華と理~曲神と先輩と~

やみお

俺は先輩を理解出来ない凡人だ

「ご機嫌麗しゅう。何てね」

廊下で外をボンヤリと眺めていると恭華きょうか先輩が声を掛けてきた。

「どうも、恭華先輩。何の用ですか?」

俺は先輩の方に向き直る。

「オカルト研究部らしい活動をしようと思ってね」

「七不思議とかを扱うんですか?」

先輩は微笑みながらも首を横に振る。

「いいや、曲神を扱おうと思ってね」

「まががみ?何ですかそれ」

初めて聞く単語に俺は首を傾げた。

「私もそこまでは詳しくないんだ。だからこそ調査していくんだよ」

「分かってる事は?」

「今の所は憑神の一種って所かな」

俺は眉をひそめる。

「…大丈夫なんですか?」

先輩は小さく笑って言った。

「危険だと思うなら退いてくれて構わないよ。これは私個人の探求心を満たす為の行動だからね」

「そこまで執着する理由は?」

危険を犯してまで調べたいなんていつもの先輩らしいといえばらしいが今回は何だか胸騒ぎがしたから聞いてみた。

「そうだね。私に関係があるらしいんだよ」

「先輩に?」

「そう。そこはおいおい話すとするよ。適当な事言っても仕方無いからね」

確かにそれは一理あるなと思ったのでそれ以上追求するのは止めた。

数日後、屋上で空を眺めていると先輩が側にやってきた。先輩はただ焦げ茶髪をたなびかせているだけで何も言わないので俺から話し掛ける事にした。

「恭華先輩。あれからどうなりました?」

「まずまずかな。さて、私に関係があるらしいと言った事について話そうじゃないか」

「それ、気になってました」

先輩は少しだけ間を置いて語り出した。

「興味を持ってもらえて嬉しいね。さてと、話すとしようか。先日、父方の祖父の蔵を整理していてね。そこで曲神の文献を見つけたんだ。劣化が酷くて読めたものじゃなかったけども。それでもこんな面白そうな話があるなら調べないと、という一心で解読を進めていたらとある一文が目に入ったんだ。『恭しい者に曲神憑きて』おやおや、何か気にならないかい?」

「性格の事…じゃないですよね」

先輩はほほう?と言いたげな意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「君、失礼だね。言うまでもなく違うよ。恭の字の入った名前に関係がある様でね。何故なのかは分からなかったんだが」

「恭の字の入った名前なんて珍しくもないのでは?」

「そうさ。でも、興味深くないかい?」

俺は暫く考えてから反論してみた。

「うーん…今の所はこじつけですよね。文献だって恭華先輩のお祖父さんの蔵から見つかっただけで先祖代々受け継がれたとかじゃ無さそうですけど」

「それはそうだね。だから、文献の出元を調べようと思ったが劣化が酷くてどうしようもなかった。という訳で家系図と我が家の歴史を調べ上げた。すると、恭の字の入った先祖が必ずいて三十代手前で皆死んでいるんだよ。どれだけ健康でもね。あとは刀術に優れていたそうな。しかも、面妖な術を使い、刀を呼び寄せ戦ったなんて記述もある。我が家がこんなに面白いとは思わなかったね。灯台もと暗しだ」

「興味深いですがまだ弱いですよね」

「そうなんだよ。家族にこの話をしても馬鹿馬鹿しいと一蹴されてしまったしね」

「駄目じゃないですか」

俺は呆れて溜息をついた。

「そうなんだが普通に面白い話ではあるだろう?」

「それは確かに」

「だから、私に関係があると仮定して曲神について調べる事にしたよ」

「先輩、いいんですかそれで」

「私の探求心をここまで揺さぶるんだ。それでいいんだよ」

俺は先輩の突飛な言葉に呆れつつ苦笑いした。

「先輩はおかしい…いえ、個性的な方ですからね。先輩がいいならいいんですよ」

「君、嫌なら退いてくれて構わないんだよ」

恭華先輩は俺に顔を近付けて悪戯っぽく微笑む。俺はむず痒くて目を逸らす様に空を見上げる。

「いえ、付き合いますよ。気になりますから。…気に触りました?」

先輩は不敵に微笑んだ。

「ふふふ。私がこの程度で感情を露にすると思っているのかね」

「思っては…ないです」

俺は言葉の圧に押されてどもる。

「歯切れが悪いね。気にしないが。私は当分図書館巡りをしてこの辺りの歴史や宗教関係を調べるとするよ」

「手伝いますよ」

「ありがたいね。君には私の集めた情報を纏めてもらいたい。それでいいかね」

「勿論。でもこれ…」

俺の疑問を読み取ったかの様に先輩が言った。

「そう。世間に発表する気はない。あくまで個人的な探求なんだよ。私の家系に興味などあるまい」

「じゃあ、発表するのは…」

「その件は気にしないでくれ。既に違うものを作ってある。これを発表すればいい」

先輩は鞄の中から冊子を取り出した。

題名は《怪奇!妖怪人間》と書かれている。タイトルセンスに心では絶句しながらも笑みを取り繕い、仕事の早さを褒める事にした。

「先輩、仕事早過ぎません?曲神の事も調べつつ他のものも調べているなんて」

「お褒めいただき光栄だと言っておこう。色々あるんだよ」

先輩はそう言ってまた髪を風にたなびかせた。

「(本当に先輩は謎だ…。今回の件で分かったり…?)」

俺はそんな事を思いながら横顔を眺めていた。先輩は此方に顔を向ける事なくボソリと呟いた。

「分かるかも知れないよ。保証はしないが」

「っ…!」

心が読まれた事に驚いていると先輩は此方を向き少しだけ口角を上げて、意地悪く言った。

「顔に出ているよ。ふふふっ」

そう言うと先輩は俺の顔を突いて、屋上から出て行った。ソフトタッチ過ぎたのか触れられた実感をあまり感じなかった。俺は先輩の後ろ姿を見ながら思った。やっぱり、恭華先輩はミステリアスだ…と。

