純愛教の狂信者

五橋

純愛教の狂信者、幼馴染を救うために敵対派閥をぶっ潰す

「汝、レイドの研鑚とその信心深さを認め、教皇ライオネル=シュプレイアの名のもとに貴方を司祭として認めます。よく学び、よく働き、よく愛しましたね、レイド」


 頭上から教皇猊下の慈愛が降り注いでいる。

 厳かな空間、窓から差し込む光が天から降り注いでいる。

 王都にある純愛教の総本山、アール大聖堂で俺は洗礼を受けていた。


 「貴方の努力は孤児院のほうからもよく伝わっています、誰よりも愛を信じ、誰よりも愛に生きる男の子だと」


 「それは……ありがたい話です、毎日修行に明け暮れていた我が身もうかばれます」


 「ええ、ええ、では最後に、貴方が生涯愛を捧げると誓った相手の名を教えていただけますかな?」


 ここで誓った相手を裏切れば……死ぬ。

 その代わりに強大な力を天から授けられるのが純愛教の特色である。

 俺の答えは十年前から変わらない。

 五歳のころに知った君のことを、今でも俺は愛している。


 「妖精王アリエスタ様、です!!」


 「むう?」


 少々面食らったような顔の教皇猊下だったが、その表情には段々と緊張が張り詰めていった。


 「たしかに、貴方が五歳のころから彼女のことを愛しているのは知っています、ですが彼女は……物語の登場人物なのですよ?」


 そう、妖精王アリエスタは『世界神話』というこの世界の創世記に登場するキャラクターの一人なのだ。

 だが、そんなことは関係ない。

 俺は彼女の高潔な生きざまに惚れたんだ……


 「ええ、構いませんとも。私は彼女のために生き、彼女のために死ぬことを誓います。決して、何人たりとも私の思いは邪魔させません!」


 「なるほど……それほどまでに……わかりました、あなたに洗礼を施します」


 頭を下げて洗礼を待つ……

 そうしていると、わずかな水音ののち、頭に水をかけられたのだと理解した。

 これで洗礼の儀は終わりだ。

 まだまだ洗礼の儀を待つものが後ろにつっかえている。


 「ありがとうございました、私の愛を貫いて見せます」


 お礼だけ言って、俺は自分の席に戻った。

 

 「なあ、お前、本気か?」


 隣から声をかけてきた少年を見やる。

 彼は孤児院の同期のジャックだ。

 十年も繰り返し言い聞かせてきたのに、まだ何か言いたいらしい。


 「本気も本気だ、俺の愛はすでにアリエスタ様に捧げてある。」

  

 「結婚も子供もできないんだぜ?いかれていやがる」


 「純愛教徒ならよくあることだろ」


 「それでもよお、現実の女ならまだ可能性はあるがお前の場合は不可能だろ?」


 そう、純愛教徒は……わりとモテル。

 なにせ破れば死、という相手を絶対に裏切らないと誓いを立てるのだから。

 だがそれでも純愛教徒が生涯に渡って添い遂げられることは少ない。

 純愛教の信者同士で両想いならば上手くいくのだが、そうでない場合なかなか悲惨なことになりがちだ。

 相手が絶対に裏切らない、という状況だとどうにも欲が出るらしく、純愛教徒と結婚した人は不倫しがちらしい。

 皮肉なものである。


 「不可能、ってほどでもないさ。可能性はある」


 「へいへい、『世界神話』復活の章な?何度も聞かされればいやでも憶える」


 「そう、それだ。俺は絶対に彼女を復活させて見せる」


 「はーいはい」


 あきれたように笑うジャックは肩をすくめて見せると、やれやれというように、頭をふるった。


 「というかお前だって人のこと言えないだろ?孤児院のシスターってお前……」


 「いいんだよ、俺は、あの人が笑顔でいてくれればな」


 突然真剣な表情になったジャックに軽く恐怖を覚えるが、純愛教徒はみんなこんな感じだ。

 だがまあ、人の愛情に気分で文句をのたまうほど俺も落ちぶれてはいない。

 ジャックが俺に声をかけてきたのだって心配だったからだろうしな。


 「お、次はニーナじゃないか?いったい誰に愛を誓うんだろうな?」


 「趣味が悪いぞジャック」

 

