従者二人

「チェストー!!!」


 突如、場違いな底抜けに明るい声が、書斎に響き渡る。振り向いたフィーコが目にしたのは、ミノタウロスの横っ腹に漆黒の槍を突き刺す緑髪の少女の姿だった。


「グオオオオ!?!?」


 槍を深く突き刺されたミノタウロスは強烈な痛みの叫びを上げる。

 緑髪の少女はその黒い槍を引き抜くと、見せびらかすようにクルクルと手元で回転させた。彼女は水色のブラウスに、薄いグレーのショートパンツを身に着けている。


「見かけの割に柔いね、こいつ」

「カリラ! でも一体どこから……?」


 カリラと呼ばれた少女が飛んできた方向を見ると、壁に大きな丸い穴ができている。そして、その穴からこちらに向かって、また別の青髪の少女が走り寄ってきた。


「フィーコ、無事か!」

「ピスケ! 助けに来てくれたのですか!」

「お前がお茶の時間になっても来ないから、また妙な実験に没頭しているんじゃないかとな。妙で片付く騒ぎじゃ無いようだが……」


 ピスケと呼ばれた深い青の短髪の少女は、いずれも白いブレザーとスラックスを身に着けている。

 ピスケは、ミノタウロスの方を見やる。痛みに呻くミノタウロスが、怒号をカリラに発している。しかしカリラは臆するでもなく、右側だけ結んだ髪をこともなげに指で弄んでいる。


「こりゃ2級討伐クラスは固いかな? フィーコ、後で報酬出してもらえるようにガルドのおっちゃんにかけあってよね!」


 カリラが軽口を叩きながら黒い槍を頭上にかざすと、彼女の指輪が光るのに合わせ、その形状がみるみる変化し始める。数秒と経たず、それは黒い大鎌へと姿を変える。


「カマイタチのフォーム、こいつで何個試せるかな?」


 カリラが大鎌 ーー幻獣カマイタチーー を構えると、ミノタウロスは斧を振りかざしてカリラに打ち下ろす。カリラはひょいと脇に避けると、その剛腕に向かって大鎌を床から弧を描くように振り上げる。ミノタウロスの腕が深く切り裂かれる。


「グアァァぁ!?!?」

「さすがに骨は硬いね。一発じゃ無理か」

「グアゥ!」


 ミノタウロスが、もう一方の手でカリラを殴りつける。カリラは宙返りして空中に回避すると、今度はカマイタチを棍棒状に変化させる。


「オラァ!」


 彼女が棍棒でミノタウロスの頭を殴りつけると、ミノタウロスの動きが止まり、よろめく。

 フィーコはその軽やかな戦い方に思わず見とれた。


「カリラ、ますます動きが冴え渡っていますね……」

「おい、ここは武芸大会の観客席じゃないぞ。この魔法陣を完成させればいいのか?」


 ピスケが描きかけの魔法陣を指さすと、フィーコはハッとして頷く。


「そ、そうでした! 30秒あれば大丈夫です!」

「分かった。まずは退路を確保しておこう」


 ピスケが右手をかざすと、指輪の発光とともに、腰の高さ程度の小人 ーー ドワーフ ーー が出現する。


「こちらの壁に穴を」


 彼女の指示を受け、ドワーフは持っているハンマーを、魔法陣が描かれていない壁に打ち付ける。壁はみるみると溶解し、そこに大きな穴が開く。


「カリラが相手してれば大丈夫だと思うが、念のためガードも固めておこう」


 今度は、ドワーフが床に散らばった本棚や本に向かってハンマーを打ち付ける。本棚や本がみるみる溶解したかと思うと、変形して木製のバリケードになる。


「ああ! 私の愛書を原材料に使わないでください!」

「命がかかっている時に呑気なことを言ってられるか! お前は魔法陣に集中しろ!」

「うぅぅ……大陸に1冊しかないものもあるのに……」


 フィーコは泣く泣く魔法陣を描き続ける。


「……できました! パスの位置がちょうどよいところでよかった……」


 フィーコは魔法陣に両手をつくと、詠唱を始める。すると魔法陣が発光し始め、カリラと戦闘を繰り広げるミノタウロスの足元の本棚の下からも、白い光が発生する。


「グウ!?」


 ミノタウロスが、眩い光に包まれ始める。カリラがその場からスッと離れる。


「どうぞお帰りください!」


 詠唱を終えたフィーコが言うと、ミノタウロスは白色光に包まれ、その体が見えなくなる。そしてしばらくすると光は収まり始め、なくなった時にはミノタウロスの巨体も消え去っていた。






