元貴族、敵国のスラム街から爵位を狙う

@aoyamo

第1話 スラム街での目覚め

 それは、普段眠りから覚めるのとなんら変わりはなかった。



「おー、お、こいつは金になりそうだな。しかし、なんでこいつこんな良い服着てこんなとこで酔い潰れてんだ」



ガサガサと自分の体を漁られる感覚で、ローレンスは重い瞼を開けた。



(……ここはどこだ…?)

「うわっ!」



ローレンスが目を覚ましたのを見て、金目のものがないか物色していた中年の男は尻餅をついた。



「いや、違うんです!ほんと!貴族様がこんなところで寝てたら危ないと思って!」



 慌てふためく男をよそに、ローレンスは急いで辺りを見回した。徐々に意識がはっきりしてきたらしいが、自分が置かれている状況の整理にまだ頭が追いついていないようである。



(夜。全く見覚えのない街。成功確率の低い禁術だったが、成功したのか…)

「お願いします、今執行猶予期間中なんです!どうか!勘弁を!」

「おい」

「はい!」

「今日は何日だ」

「9月6日です!執行猶予が切れるまではあと一ヶ月なんです!だからー」



 それは、ローレンスがディオーレ王国の戦乱から危機一髪逃れてきた、まさにその日であった。弁明を続ける男を無視してローレンスは考えた。



(転移位置は国境付近のセーフハウスにしたはずだったが、それはうまくいかなかったか。それでも、体がバラバラになったり海に転移して即死していたことを考えれば御の字…)



 敗軍であったローレンスは、ひとまずの国外脱出の成功に安堵したと同時に、残してきた領地の事を思った。屋敷にまで火がかけられ、残された道は自害するか転移魔術に賭けるくらいだった。ロックウェル家を存続させるためと、側近の者達の提案で半ば無理やり転移魔術にかけられたものの、果たして逃げてきたことがよかったのか、思う所は多々あるが、ローレンスはとにかく今、この男から情報を引き出し、安全な場所に移動することを第一の目標に決めた。というのも、捨てられたゴミや手入れの行き届いていない広場の様子を見ると、お世辞にも一夜を過ごすのに適した場所とは思えなかった。まだ話し続けている男を遮って、ローレンスは男の誤解を解いた。



「おい、何か勘違いしていないか。俺は貴族なんかじゃない。貴族がこんなところで寝ているわけがないだろう。知り合いと酒を飲んでいたら、いつの間にかここで寝ていたらしい」

「えっ、貴族じゃない…?じゃあこの服は…?」

「これか。これは…ふざけて着ただけだ。元は、盗んできたものだ」



 さすがに苦しいかとローレンスも咄嗟に答えたのちに後悔したが、



「なんだ、脅かすなよ!お前、趣味悪いぜ全く」



と、ジョンは短髪の頭を撫で、大袈裟に安堵した。どうやらひとまずは納得してくれたようである。



「いや、すまない」

「すまない?お前、喋りも貴族みてぇだな。まぁいいや。お前見かけない顔だけど、どっからきたんだ?」

「ああ、それは……隣町だ」

「隣町っていうと、バレンシアか?なんでまたそんないいとこからこんな所に」



 ローレンスは平然と男と会話を続けながらも、衝撃を受けていた。バレンシア、それはディオーレ王国からはるかに離れた、プロキス共和国の街の名前である。転移魔術を詠唱した地点からセーフハウスまでの距離とは比較にならないほど離れている。さらに何よりも、プロキスは例の内戦を魔法石の権益獲得のために裏で主導した、ディオーレにとっては敵国と言って差し支えない国家であった。またもや思考が止まりかけたが、ローレンスはなんとか会話を続けた。



「まぁ俺の身の上話はいいじゃないか。それより、今日寝るところと服がないのが困る。どうやら金も全て盗まれたらしい。あんたもお気づきの通り、この服は売れば金になる。どこか、買い取ってくれそうなところはないか?助けてくれたら、2割を渡そう」