 そこに現れたのは気品あふれる少女だった、日の光に照らされた少女の金髪がまぶしく輝き、ぱっちりと開いた瞳はエメラルドグリーン。

 まだ大人になりきれない、あどけない顔立ちだが、その少女の立ち姿は芸術品のようだった。


 どうやら次は孤児院の同期のニーナらしい。

 美辞麗句を並べたが、もはや見慣れた姿のため俺たち孤児院組は驚かないが、一般の人たちはそうではないようで……

 ざわざわと空気が揺れていた。


 だが、少々ニーナの様子がおかしい。

 そわそわと落ち着かない雰囲気を見せながら、顔を俯かせていた。


 「あいつ……大丈夫か?緊張してんのか?」


 何も知らないジャックはからかうように笑っているが……

 もしあの噂が本当ならば俺は……


 「それでは、貴方が生涯愛を捧げると誓った相手の名を教えていただけますかな?」


 尋ねながらもどこかいたましそうに目を伏せる教皇猊下。

 ニーナはがくがくと唇を震わせるばかりだった。


 「わ、私は、私の愛は……」


 ここまできてなかなか口に出せないのならば噂は本当だったのだろう。

 幼いころから目を輝かせて愛を語っていたニーナにはずっと、それこそ生まれた時から好きな人がいるのだという。


 恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに恋煩っていた彼女からは想像がつかないほどに今のニーナは憔悴して見えた。


 「あいつ……本当に大丈夫か?」


 いよいよその深刻さに気が付いたのかジャックが眉をひそめた。


 「ああ、悪いが俺は行ってくる!」


 「ちょ、待てよ……」


 ジャックの声を振り払ってニーナのもとに駆け寄る。


 「お願いします、ニーナの洗礼は延期させていただけませんか!?」


 「レイド君!?」


 教皇猊下は目を瞬かせると、悩むように視線をさまよわせた。


 「一週間でよいのです、一週間いただければ必ず……ですからどうか!!」

 

 俺の懇願に耳を傾けてくれた教皇は仕方がなさそうに、けれど嬉しそうに言った。


 「ふーむ、よいでしょう。ではニーナさんはまた別日にするとしましょう。それでもよろしいかなニーナ殿?」


 教皇猊下のお言葉にゆっくりと頷いたニーナはどうやらそうとう参っているらしかった。

 


