第13話 正常化バイアスであっているんですか? 本当に?

「変身! 巫女装束装着(チェンジ)!」


 はやかけんを片手に私がポーズを決めると、さっと全身が巫女装束にチェンジする。

 紫乃さんがストップウォッチをカチッと止める。


「15秒切った。実戦いけるな」

「やったー!」


 私の練習に付き合ってくれた皆さんと食器の皆さん、食材さんたちが道場の隅で拍手してくれている。


「ありがとうございます、ありがとうございます! 皆様のおかげです!」


 私はあの日から、毎日修行のやり直しを続けていた。

 道場ではやかけんを使った特訓をし、そしてカフェではいろんなあやかしさんに会って、そこで霊力の調整のアドバイスを受けたり、前の私がどんなふうにしていたのかを聞いたり。

 調理を手伝いながらいい感じに中に霊力を籠める練習も、役に立った。

 紫乃さんがジャージの前を開きながら、私に笑顔を向けた。


「じゃあそろそろ実戦行くか。いつも行ってるところだし、菅原道真(せんせい)の神通力圏内ならなんとかなるだろう」

「はい、よろしくお願いします!」

「いってらっしゃい、頑張ってね、楓ちゃん!」

「お土産持って帰ってきますねー!」


 私は一旦シャワーを浴びて身支度を整え、紫乃さんと玄関で合流した。

 紫乃さんは今日も涼やかな淡いスーツを着ている。

 春先の福岡は暑いのに、暑苦しさは皆無だ。


「今日は車じゃなくて公共交通機関で行こう。少しずつ生身で福岡に出る練習だ」

「はーい」


 私たちは玄関を抜け、梅の花の香りがする光に飛び込む。

 降り立って真っ先に目に入ったのは、門のような中央がくぼんだ形のビル。アクロス福岡だ。

 そして後ろには水鏡天満宮の境内がある。

 飛んで乱れた私の髪を直しながら、紫乃さんが説明する。


「土地勘は消えてないんだっけ?」

「はい、わかります。ここが天神のど真ん中ですよね。ええと……西鉄に乗るんだったら、右ですっけ」

「そうそう。右に行けば渡辺通り。早速行こうか」


 私たちは二人で歩く。

 午前中の天神はよく晴れている。あちこちで工事の音が聞こえる。


「あっ紫乃さん! 見知らぬビルがあります。あれもあやかしに関するビルですか?」

「違うよ、あれは新しく建ったやつ。今は天神ビックバン計画で主要な建物が全部入れ替わってるから─それは覚えてない?」

「あー……なんとなくわかるような……」

「現場で働くあやかしもいるし、お祓いにも行ったから記憶が欠けてるんだろうな」

「何を見ても新鮮に感じるので、それもまた楽しいです」

「楓が前向きでよかったよ」


 人が多いので、紫乃さんが自然な様子で手を繫ぐ。

 恋人に向けたものというより、子連れの手の繫ぎ方のような気がしなくもない。


 二人で西鉄天神駅に向かって歩く。福岡空港が近い故に建築物に高さ制限のある繁華街は空が広くて、見上げると飛行機がたびたび横切り、しばしば魔女や龍も横断する。

 渡辺通りを横断する交差点で信号待ちをしながら、私は紫乃さんに尋ねた。


「地下街は通らないんですか?」

「あやかしの世界に通じまくってるから今日はなしだ。今の楓は地下街に入ると迷いやすい」

「そんなものなんですね」

「それにほら、肩にもういろいろついてる」

「えっ……うわー!」


 私は驚いた。キラキラしたふわふわが、すでに体にいっぱいまとわりついていたのだ。


「あ、あのーこれって」

「ああ、久しぶりに楓が出てきたから」


 紫乃さんが撫でてやると、みんなきらきらと光って消えていく。

「人が多い場所や賑やかな場所は、当然こういうのが多い。今のはまだ綺麗な魂だったが、祓うのが遅れるとどんどん病んでドロドロしていく。それを定期的に祓うのが俺たちの役目の一つだ。……いくら表の寺社仏閣が頑張っても、そこから零れていくのはいるからな」


 忘れられた神様である紫乃さんが言うと信憑性がある。


「こんなきらきらがまとわりついてても、みんな気にしないものなんですね?」

「正常化バイアスがあるからな。目に入っても案外、普通の人間は気にしないものなんだよ」


 私は信号待ちをしながら、周りの人を見た。

 空には相変わらず魔女や竜が飛んでいて、往来には角が生えていたり翼が生えていたりする人もいる。ゾンビっぽい人もいる。トンスラヘアーの宣教師っぽい人もいる。落ち武者も信号待ちしている。

 一般人間通行人の皆さんは、誰も彼らを気にしている様子がなかった。

 ベビーカーに乗ってる赤ちゃんが、空を飛ぶ魔女を指さしてあーあー言ってるくらいだ。


 正常化バイアスの言葉だけで片づけていいのか。私はいぶかしんだ。


「……これ、本当に誰も気にしないんですか?」

「見えてないし、見えても気にしないんだよ」

「ほんとです?」

「ほんとだって。東京みたいに街によって階層の棲み分けがはっきりした街ならともかく、福岡は狭い分、ごちゃごちゃだから。渡辺通りの交差点なんて、デパート目当てのご婦人からサブカル趣味にメイドさんの呼び込み、屋台目当ての観光客から屋台の向こうの歓楽街目当ての客も混ざってるだろう?」

「そんな……ものなのかなあ~?」

「気にしてもしょうがないさ。ほら行くぞ」


 とおりゃんせの気が抜けるメロディに促され、私たちは渡辺通りを渡る。

 平日の西鉄福岡天神駅は賑やかで、駅前では路上ライブが行われていて、待ち合わせによく使われる大画面前も老若男女で溢れていた。


 特急料金のかからない特急電車に乗り込んで、私たちは終点まで向かう。

 今日は人間社会からの依頼で、終点大牟田のあちこちに溜まったキラキラが澱みにならないよう、綺麗に祓う仕事に向かっている。


「そういえば紫乃さん。紫乃さんは現代の人間が知らない神様なのに、どうやって地方公共団体とお仕事してるんですか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る