 惨憺たる有様の書斎を見るや、ガルドは広角泡を飛ばした。


「どういう了見だ! わしの与えた書斎が軍事教練場になっておるではないか!」


 ガルドの正面には、フィーコとワレーシャの2人が立ち尽くしていた。


「申し訳ありませんお父様……せっかく頂いた書斎をこのように滅茶苦茶にしてしまい……」

「建物など直せば良い。だがお前に万が一があってはどうする! お前は唯一の皇位継承者じゃぞ!」


 項垂れるフィーコの足元に、ガルドから電流が弾け飛ぶ。フィーコが思わず後退りする。

 隣のワレーシャは、挑戦的な眼差しでガルドをじっと見据えた。


「陛下、それは違いますわ。分家の当主たる私にも皇位継承権はございます」

「のうワレーシャ。分家が皇位を継承できるのは、本家の血筋が絶えた時だけだ。そのことはお前が一番知っておろう」

「ええ、その古臭いしきたりのことは以前両親からよーく聞きましたわ。しかしお言葉ですが、適材適所というものがあるのではございませんこと? フィーコはどう見ても学者肌。今回の実験こそうまくいきませんでしたが、いずれは世紀の大発見をするに違いありませんわ」

「そうかもしれんのう。して、お主に皇帝の資質があると?」


 ワレーシャは、胸に手を当てて一歩前に進み出る。


「もちろんですわ! 皇帝に必要なのは勇気と武略! このわたくしこそふさわし……」

「牛の化け物の前で呑気に昼寝しておったのも、勇気の表れということか」

「な、ぐ、それは……!」


 雄弁だったワレーシャは、痛いところを突かれて急に口ごもる。


「お父様、ワレーシャを悪く言わないでください。ワレーシャが身を挺して守ってくれなければ、私は今頃どうなっていたか……」


 フィーコがフォローを出すも、ガルドの眉はピクリとも動かない。


「のうフィーコ。わしがこの大陸を制覇してからどれほどになる」

「え……最後の大国であったウェリッサ王国を滅ぼしたのが5年3ヶ月8日前になりますが、それが何か……」

「それ以降、戦争は起きたか」

「いえ……残党による小規模な反乱はありましたが、戦争と呼べるものは特に」

「わしが即位した30年前はこうはいかなかった。大国列強が虎視眈々と我が領土を狙い、同盟国どころか貴族連中さえいつ裏切るかも分からぬ。乱世だ。こういう時代の指導者は、猛き者でなければならん。代償も大きかったがな……」


 ガルドは、壁にかけられた男性3人の肖像画に目をやる。皆、若くして戦死したフィーコの兄達だ。


「だがな、時代は変わった。これからの世に必要なのは、わしのような荒くれ者ではなく、賢く徳のある者だ。太平の世を治めるには、わしとは異なるエネルギーが要る」


 いつの間にかガルドの表情は穏やかになり、周りを渦巻いていた電流はなりをひそめていた。


「異なるエネルギー……」


 フィーコはガルドを見つめたまま呟く。それを横目で見たワレーシャは、苦々しい顔をする。


「たいへんありがたいお話の最中に恐縮ですが……ここ数年の平和は、陛下の圧倒的な武名があってのことではございませんこと? その重石がなくなった時、一体どのような災禍が起こるか、想像もつきませんわ」

「儂が重石なら、お前は文鎮程度にもならんわい。分を弁えろ」

「なっ……!」


 ガルドに冷たく言い放たれ、ワレーシャは顔を真っ赤にする。一方、フィーコは顎に指を当てたまま、深く考え込んでいる。


「フィーコ、わしの言いたきことが分かるな?」

「わかりました……」


 ずっと俯いていたフィーコは、急にパッと面を上げる。


「そう、エネルギーが足りなかったのです! 幻獣の世界はいわばエネルギーの壁! それを通過して科学の世界とのパスを開くには、より大きなエネルギーが必要なのです!」

「お、お主、何の話を……」

「魔法陣をあの5倍は作り込まなければなりません! これは大仕事です! ワレーシャ、書斎が片付けられる前に必要な道具だけは確保しムググ……」


 熱に浮かされて話すフィーコの口を、ワレーシャが押さえ込む。ワレーシャが恐る恐るガルドの方を見やると、案の定そこには電気の雲が渦巻いていた。


「皇帝ガルドの名の下に命ずる! 書斎は没収とし、実験も今後一切禁止だ!」


 ガルドの瞳に、電流が走った。

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