 「よし、行こうニーナ」


 優しくニーナの手を握ってジャックのもとに歩き出す。

 一際目立っていた俺たちをジャックは笑顔で受け入れた。


 「おいおい、どうしたんだよ?そんなに恥ずかしかったのか?」


 からかいたいだけだったようだ。

 時折クソガキになるジャックにため息をつきたくなる。


 「どう見てもそんなんじゃなかっただろうに」


 「分かってるってば、空気を軽くしようとしたんだよ……でも……」


 そういってニーナの顔を覗き込んだジャックは軽く後悔を顔に浮かべた後、真剣な表情を作った。


 「ニーナ、何かあったのか?何でも言ってみろ、俺たち孤児院の人間はお前のためならなんだってやるぜ!」


 なかなか覚悟の決まった言葉だったが、実際嘘ではない。

 孤児院の人間はそのほとんどが彼女の恋路を知り、そして応援している。

 かくいう俺もその一人で、彼女の恋を本気で応援する気でいる。

 なにせ十五年も想いつづけているのだ。

 これで報われないのは嘘ってもんだろう。

 だが俺たちの思いに反して、ニーナは軽く顔を横に振った。


 「みんなに……迷惑をかけるわけにはいかないもの……」


 「迷惑なんて、そんなことあるわけないだろ!」


 「そうだぞニーナ『一人が幸せならみんなが幸せ、みんなが幸せなら一人も幸せ』そう教えてくれたのはニーナだっただろ?」


 ジャックが声を荒げ、俺は優しく諭すように口にした。

 だがそれでもやはり、ニーナの表情は優れない。


 「ほんとに……大丈夫だから、心配しないで、ちょっと緊張しただけだから」


 そう言って笑って見せたニーナの顔はいつもの彼女が見せる天真爛漫なものではなく、今にも泣きだしそうな、ひきつった笑顔だった。


 「……」


 ここまで言われてしまえば何も言えない。

 俺とジャックはニーナを慰めるように声をかけながら、一度孤児院に戻った。




 「あら、おかえりなさい、洗礼はどうだった?」


 清貧という言葉がふさわしいのだろうか。

 長く伸ばした黒髪に、丸く輝く青い瞳に優しさと憐憫を閉じ込めて、俺たちの母親代わりのシスターであるフィールは静かに問いかけた。


 「それがよお、ニーナの洗礼が延期になっちまったんだ」


 ジャックの言葉を聞いたフィールがいくらか目を細めた。


 「大丈夫よ、ニーナ。少し遅れるくらいどうってことないもの」


 ひざを折って優しくニーナを抱きしめたフィールはトントンと手で、優しくニーナの背中をさすった。

 まるであやすように振る舞うフィール。

 抱きしめられたニーナを羨ましそうに眺めるジャック。

 されるがままで、次第に嗚咽を漏らし始めたニーナ。

 俺は手持ち無沙汰に立っていることしかできなかった。


  

 

 俺たちが孤児院に戻ってきて、三日が経った。

 その間もニーナの気分が晴れることはなく、何かに追い詰められるように背を丸めていた。


 「ニーナ、大丈夫か?絶対に俺が何とかしてみせるから……」


 返事は帰ってこない。


 気休めにもならない言葉を吐いて自己満足に浸る自分が嫌になる。

 なにが何とかする、だ。

 何もできないくせに大言壮語を吐く自分の口が憎らしかった。

 この孤児院は……人質に取られていた。


ーーー


 昨日の夜、フィールに噂のことを問い詰めた俺は、ついに真実を知った。

 ニーナは……純愛教三大派閥の一柱、オルデウス派閥に生贄としてささげられる……

 なんだそれは、と頭が沸騰して怒りに呑まれそうになった俺にフィールは告げた。


 「私だっていやです、オルデウスの派閥は一対多をよしとする、権力者たちの集まり……ですが彼らは同時に、この孤児院に寄付を続けてくれる支援者でもあります、彼らに逆らえば支援は打ち切られ、この孤児院は立ち行かなくなってしまうでしょう。私にはそれが、耐えられない……」

 

 俺たち教皇派は一対一の純愛を信奉している。

 そんな俺たちに理不尽を振るおうとするオルデウス派に、フィールは全身から悔しさをにじませていた。


 「どれだけ考えても、こうするしかないのです!オルデウス様に逆らえば私たちは……」


 懇願するように、許しを求めるように言葉を紡ぐフィールはいつもの彼女の様子がともすれば幻だったのではないかと思うほどに狼狽していた。


 「つまり俺達にはどうしようもない、貴方はそうおっしゃるのですね?」


 俺が確かめるように尋ねると、彼女は弱々しく頷いた。


 「ーーーー」


 ゆっくりとため息をついて考える、いったい何を間違ったというのだろう。

 噂をすぐに確かめなかったことだろうか?

 それともこの孤児院の金銭事情を把握していなかったことだろうか?


 自分の間抜けさに腹が立った俺はそのままフィールとろくに会話もせずに眠ってしまったのだった。


ーーー


 目の前でうずくまっているニーナを見ていると、子供のころを思い出す。


 彼女がひとさらいに捕まりそうになっていた時だ。

 町から走って孤児院に逃げてきたニーナとそれを追いかける人さらい。

 そのころ意気消沈していた俺はそれを眺めていることしかできなかった。


 踏み荒らされる花壇に、蹴とばされる畑。

 人さらいは容赦なく孤児院に侵入し、そうしてニーナを追い詰めた。


 その日はちょうどフィールが出かけている日で、大人が誰もいなかった。

 だから息切れてしまって、うずくまった彼女を助けられる人間なんて誰もいなかった。

 頭の奥がちりりと熱くなって、俺は額を押さえた。


 数少ない今となっては大嫌いな母親との記憶。

 いやに耳に残った言葉が頭をこだまする。


 『いい?高潔なる精霊王はその力を、多くの人を助けるために使った。彼女は救いを求めるものを一人として拒まず、そのすべてを救った。あなたも精霊王様みたいな……』


 すでに足は動き出していた……

 最悪な思い出を燃料に、よりよい未来に向けて動き出す。

 脳裏にちらつく母親大嫌いな人の顔がうっとうしい。


 それでも気が付けば俺は、山のように大きな二人組の男を前にして……


 「―――――――――――――――――」


 何かを言った気がするが思い出せない。

 だがそんなことはどうでもいいだろう。

 噛みつき、ひっかき、己の体の全てを使って彼らを撃退した後にニーナが向けてくれたあの表情が忘れられない。


 「ありがとう、レイド!」


 嬉しくて、悲しくて、泣きそうで、でも安心したようなそんな表情……


 


