んでいる。お手玉といえば〝のあちゃん〟――さっき見かけたあの少女は本当に彼女だったのだろうか――今でも信じられない思いだ。

 そんなことを漠然と考えながら美桜の背中を見ていると、少女がいつの間にかお手玉で遊ぶ美桜の横に立っていた。俺が近づこうとしても距離が縮まらない。視界が狭まり、俺の世界の視野角が広がって魚眼ぎょがんレンズを通したようにゆがみ始める。


 かえりたい


 どこかで聞き覚えのある言葉が俺の耳を飛び越して頭に直接響いてくる。美桜の声だった。美桜はずっと俺に背中を見せて畳の上に正座し、つたない動きでお手玉を遊び続けている。それをじっと見守っている、背後の女の子、あるいは女性。その立ち姿はまるで日本人形のようで、きっときちんと躾けられたのだろうなと、場違いな感想すら持っていた。


「――!? み、美桜っ!? ど、どこへ――」


 美桜が後ろの女の子に肩を叩かれ、笑顔で振り向いてうなずいた後すっと立ち上がり、女の子と手を繋いで俺とは反対のほうへ歩き去っていく。その光景を見てこれは夢だ幻だと思いつつ、そのまま美桜を行かせてしまえば二度と俺の所へ戻ってこない、そんな強迫観念に襲われた。俺は必死に声をあげて美桜を呼び止めるが、彼女たちにはまったく届いていなかった。


「まっ、待ってくれっ……! どこに連れて行くんだっ!! 連れて行かないでくれ! 美桜は俺の――俺と明奈の生きがいなんだ!!」


 その言葉で二人が立ち止まり、おもむろに振り返る。美桜は相変わらずまぶしい笑顔を見せ、少女は能面のうめんのような顔を崩していない。それでいて俺の体を射抜き貫くような少女の視線に、俺はたじろいだ。女の子がゆっくり美桜の手を握っていないほうの手をあげ、人差し指を俺に突き出してきた。俺は何が何だか分からずありったけの言葉を投げつけて美桜を引き留めた。


「美桜……ダメだ……行くなっ……そっちは、ダメだっ……頼む! 俺はどうなってもいい、その子だけは……どうか、連れて行かないで……! 神様、どうか、美桜を、助けて――」


 涙に濡れ、顔をくしゃくしゃにしながら、俺は土下座どげざして頼み込み――


「――――」


 ――意識の外で〝ポコン〟という今となってはもう聞き慣れた音を聞き、脳内に〝摯拘閂〟という文字が浮かび上がる。当然その言葉の意味など、分かる訳もない。

 そしてその瞬間、空気――否、感覚的には空間が丸ごとめくれあがり、裏返るような冷たい感覚が全身を襲って、俺は気を失った。

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