嫌味を言われた男は、ローレンスから視線を外しながら、これを受けた。



「2割か…、まぁいいだろう。寝床はとりあえず今日は干し草小屋でいいな?俺の小屋じゃねえけど」

「ああ、かまわない」

「よし。後は服だが、買ってくれるところはここからそう遠くない。それに今は営業中だ。行くかい?」

「行こう、ただ着て行く服は…」

「それぐらい貸してやるよ。ちょっと待ってな」

「すまない…名前は?」

「ジョン。あんたは?」



ローレンスは、視界の端にグレンズバートストリートと書かれた看板を見た。



「グレンだ。よろしく」



 こうして、グレンとジョンは服が売れるという場所へと歩き始めた。グレンは人生で初めての安っぽい服に身を包み、布袋にさっきまで来ていた服を詰め込んで肩に下げている。グレンは歩きつつ改めて街の様子を観察した。どの家やアパートも手入れが行き届いておらずボロボロ、道にはゴミがそのまま捨ててあるし、十軒に一つくらいマシな家があったかと思えば、窓に空き巣対策の鉄格子がしっかりと打ち付けられている。さすがにグレンズバートストリートという地名は聞いたことがなかったが、スラム街であるらしいことは目に明らかであった。そもそも、ジョンと名乗るこの男も、グレンから金目のものが盗めないか物色していたのである。



「あ、あんた今汚ねぇなこの街って思っただろ」



グレンが街の様子を窺っているのを見て、ジョンが言った。グレンは二人の横を駆けていくネズミを目で追いながら、



「まぁ、バレンシアよりネズミが多いのは確かだな」



と、適当に答えた。実際、視察のような形で貧困街を見にいくことはあったが、ローレンスの領地のそれはここよりはマシだった。



「ここも俺が生まれた頃なんかはもうちょっとマシだったんだぜ。だが領主の貴族が今の大馬鹿野郎になってから、この通りだ。引っ越す余裕のある奴らはみんな逃げちまった。全く、何が貴族だ。生まれつきあんな綺麗なところで育って、世の中のことがわかるわけねぇよ。なぁ?」

「その通りだな」

「俺だってあいつらみてぇに魔法が使えればなぁ。ガキの頃から練習して、いい杖さえ手に入れば、俺だってきっとできたぜ。こう、杖を振ると炎が出てトラになって、貴族の野郎を食っちまうんだ。知ってるかぁ?トラ。東の方の国にいる猛獣だ。魔物じゃないが、毛並みが美しいらしい」

「聞いたことはあるな」



 聞いたことどころか、本当はグレンは見たことがあった。ディオーレ王国の建国記念日に正にその東国が贈ってきてくれたのである。ジョンはそんなことは知るはずもなく、むしろ自分の知識に自信満々といった様子である。自然な流れでグレンは、



「ジョンは、杖なしでどれくらい魔法が使えるんだ?」



と聞いた。するとジョンは目を閉じて首を横に振り、



「いや、俺はもうからっきしさ。カップの中の紅茶を揺らすぐらいしかできねぇ」



と極めて残念そうな顔をして答えた。



「さ、もうすぐつくぜ。ちなみにそれを買い取ってくれるビクターってやつは、酒場の奥の隠れた部屋にいる。首にまでタトゥーが入ってるから、すぐわかる。おい、びびっちゃいけないぜ。堂々としてないと足元見られるからな」

「なんだ、ジョンは来ないのか?」

「入れるのは一人までなんだ。俺は酒場の方で待ってる」

「…なるほどな。これ、いくらで売れると思う?」

「まぁ、1000ジェリーってとこじゃないか」



 ジョンから必要な情報を聞きつつ汚い大通りを通って10分くらい歩くと、店が見えてきた。確かに明かりがついているらしいが、それよりグレンは、店の前に鎖で繋がれた、犬のような黒い塊が座っているのが気になった。



「おい、店は犬でも飼ってるのか?」

「あーいや、あれはバンクルスだ。顔見知りじゃない人間が店に入ろうとすると襲うように教えられてる。一人でも顔見知りがいればオーケーだから、心配しなくていい」

「噛みつかれると魔力を吸い取る魔獣か。いつ貴族に摘発されても安心というわけだ」



 バンクルス自体は、珍しい魔獣ではない。人間によく懐き、知能が高く記憶力に優れているので門番として使われることはよくある。しかし、決して安く手に入るものではないので、このスラム街の外れの酒場にいるのはやや場違いに感じられた。


 店の前まで近づいていくと、徐々にその姿が明らかになった。図体は大型犬と同じくらいで、バンクルスの特徴である目のない頭が、真っ直ぐにグレンの方を向いている。唸ったり牙を見せたりはしていないが、ドアの前まで来てもじっとグレンだけを見上げている。



「あっ、そうそう」



ジョンは酒場に入る前にニヤッと笑って付け足した。



「奥の部屋に入るときは、ノックを五回するんだ。いいな。五回だぜ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る