 ここまで思い出してようやく決心がついた。

 そうだ、俺は妖精王様に愛を誓ったのだ……

 ならば、彼女のように人を助けるのが道理だろう。

 そうしなければ彼女に顔向けできない……


 自分の原点に立ち返ってみれば単純なことだった。

 ならばもう、悩む必要はない。

 ならばもう、悲しむ必要はない。


 「―――――――――――――――――」


 そうニーナに告げて俺は孤児院を発った。




ーーーーーー


 「それで?まだ来んのか?次の妾は?」


 でっぷりと太った男が苛立ちを隠そうともせずに怒鳴った。


 そばで控えている女たち、壁に並ぶ小間使い、それらすべてが小さく震えていた。

  

 「あの女はわしのものだと、そういったはずじゃ!なにを手間取っておる!?」


 不機嫌さを隠そうともしない彼……オルデウスはダン!と床を踏みつけた。


 「せ、洗礼が遅れているとのことで……ッく!」


 震えるように声を絞り出した小間使いが殴られた。

 その体のどこにそんな力があるのかと思うほどの速さで、機敏に動いた彼は人を殴っていくらか気分が落ち着いたのか。

 見せつけるようにその体を捻った。


 「よいか、わしの思い通りにならないことなどあってはならない、権力だろうと力だろうとわしに敵う者などおらんのじゃ!」


 彼の自信は確かな実力に裏打ちされたものだった。

 高位貴族の次男に生まれ、長男に子ができてからは純愛教に入信した。

 一部の貴族には知られている裏技……愛を誓う対象を『自分を愛する者』として誓うことで、彼は力をつけていった。

 

 純愛教の性質上、その愛がより深く、より強い者にはより強い力が授けられる。

 だが貴族の中ではそんな想いを持つ人間は少ない。

 多くの場合が政略結婚で婚姻を結ぶ彼らにとって、純愛教は相性が悪いのだ。


 一人の人間を強く愛せない、だが純愛教の加護は欲しい、そう考えた貴族たちが作り出したのが裏技だった。

 多くの人間に無理やり純愛教に入信させる、勿論その時に自分を愛するように誓わせるのを忘れずに。

 そうして自分を裏切れば死ぬ、という状況に追い込んで他人を支配する。


 そうすることで、たとえ一人一人の愛情は薄くともその加護は強大なものになる。

 愛とは質ではなく量である……それを体現するのが元貴族が多く所属するオルデウス派の信仰だった。


 「まあ、よい哀れな小娘を食すのはもう少し後にしてやろうではないか……クックック」


 男はくつくつと笑った。

 


