【アップ】男山教会2023年4月9日礼拝説教/讃美歌やMynoteもあります

天川裕司

【アップ】男山教会2023年4月9日礼拝説教/讃美歌やMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=jBOmKLUo71A&feature=youtu.be


【アメーバブログ】

聖書や讃美歌の内容などは、こちらのブログより閲覧できます。

ぜひお気軽にお立ち寄り下さい^^

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12798443092.html



前奏 

招詞

ローマの信徒への手紙 6章8~11節

頌 栄

たたえよ、主の民 [こ改25]

開 会 祈祷

主 の 祈り

十戒・祈祷

子ども説教

子どもと親のカテキズム問30

「イエスさまの低さと高さ」

こどもさんびか

よあけのほしが [改86]

信仰告白式

牧会 祈祷

讃 美 歌 148番(1,2)

聖書  

ルカによる福音書23章50節~24章7節

(新約P159)

詩編16編7~11節(旧約P846)

説 教

「墓から復活されたイエス

~その事実とキリスト告白」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌 148番(3)

みことばの交読文

コリント一15章17〜22節

聖餐式

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌栄 541番

祝祷

報告



讃美歌~♬


讃美歌148番(歌詞付)54年版「救いの主は」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=WEt024VQc6Q


1)救いの主は ハレルヤ!

  よみがえり給う ハレルヤ!

  勝ち鬨あげて ハレルヤ!

  御名を称(たた)えよ ハレルヤ!


2)十字架をしのび ハレルヤ!

  死にて死に勝ち ハレルヤ!

  生きて命を ハレルヤ!

  人にぞ賜う ハレルヤ!


3)主の死によりて ハレルヤ!

  救いは成りぬ ハレルヤ!

  天つ使いと ハレルヤ!

  ともにぞ歌わん ハレルヤ!


頌栄集 讃美歌539・540・541・542・543・544番 メドレー

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=6lHQPiZILD0

(ブログを見て下さると歌詞も閲覧できます)



2023年4月9日 礼拝説教 中心聖句


「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」

ルカによる福音書24章5節



あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず 命の道を教えてくださいます。

詩編16編10,11節


はじめに

復活の主のもとに召し集められた「今日」、信仰告白と聖餐を共にする。



「さて、ヨセフという議員がいた」とは、十字架からイエスの遺体(元「体」)を降ろす任を自ら引き受けた人の存在を証しする言葉。この人は、最高法院の議員の一人で、「善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった」。最高法院における裁判においてその決着は、「これでもまだ証言が必要だろうか」(22章71節)との声に代表されたかのように思われる。しかし、事は、問答無用はおろか、「イエスを殺す」(22章2節)方向で事は進んでいく。言わば、ヨセフの一票はないがしろにされた。自らメシア、神の子と名乗ったことが、ローマ総督ピラトに引き渡す正当な理由。ヨセフがこれに同意しなかったとは、それだけで死刑に当たらないという理由にまさって、この御方を畏れ敬う信仰ゆえ。実に、「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人を恐れて、そのことを隠していた」(ヨハネ19章38節)。「ユダヤ人のアリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた。この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた」。「イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった」(ヨハネ19章40節)。イエスの体は、ローマ式の焼却を免れ、安息日と過越の日のために延期された防腐措置に、最善の準備を与えられた(イザヤ53章9節)。

「イエスを一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ」。「そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った」。「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった」。主の体が行方不明となる一大事。「そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。』」ここに、わたしたちは、復活の事実が、主の御言葉の実現と認める。

かつて、主イエスは、「だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ」(13章33節)と言われた。エルサレムでご自身が死ぬことは、ご自身の民の罪と頑なさのゆえであり、神に定められた自己犠牲。この道から逃れる自由は一切ない。十字架の死は、罪ゆえの不当な死を忍ぶ、自ら進んで引き受けられた従順の道。しかも、単に不当な死のみならず、選びの民、罪人たちの身代わりの死、贖罪の死であった。

おわりに

今日、わたしたちは、キリスト教安息日(一週の初めの日:日曜日)を、創造と復活(贖罪と命)と聖霊降臨の「主の日」として覚える。全生涯の日々、「今日も明日も」主の慈しみに生きる者とされた者として、「命の道」を共に歩みたい。



(Mynote)


二〇二三年四月九日(日曜日)、今日もこの様に礼拝出来る環境が与えられて居る事を神様に感謝する。

〈子供メッセージ〉

『親と子供のカテキズム 問三〇』

「イエス様は、私達の救い主としてどのようにその務めを果たされましたか?」

「イエス様は、私達の救い主として、十字架の死に至るまでの低く遜られた時も、復活から始まる高く上げられて居る時に於いても、預言者、祭司、王としての務めを果たされます。」

我々人間は、神様の許しが無ければ、礼拝する事も祈る事も悔い改める事も出来ない。神様はイエス様を通され、我々人間にそれ等の自由と救いを与えられた。

今日、一人の姉妹が陪餐会員となり、兄弟姉妹共に神様に感謝する。

〈公同礼拝〉

『ルカによる福音書』(第二三章五〇〜二四章七節)

『詩篇』(第一六篇七〜一一節)

今週はイースター期間であり、イエス様が甦られた事を記念する時期である。

洗礼を過去に受けた者でも、自分が未だノンクリスチャンだった頃を思い出し、もう一度洗礼を受けた時の事を思い出す必要がある。『ルカによる福音書』の当箇所では、イエス様が甦られた時のエピソードが記されてある。婦人達はイエス様が葬られた後の身元引き受けを願い出た者達であり、死体を清める為の香料と香油を用意した者達である。この婦人達の前に立ち先導したのはアリマタヤ出身のヨセフで、この人は議員でありながら、その議会の議決には賛成して居なかった。

