第15話 紫乃さんが方言を使わない理由
「……さっき先生にも言ったが、このあたりは強い魂や思念が漂いすぎている。もう少し楓が修行を積んだ後に、改めて来ような」
紫乃さんがそこまで言うのなら、危ないのだろう。
下り方面の特急に乗るべく一番乗り場に向かっていると、通りすがりにご年配の女性の声が耳に入ってきた。彼女たちは、時刻表を見て困った様子だった。
「忘れとったわ、また春からダイヤが変わっとったとね」
「孫に迎えの時間、変わったこと伝えないと……」
お年寄り向けスマホで電話を始めた二人を見て、紫乃さんがぽつりと言う。
「停車駅も変わってるし、久留米から南は結構変わったからな。街の雰囲気はどんどん移り変わっていくから人間は大変だよ。福岡市が激動なのはもちろん、筑後もいろいろ違うからな。最近で言うなら、炭鉱ができたのと鉄道だな」
「炭鉱が最近の話なんですね、紫乃さんにとっては」
「楓は実際の炭鉱、見たことないんだよな?」
「はい、多分。もう全部閉山してから生まれましたからねえ」
「あれだけ、どこを見ても炭鉱、炭鉱、だったのにな」
紫乃さんは窓の外を見つめる。
そんな会話をしているうちに、がたがたと激しく電車が揺れる。
橋を渡り、筑後川を越えると久留米だ。
ごっそりと乗客が入れ替わる。
聞こえてくる方言の会話が、一瞬羽犬さんの声に聞こえた。
独特のイントネーションは福岡の南、筑後の方言だ。
「そういえば紫乃さん、全然方言使わないですよね」
「ああ。方言が出ると角が立つからな……福岡は明治まで、筑前と豊前、筑後で全然違う国だったのが一つになった場所だろう? 方言がばらばらだから、うっかり別の方言が出ると面倒だったんだ」
「ああ、土地神様がどこかを特別に贔屓してる、と思われちゃうんですね」
「正解。俺の言葉遣いはその名残だよ」
「私があんまり方言出ないのも、紫乃さんに育てられたからだったり?」
「そうそう。羽犬はべたべたな話し方するけどな」
「ふふ、ほんとべったべたですよね」
「移住してくるあやかしには、あれが博多弁って思われがちだけど、あれ博多弁じゃないもんなあ」
電車はどんどん南へと進んでいく。
天神から終点まで下っていくごとに、乗客は入れ替わり立ち替わり、少しずつ数を減らしていく。
柳川を越えた頃、ついには同じ車両に乗っている人が一人もいなくなった。
二人っきりの空間は、水田の続く景色だけが永遠のように流れていく。
時折、車窓の向こうをこんもりとした神社や寺が過ぎ去っていった。
それらのどこにも紫乃さんは祀られていないのだ。
この土地の神様だというのに。
「……あの」
「ん?」
「このあたりの土地も、全部……紫乃さんが土地神、なんですよね」
「筑紫に入る範疇は、全部そういうことになってるよ」
建物の数が減って、広い水田が広がる光景になる。
紫乃さんの稲穂色の髪が、昼の日差しに輝いている。
きっとこの色でここがいっぱいになる景色を、千年以上見守ってきたのだろう。
急に途方もない気持ちになった。
「紫乃さんは、何度私を見送ったんですか?」
「看取ったか、ってこと?」
当たり前のように言われたので、私はどきっとする。
「……一緒にいたってことは、やっぱり看取ってくださったのかなって思って」
「数で答えたほうがいい?」
「数、数えてるんですか」
「全部の楓が生まれたときも、どんなふうに過ごしていたのかも、どんなふうに命を失ったのかも覚えているよ」
電車の音が大きく響く。
「お辛く、ないんですか」
紫乃さんは目を瞬かせると、顎に手を添え遠くを見る。
過去の感情を呼び起こすような顔をしていた。
「……さみしかったよ。恋しかったし、後悔もした」
「後悔?」
「昔は巫女の仕事も今より過酷だったからな。社会に認知されている代わりに、求められる責務も大きかった。……勤めの中で、非業の死を遂げた楓もいた」
遠い目をした紫乃さんは、そのときの私を思い出しているのだろうか。
「神なのに楓を守れなくて後悔した。もっと違う人生を与えられなかったか、楓はちゃんと幸せだったか、って迷ったこともある。俺が傍にいて、かえって楓は不幸だったんじゃないのかって」
「紫乃さん……」
「でも、早く次の楓に会いたくて、待ち遠しくなってた。悩むよりまず楓に会いたいと思った。それを繰り返して、俺は今こうしてまた楓といる」
紫乃さんの目が細くなる。紫乃さんの瞳に、私が映っている。
「愛しているよ、楓」
髪色よりも美しさよりずっと、その瞳が異質で神様だと思う。
私という存在を通して、
ぞくりとする。
圧倒的な「別の存在」に対する畏怖が、体を硬直させる。
一緒に食事をして、一緒にはしゃいで、普通の家族のように過ごしているけれど。
「紫乃さんは……神様なんですね」
「そうだよ。だから楓とずっと一緒にいられる。全部覚えていられる」
紫乃さんは微笑む。表情に浮かぶ感情は確かに愛だった。
その愛があまりにも途方もなく大きいもので、私はなんだか不思議な気持ちになった。
電車は緩やかに蛇行し、終点の大牟田駅へと到着した。
◇◇◇
大牟田駅は東口がJR、西口が西鉄だ。
そんな大牟田駅の西口を出ると、駅前には長いおさげにセーラー服の女の子が立っていた。
普通の中学生との違いはわからない。けれど明らかに佇まいが人間ではない。
女の子がたったひとり手ぶらで立っているから? 光を全部吸い込むような真っ黒なセーラー服に、黒々とした大きな瞳も真っ黒くて、光を反射していないからだろうか。
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