ーーーーーー



 ナイフよし、剣よし、スクロールよし、加護よし。


 ――俺は、オルデウスに襲撃をかけることにした――


 指差し確認をして戦闘に備える。

 準備に手間取ってしまった。

 明日にはニーナは洗礼に向かってしまうだろう。


 だから……今晩中に決着を付けなければならない……


 俺よりもずっと強い元貴族様に勝てるかは分からないがやるしかない、すでに俺の意思は固かった。

 とっぷりと日が沈むのを待ってから、オルデウスの住居、奢楽の塔へと向かう。


 黒い頭巾を被り、夜の闇に溶け込みながら走る。

 当然監視はいるため、門からではなく窓から侵入する。


 登山用の道具で淡々と上っていく。

 たしかオルデウスの部屋は七回の東側だったはずだ。


 加護を得たからか、体が軽い。

 人外の挙動で目当ての部屋の窓にたどりついた俺は、スクロールを取り出した。


 『大炎豪風』


 ――――――――スクロールから勢いよく飛び出した炎が部屋を焼いた。


 一瞬で燃え広がったが、これだけでは死んでくれないだろう。

 加護は人間の体を強固にする。


 燃え盛る部屋に俺は、自ら飛び込んだ。


 そして見たものは……


 丸焼きになりながらもぴんぴんしているオルデウスだった。


 「貴様、こんなことをして何をしたいのだ?」


 心底理解できない、といったように彼は頭をふるった。


 「この程度の魔法でわしが傷つくわけもなく、お前程度の人間に何ができるわけでもない、本当に、愚かだ」


 巨体の男の瞳が俺をとらえた。

 瞬間――


 「グッ……」


 体を走る衝撃、何が起きたのか理解できない。

 壁にたたきつけられたことがかろうじて分かり、次に拳を突き出した状態のオルデウスを見て理解する。

 俺は……殴られたのだ。

 まったく見えなかった。

 それほどの速さで踏み込み、拳を振るった。


 眼前の存在が恐ろしい。

 次にいつ攻撃が来るのか、次に攻撃を食らえば死んでしまうのではないか?

 恐怖に体が縛り付けられる。


 「分かっただろう?お前程度のゴミムシ、どうとでもなるのだ。思い上がったなクソガキめ!」


 ――衝撃――、――衝撃――、――衝撃――


 三度振りかぶり、腹にねじ込まれた拳が内臓をえぐった。

 意識が飛びそうになる。

 侮っていた、どこまでも侮っていたのだ。

 所詮は元貴族、裕福な家庭に育ったふぬけだと。

 だが結果はどうだ?

 彼は愛に囲まれて育ち、愛に必要とされて、愛に支えられて生きている。

 俺の肉体のもろさがその証拠だった。

 ほとんど強化されていない、生身の肉体。

 自分がいかに愛されていないかを自覚する。

 自分の愛がいかにか細い者か自覚する。


 それに比べて彼はどうだ。

 世界に愛され、世界を愛し、思うままに操っている。

 こんな人間に勝てるわけがない。


 このまま死ぬのか……という恐怖が体を襲った。

 震える、震える、体が震える。

 それが暴力によるものなのか、恐怖によるものなのか分からなくなってくる。


 何もかもがわからない……

 もはや何も感じられなくなったときに、頭をよぎったのはやはり、大嫌いな人のことだった。


 父親は言った、愛など幻だと。

 次の父親は言った、愛なんて邪魔だと。

 その次の父親は言った、愛なんて存在しないと。

 その次の……

 その次の……

 その次の……


 そうして最後に母親は言った、おまえなんていらないと。


 鬱々とした気持ちで、死を迎える。

 何をしていたのだろう、誰にも望まれず、誰にも愛されなかった俺なんて必要ないだろう。

 最後に残った心の芯までぽっきりと折れそうになって……




 それでも俺は……折れなかった。

 最後には捨てられた、裏切られた、誰にも必要とされなかった。

 それでも、忘れられなかった。


 静かな部屋で、母親が本を読み聞かせている、男の子は瞳を輝かせている、父親はその光景をまぶしそうに眺めながら、くつろいでいる。


 忘れられるはずがなかった。

 たとえどれだけ否定されようとも、確かにそれは本物だった。


 俺を育んだ愛を、俺は忘れることができなかった。


 だから今、取りこぼしていないものを数え直す。


 大丈夫、俺は確かに必要とされている。

 彼女が、ニーナが笑いかけてくれた……

 憧れに、妖精王様に近づけている……

 フィールは母親の代わりに愛情を注いでくれた。

 ジャックもいつだって俺を心配してくれる。


 これ以上を失わないために!


 腕に力をこめる、ぼやけていた視界が定まっていく。


 呆けたようなおっさんの顔が目の前にあって、一言。


 「俺は、ムシケラじゃない」


 振るった拳がおっさんの顔にめり込み、吹き飛ばす。


 「俺は、愛されている」


 すっくと起き上がったおっさんが拳を構えて居るが、関係ない。


 「俺は、愛している」


 放った蹴りがおっさんの腹に食い込んで、吹き飛んだ。

 

 「お、おまえ、おかしいじゃろ!!そんな急に加護が強化されるわけがなかろう!」


 「そうか?そうかもな。けど、愛はたしかにそこにあるんだよ、おっさん」


 「?そんなもんがどこにある?」


 苛立たしげなおっさんが目を細めてこちらをにらんでいる。

 いくらにらんだって見えやしない、愛は、心の中にあるものだから。


 「そろそろ終わらせるぞ、おっさん!」


 「はん、ちょっとばかし加護の出力が上がったからって何を言っておる、その程度の加護でわしを上回れるとでも思ったか?」


 拳に力を込める。

 

 「おっさん、俺たちが洗礼の時に何で愛を誓うのか知ってるか?」


 「そんなもの、契約で縛るために決まっておろう」


 フンと鼻で笑うおっさんに狙いを定める。

 確かにそういう風に利用する奴もいるだろう。

 たがいを縛るために純愛教に入信する夫婦もいる……けれど!

