第10話 人あらざるものの居場所

「人魚なんを隠して人間の中になじんどる子とかさ、祀られることがなくなって、自分が何者か忘れそうになっとらす土地神さんとかね。でもここに来ると思い出せるって場所、作りたくってね。俺は」

「羽犬さん……」

「政治の場としての茶の湯とか、レストランのパティシエとかさ。俺もいろいろ人間社会で興味持ってやってきたけど、俺が今興味あるのはサードプレイスってわけ。あやかしにとってのね。あやかしも神霊も、好きな姿でのんびりできるところ、あったほうが健全やろ」

「それが羽犬さんの、土地神としてのありかたなんですね」

「神様じゃなかなか。俺はただのあやかし。紫乃みたいに神様らしく超然とするつもりはねえし、信仰を失って久しい俺じゃあ目をかけられる相手も限られてる。……でも、これなら土地神の枠を越えて、いろんな人らに美味しいもんがある、居場所があるって思って貰えるけんな」

「……かっこいいですねえ、羽犬さん……」

「あーやめやめ、こういうしんみりしたのは俺似合わんとぞ。ところで楓ちゃん、お腹空いてる? 甘い物入る?」

「入ります。結構入ります」

「よし、ばりでかいの作ってよか?」

「えっなんですか」

「それはお楽しみ。しばらくそこで待っとって」


 そういうと、羽犬さんは私に背を向けて、カウンターで手際よく準備を始める。せっかくお楽しみなので見ないでおこうと、私は庭の鯉を眺めて待っていることにした。

 鯉は普通の鯉のように、池の中で気持ちよさそうに泳いでいる。


「あんまそげん見らんで~、おいちゃん恥ずかしか~」

「あ、しゃべれるんだ」

「内緒よ」

「おじさん、元の私のこと知ってる?」

「知ってるもなんも、子どもの頃からよう一緒に遊びよったよ。楓ちゃんに何度ばちゃばちゃされたか」

「あああごめんなさい」

「よかよか。おいちゃん子どもの世話大好きやけん。元々神社の堀におったんよ」

「へー!」

「でも神社は誰も管理する人がおらんくなってねえ。近くの小学校も廃校になったっちゃん。神様(かんさん)も街の神社に合祀(ごう し)されたばってん、本質が変わらしたっちゃろね、もう気配もなかのよ」

「それは……」

「おいちゃん思うとよ。ここにおるとね、あの神様(かんさん)もいつかここにひょっこり顔出してくれらっさんかなーって、ね」

「……わ、私外でその神様のこと見つけたら、伝言するね! 鯉のおいちゃんが会いたがってたって」

「記憶なくす前の楓ちゃんも、同じこつ言ってくれたよねえ。ありがとね」

「おいちゃん……!」


 そんなおいちゃんとしゃべっていると、「おまたせ」と声をかけられる。


「なんか盛り上がっとったやん。鯉口(こい ぐち)さんと何話しよったと」

「神様についてです」

「なるほどねえ~。ま、俺の誠意を受け取ってよ楓ちゃん」

「うわ……!」


 カウンターに置かれたパフェを見て、私は思わず口元を覆った。

 そこにあったのは、三十センチほどの高さがありそうな大きな苺のパフェ。

 パフェグラスを彩(いろど)るのはカットされた苺の断面。それにとろとろの生クリーム。何層にも丁寧に重ねられた層の上、金魚鉢のように波打ったグラスの口からは、溢れんばかりの苺とアイス。刺さったクッキーに、てっぺんにはひときわ大きな苺が一つ。そしてミントときらきらのゼリーが添えられている。


「すっっごく……綺麗……!」

「綺麗なだけじゃないとよ? 楓ちゃんに食べて欲しそうな食材選んだんやけん、みんな気合い入っとるよ」


 食材にも気合いがあるらしい。長いスプーンを差し出され、私は手を合わせて遠慮なくいただくことにした。


「では遠慮なく、いただきまーす!」


 苺がとにかく冷たくて、甘い。素材の味そのままなのに、信じられないくらい甘い。冷たいホイップは遅れてくる甘さで、そこに酸っぱさのない甘い苺がのっかって。とにかく甘い。甘さとひんやりで満たされたところに、苺で作られた透明なゼリーが甘酸っぱくて口の中が飽きない。山盛りなのに絶妙なバランスで、どんどん食べても崩れない。クッキーがちょっとしょっぱくて、その味がまた、他の甘さをぎゅっと引き立てている。美味しい。


