第20話 一匹ぼっちの忠義

 ちょうど空き地のほうに転がっていったので、土煙がもうもうと立つ。

 私は慌てて吹っ飛んだ二人のもとに駆けた。


「あああ力加減間違えた、ご近所迷惑……! し、紫乃さん! 猫又さん! 大丈夫ですかー!」

「いたた……」

「あーっ! い、痛かったですよね! ごめんなさい」


 紫乃さんは痛そうに転がっていた。


「大丈夫、痛いのは受け身を取り損ねたからで、ビームは気持ちよかった。上達したな」

「よ、よかった……のかな?」

「俺も冷静さを欠いていた。また楓に何かあったらと思うと」

「紫乃さん……」


 しんみりとしかけて、はっと思い出す。いるべきものが一匹いない。


「猫又さんはどこですか?」

「ああ。ここにいるよ」


 紫乃さんは腕の中から毛玉を出す。猫又さんは普通の猫のサイズに戻って気絶していた。毛艶のいい華奢で品のある、綺麗な猫だ。尻尾もしっかり二本ある。かぎしっぽなのがまた可愛い。


「はっ」


 金の瞳をかっと見開き、猫又さんは身を起こしてきょろきょろした。


「大丈夫? 猫又さん」


 私を見つけると、猫又さんの表情が見る間に崩れていく。


「……楓殿? 帰ってきてくれたのか? それがしを飼ってくれるという約束は……覚えてくれていたのか?」

「ごめんね、私記憶を失っちゃって、全部忘れてるの」


 記憶を失った経緯を説明すると、猫又さんは申し訳なさそうに耳をへにゃっと下げた。猫背になってうつむく。


「……そうか……それがしは、なんという迷惑を……。実は某もここ最近の記憶がないのだ」

 紫乃さんが表情を硬くする。

「大丈夫。元々の約束、ちゃんともう一度きかせて?」

「……某の話をきいてくれるというのか? 攻撃してしまったというのに」

「仕方ないよ、焦ってたんだもんね。もうしたらだめだよ」

「楓殿……!」

 猫又はそのまま私の腕の中に入り、そしてぎゅっとしがみついた。まるで二度と離れないと訴えるように。

「あなたの名前は?」

「夜(よる)だ。黒猫だから夜。楓殿がつけてくれた」

「シンプルな名前だなあ」

 私たちの様子を見守っていた珠子さんが、にっこりと微笑んだ。

「ちょっとびっくりしちゃったたまがったけどばってんが、丸く収まったからけんよかったばい


◇◇◇


 その後、私たちは無事にラーメンを食べ炭水化物をたっぷり味わい、珠子さんたちと別れて駅までのんびりと戻った。


「ラーメン、麵が太くて濃かったですね。長浜ラーメンと全然違う」

「久留米ラーメンと熊本ラーメンとも違うよなあ」

「ところでなんで店名と違う名称で呼ばれていたんですか? しかも飲食店らしからぬ名称で」

「ああ、それは元々公衆……あ」


 紫乃さんが答えようとしたところで、変な声を出す。

 視線の先を見やると、電車が通り過ぎていった。

 電光表示に書いてあるのは『福岡天神行き 特急』の文字。


「……乗り遅れましたね。次は何分後でしょうか」

「三十分後」

「な、長いですね」

「駅で電車が来るのを待つしかないな」


 仕方がないので私たちは、次の電車をホームのベンチで待つことにした。

 その頃には夜さんも話せるくらいには回復していたので、じっくり話を聞くことができた。


それがしは肥前、背振山の麓の主家に仕えていた猫だ」


 夜さんは猫又。猫の本山、熊本の根子岳で修行を積んだ古式ゆかしい猫又ではなく、人間の術によって猫又となり主従関係を結んだタイプの猫さんらしい。

「肥前鍋島の猫又騒動というのがあるだろう」

「えっと、お家騒動に猫又伝説が絡んだ物語ですよね。元々の主君の家柄の龍造寺家の猫が、鍋島家を呪うって感じの」

「うむ。某はその猫と同胞でな。術であやかしとなり主家を守って生きていた」


 古く中国から伝わったと言われる猫術で猫又になった夜さんは、戦国時代に生を受け、それから家の守り神として長年、主家を見守ってきたのだという。


「忙しい日々だった。鼠を捕ったり、子守をしたり、冬には主の暖となったり」

「猫の仕事だねえ」

「時代が変わり、主は帰農した。いつしか某が猫又であることもすっかり忘れられ、某も正直忘れていた。結局、某は若者故、暗殺や呪殺の勤めはほとんどせぬままだった」


 夜さんは主人の末裔が脈々とそこで生きる限り、霊力を受け続けていた。

 永遠を生きる猫又さんでいられたのだ。


「しかし主家はもうない。屋敷も壊され、誰もいない」

「夜さん……」

「某はもう時代に淘汰される身だった。けれど……楓殿に出会った」


 夜さんが輝く瞳で私を見上げる。

 主を失った夜さんは一人、背振山を行く当てもなく放浪した。そして記憶を失う前の私と彼は、部活の遠征先の佐賀の北山の合宿所で会った。


「その時に約束してくれたのだ。『卒業後に飼ってあげるね』と」

「そうだったんだ……」


 紫乃さんが片手で額を覆い、あちゃあと言いそうなポーズをする。


「遠征で出会ったのなら、知るわけがないな……」

「紫乃さんにも伝えてなかったんですね」

「元の楓もそういう奴だった。猫を拾う相談をしても俺がつっぱねると思ったんだろう。いきなりなし崩しに飼うつもりだったに違いない」

「迷惑ですね元の私」


 夜さんが私の顔を覗き込む。


「迷惑ではない。楓殿のおかげで某は救われたのだ。あのとき霊力を分けて貰ったから今日まで生きられた。ずっと迎えに来てくれなかったのは、辛かったが……」


 もう離れない、と言わんばかりに摺りついてくる夜さん。


「楓殿を待っていて、力尽きそうになったとき……気がついたら商店街にいた。体の奥から妙な力が湧いて、ざわついて……自分が、自分でなくなる感じがしたのだ。すまない、楓殿……筑紫の神よ」


 

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