 おっさんに教えてやらねばならない、俺たちの願いを、想いを。


 彼のみなぎる加護はその全身を覆っており、そのすべてを守りに回しているようだった。

 だからこそ、俺は彼を否定しなければならない。

 

 「縛るためじゃなく、祈るために俺たちは誓いを立ててんだよおおお!!」


 加速する体、それとは正反対に遅延する思考。

 友人が、憧れが、母親が、彼女が、俺の背中を押している。


 鮮明に映る彼女の笑顔が……

 人を助けることを躊躇しない、高潔な彼女の、あどけない笑顔が……

 確かに俺の中にあった。


 ――轟音――


 ばらばらに砕け散ったおっさんの体だったものが手にこびれついていた。


 「賊だ、とらえろ!」


 兵士たちが部屋に集まってくる音が聞こえてきた。

 急いで窓から飛び降りた俺は、そのまま雑踏の中に姿を消した。


 

ーーーーーーーーー


 結局、レイドはどこに行っちゃったんだろう。

 心の中で呟いてみる。

 三日前に飛び出して帰ってきてないってフィールさんが言ってたっけ?

 最後くらいは会いにきてほしかったな、なんて思ったりして。

 レイドがくれた最後の一週間あんまり楽しめなかったなってちょっぴり後悔して。

 約束守れそうにないなって悲しくなって、それでも……


 「準備はよろしいですかなニーナ殿?」


 やっぱり申し訳なさそうな顔をしている教皇猊下を見て、次に握りこまれた自分の手のひらを見て。

 それでやっぱりいやだな、なんて思って。


 「それでは、貴方が生涯愛を捧げると誓った相手の名を教えていただけますかな?」


 でも、しょうがないことなんだって思って私は……


 「私は……」


 「猊下ああああああああ、猊下、大変でございます!!」


 慌てた様子の司祭さんが走りこんできた。

 いったい何があったのだろう?

 

 「落ち着きなさい、ウルス司祭。ゆっくり話すのですよ」


 「それが落ち着いていられますか!!オルデウス様が亡くなったのです!!」


 「なんと!!」


 教皇猊下は目を瞬かせると、次に私に視線をむけてにっこりとほほ笑んだ。


 「ウルス司祭は少し出ていてもらえますかな?」


 「何をおっしゃってるんですか!?この緊急時に?」


 「いいから早く、さあ!」


 教皇猊下が強く言い聞かせると、ウルス司祭はすごすごと退室していった。


 「それでは、改めて、貴方が生涯愛を捧げると誓った相手の名を教えていただけますかな?」


 びくっと震えた体が、私の意識を引き戻した。

 オルデウスが死んだ……?

 なぜ……?

 

 そういえばレイドが言ってたっけ?


「―――――――――――――――――」


 ふふっと笑みがこぼれてしまう。

 ずっとレイドは変わらないなあ。

 今も昔も、私を助けるために、なんでもしちゃう、ちょっと困った人なのだ。

 でもやっぱり、彼が道を切り開いてくれたことは確かで。


 教皇猊下に目を合わせてその名を告げる。


 「私が愛しているのは今も昔も、―――だけです!!」


 困ったように顔を傾けた教皇猊下は、ゆっくりと尋ねた。


 「本当に、その人でよいのですかな?」


 「ええ、もちろん!!」


 彼が褒めてくれた笑顔で教皇猊下に答える。

 

 「これは少々、困りましたなあ」


 そう言いながらも教皇猊下は私に洗礼を施した。

 


ーーーーーーーー


 「いやはやこまりましたなあ、これは」


 老人が窓から空を眺めていた。

 ゆっくりと、静かに、、丁寧に仕事をこなしながらも彼はつぶやくことをやめない。


 「まさか今年は二人も……ふふっ、一度彼らの孤児院を訪れてみるべきでしょうか……?」


 日はまだまだ高いところにあって、世界に光を届けている。


 そう、気づかないだけで私たちは……


 愛に包まれている。

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