「嬉しかねえ」


 無心でただただ平らげる私を、羽犬さんは腰に手をあて、満足げに眺めていた。


「うちらにとって、土地のものを美味しく食べて貰うことほど嬉しいことはなかとよ」

「そうそう。楓ちゃんのおかげでまた美味しい苺に恵まれるやろねえ」


 いつの間にか隣に座っている、鯉のおいちゃんも頷いてる。


「ここにいたのか」


 裏口のほうから声が聞こえる。そこには紫乃さんの姿があった。


「おかえりなさい、紫乃さん!」

「おかえり、紫乃」

「屋敷のほうにいなかったから焦ったよ。無理はしてないか?」

「大丈夫大丈夫、俺がさせるわけなかやろ?」

「お前も楓引っ張り出すならちゃんと連絡しろ、心配するだろ」

「はーい」


 紫乃さんが隣に座ったとたん、パフェがガタガタと小刻みに揺れた。


「もしかして紫乃さんに食べたがられてます?」

「こら。楓におとなしく食べられなさい」


 紫乃さんがめっとパフェに言い聞かせる。

 私はキッチンからスプーンをもう一つ持ってきた。


「一緒に食べましょう、せっかくですし」

「そうか? ならせっかくだし」


 紫乃さんがスプーンを持つと、生クリームと苺が我先にとスプーンに飛び込む。


「スイーツは生ものが多いから特に積極的だな」

「ほんと好きなんですね紫乃さんのこと」

「俺が料理できない理由、わかった?」

「よくわかります」


 紫乃さんが苺を掬って食べて、美味しそうに目を細める。食べているだけでこんなに絵になる人もいるんだなと惚れ惚れする。思ったところで、人じゃなくて神様なんだと思い出す。


「神様もお腹空くんですか?」

「空きはしないけど、食べると元気になるよ。甘い物は好きだし」

「あ、好きって言われてパフェが喜んでる」


 がたがたと揺れるパフェを押さえながら、私は紫乃さんを見て改めて言った。


「お仕事お疲れ様でした、紫乃さん。一緒に行けなくてごめんなさい」

「謝らなくていいよ、楓は何も悪くないんだから」

「じゃあ紫乃さんも謝るのはなしですよ」


 私の言葉に、紫乃さんはふっと嬉しそうに笑って頭を撫でてくる。


「わかったわかった」


 わしわしと雑に頭をかき回されつつ、私はケースに入れたはやかけんを取り出して眺めた。


「うーん……せめて早くなんとかはやかけんビーム出せるようにならないかなあ……」


 そのとき、からんころんとまたドアベルが鳴る。

 慌てた様子の人魚さんの一人がやってきた。


「ごめん、忘れ物だけ取りに来たんだ。その辺に推しぬい転がってない?」

「推しぬい……?」


 彼女と一緒に掘りごたつのほうに行くと、鯉のおいちゃんが白いオコジョのぬいぐるみを差し出してくれる。


「うわ、おいちゃんありがと~!」

「もう忘れなさんなよ~」

「うん! 店じまいしてるのにはーくんもごめんね!」

「よかよか、早よいかんね」


 嬉しそうにお礼を言った彼女は、ぬいぐるみを丁寧にサコッシュにしまって店を後にする。

 出入り口まで見送ると、彼女は思い出したように振り返って言った。


「そうそう楓ちゃん。記憶消えてること、外じゃあまりバレないほうがいいかもよ」

「そうですよね、危ないですよね」

「うん。紫乃さんのことも楓ちゃんのことも、いろんな奴らが狙ってるからね。ワンチャン、モノにできないかってね」

「もの……?」


 彼女は、私の頰に軽くキスをしてにっこりと笑う。


「楓ちゃんも気をつけてね? 人魚は女の子も全然ありだから!」

「え、えええ」


 そのまま、綺麗な髪を靡かせて去っていく。

 彼女が行ってからげらげらと笑う羽犬さん。そして顔を覆う紫乃さん。


「モノにするってどういう意味ですか? 攫われるとか?」

「だあはははは、違う違う、恋愛的な意味だって!」

「れ、恋愛!?」

「なあ、うかうかしてられんっちゃない、紫乃?」

「そういえば想像したことなかったな、楓が他の人間と恋仲になるなんて」

「そ、そうなんですか?」

「ああ。ずっと俺だけだったから」

「へ、へー……」


 当たり前のようにさらりと言われると、どう反応すればいいのかわからない。


「楓は他の人と結婚したい?」

「い、今のところその予定はないですね……!」

「そうか」


 紫乃さんはにっこり笑って、再びパフェを口に運んだ。

 どんなニュアンスの質問と笑顔なのだろうか。

 記憶が消えたばかりの私には、紫乃さんの表情は解釈が難しい。

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