我々クリスチャンは礼拝を以て様々な式典をし、祈り、悔い改め、神様が与えられた全ての事に感謝をし、信仰生活を送らせて頂いて居る。

ヨセフは議会の議決に賛成して居なかった。この議決とは、イエス様を十字架に付ける事である。この「イエス様を十字架に付ける事」にヨセフは賛成しなかった。人の人生を左右する物事を決めるのは誰にとっても大きな事である。(ヨセフ以外の)議会の人達はイエス様を殺す事を決意した。その実際には「イエス様を殺したい」と言う隠れた正直が在った。ヨセフはこれに対し「そこまでする事が必要なのか?」と疑問に思って居た。しかし史実(人が作り上げた同時代資料)では、ヨセフが(一人の議員が)反対した事の記録は見られない。その事実を隠蔽して居る?反対があっては困るのである。満場一致でなくては成らず、その方が他の人々に対しても印象が良い。詰りそれだけ万全の態勢を以て、議会はイエス様を十字架に付ける事に没頭して居た。ヨセフには反論する機会すら与えられなかった可能性が在る。またヨセフが自ら「それは違う!やめろ!」と人前に出て叫ぶ事も出来なかった。もしそうすれば、自分も殺される可能性が在る為。ペテロの「三度のイエス様への裏切りの時」を思い出す。あの時もイエス様と共に居た弟子だと分かれば即座に捕えられ、その場で極刑に処された可能性が在ったから(実際ペテロはその後、イエス様を救い主として福音宣教を為した後、皇帝ネロにより磔刑に処されたと外伝に在る。聖書にここ迄の記録は無い)。

だからヨセフにしてみれば、自分の罪を悔い改める為に先ず総督ピラトの元へ行き、その後にイエス様の体の引き取り方を願い出て、「それを取り下ろして亜麻布に包(つつ)み、まだ誰も葬った事のない、岩を掘って造った墓に納めた」。イエス様の体は少なくともこの時点で守られた(当時の習慣でも死体を焼却する慣わしがあった。それからイエス様の体を守る事が出来た)。婦人達はそれから一度家に帰って、香料と香油とを用意した。これもイエス様のその後の体を守ろうとした為。即ちこの時点で、ヨセフや婦人達も含め、人々はイエス様が葬られたその事実を知って居た。

しかし週の初めの日(それから三日後)、夜明け前に、女達(婦人達)は用意しておいた香料を携えて、墓に行った。けれどその墓を塞いでいた筈の岩が取り除けられてあり、中に入って見ると、そこにイエス様の遺体は無かった。そこで女達は途方に暮れた。するとそこへ輝いた衣を着た二人の者(御使)が現れて、「あなた方は、なぜ生きた方を死人の中に訪ねて居るのか。その方は、ここには居られない。甦られたのだ。まだガリラヤに居られた時、あなた方にお話しになった事を思い出しなさい。即ち、人の子(イエス様)は必ず罪人らの手に渡され、十字架に付けられ、そして三日目に甦る、と仰せられたではないか」と女達に言った。女達は初めその御使を見た時、驚き恐れて、顔を地に伏せて居た。そして御使が言ったその事を聴いた。

我々もこの女達と共に、またヨセフを始め他のこの事実を認めた全ての当時の人々と共に、イエス様の復活を知り、信仰を以て生かされて行かねば成らない。御使がこの時に改めて教えた事を、何度も心に認めて知り直し、イエス様(全ての人にとっての救い主)の復活を知る程に信じ、今を生かされねば成らない。



二〇二三年四月七日(受難日礼拝)

説教題『一度十字架に死なれたイエス』

『ルカによる福音書』(第二三章三四〜四九章)

人はとかく多数決に弱い。多勢がそれを信じて他人を教え、その多勢が何かしらの権力を以て居たなら、その多勢の方を信じ、それを正義としてしまう。

この受難とは、イエス様が十字架に付けられた事、それ迄の苦しみと不安と恐怖の期間を指す。

イエス様はこの受難を経る前に弟子達に「あなた方と過越しの食事をしたい」と言われた。その時にパンと盃(葡萄酒)を取り、それを祝福し、ご自分と人々との契約を教えられた(授けられた)。何が過越されたのか?第一はイエス様の受難である。罪人(全ての人達の罪)を贖われる為にイエス様は十字架に掛かられ、全ての人達にとって救い主と成られた。これは天の父である神様がイエス様を通し、その様に成された事である。この事により、全ての人々は罪が許される機会を得る事が出来、その為の悔い改めの人生を生かされる恵みを授けられた。

イエス様が十字架に掛かられた時、両脇に二人の罪人が同じく十字架に付けられた。その内の一人はイエス様を罵ったが、もう一人はイエス様を罵った罪人を嗜め、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、私を思い出して下さい」とイエス様に言った。するとイエス様はその彼に「よく言っておくが、あなたは今日、私と一緒にパラダイスに居るであろう」と言われた。

私達が十字架の死と復活を説く事は、現代のノンクリスチャンにとっては「多数ある一つの宗教の言葉」に過ぎないかも知れない。しかしクリスチャンにとっては真実の言葉であり祈りであり、それこそが唯一の救いと成る事を知って居る。神様がその一人子であるイエス様を通し、人々の罪にとって最大の恵みを与えられた事を信じ知って居る。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~

あなたは神様がつくった傑作/アーサーホーランド牧師|

短くぎゅっとメッセージ|SOON CGNTV

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=APM6KM1vMHE&t=5s


中川牧師とめぐる旅:ヤッファの時計台

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=cfHXtA--lXw&t=3s


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)



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