「恭華先輩。ろくな情報出てきませんね」

数日の間、俺は恭華先輩と図書館巡りをしてありとあらゆる文献を読み漁ったり、古書市を巡ってそれらしき書物を二人の少ない小遣いを出しあって購入したりと色々な事をしていたのだが、目ぼしい成果は得られていなかった。先輩はと言うと、やはりと言うべきか俺が纏めた資料を屋上で涼しげないつもの顔で目を通していた。

「そうだね。マイナー過ぎるか。もしくは消されているか。私は後者だと思うよ」

先輩の言葉に少し驚く。

「消されている…?何故です?」

恭華先輩は俺の反応に満足したのか、ニヤリと笑うとリングノートを閉じた。そして、指を立て得意げにポーズを決める。まるで探偵の様な大袈裟な仕草に困惑する。

「ふふっ、曲神という名だけあって曲者の憑神という訳だよ」

「?」

俺は何一つ理解出来ずにポカンとする。先輩は普段よりも早口に言葉を紡ぐ。

「私をこんなに楽しませてくれるとはね。最高だ。こういうのを待ってたんだよ」

「んー?」

先輩は表情こそ涼しげだが上機嫌に語る。そのテンションについて行けずに、置いてけぼりを食らっていた。先輩は俺には見えない何かをその目に映しているのだろう。俺が悩んでいる間も、先輩は嬉しそうに話し続ける。

「私には色々と見えてきたよ。こいつは狡い。屠った恭の者の数だけ狡くなっている。初頭はあんなに痕跡を残していたのに近年は殆ど痕跡がない。ふむ、もう一度初頭の頃を…」

あんなに饒舌だった先輩の口が止まった。俺は不思議に思い尋ねる。

「どうしたんです?先輩」

先輩は俺などいないかの様に《曲神について》と書かれた飾り気のないノートを床の上で開いて、シャープペンシルを走らせる。先輩の目が鋭さを増している気がした。

「憑神は憑くという性質から多くは固有の姿を持たない。もしくは憑いた者の姿が偶像となる。曲神は何故曲がるなんて名が付いた?何かをねじ曲げる…曲がる何か…」

ぶつぶつと独り言を言いながら先輩はページを進める。俺はその様子に圧倒されながらも声を掛けた。

「先輩…?」

独り言は止まらない。

「『月に照らされた彼の肌は冷たく滑らかに光を反射していた』『手傷を負わせた者に喰らいついたその形相は人のものあらず』」

「妖怪伝説の一文達じゃないですか。年代は同じですけど」

俺は思わず突っ込んでしまった。それから暫くして、先輩は手を止めた。

「そうさ。でも、ここで曲がるというキーワードが役に立ってくる訳さ。光沢のある肌。強い執着心。噛み付くもヒントになりそうかな。あとはこの狡猾さ。ここから私が出した結論は蛇だよ」

先輩はそう言うとノートを閉じる。

「…蛇?それにしては大分無理矢理では?」

俺は思った疑問をそのままぶつけた。先輩はそんな俺の様子にクスッと笑い、言った。

「仮説を立てる事は大切だよ。私に関係あるも仮説だろう?」

「うーん…」

俺は腕を組み考え込む。

「それに言ったろう?消されていると。でも、曲神という名前は残った。傲慢故の怠慢か、消せなかったのか。まあいい、ここから追い詰めていこうじゃないか」

「先輩。消すという事は不都合という事でそれを知るという行為は…」

先輩は人差し指を立てて俺の唇に当てる。

「怖いかい?何度でも言うが退いてくれて構わないんだよ」

俺は先輩に触れられた冷たい指の感覚にドキドキしながらも頭を振って先輩の底の見えない茶色の瞳を見据えながら否定する。

「退きません。もう手遅れな気がするのと中途半端でモヤモヤするのは御免です」

「いい度胸だ。素晴らしい。称賛に値するよ」

先輩は嬉しそうに微笑んだ。その笑顔はいつもよりも明るく見えた。

「そんな大層なものじゃないですけどね」

「ふふふっ。さてと、大口叩いたが学生である我々にこれ以上何が出来るのか」

先輩は俺が書いた資料をパラパラと捲りながら呟いた。確かに、高校生が調べられる範囲にも限界がある。

「そうですよね…」

「文献を修復するという手段が最も近道なのだがそういう訳にもいかない。他の切り口といったら恭の字の者について調べるしかないな」

俺はその言葉に目眩を覚えた。恭の字の者。要するに名前に恭が付く名前の人物を探して、深掘りしていけという話。それは途方もない作業になる予感しかしなかった。

「気が遠くなりそうですね…」

「全国区じゃないんだ。まだマシだよ」

それでもこの地区の恭の文字を持つ人間を探せというのは砂漠で砂金を探す様なものだ。

「…。」

「そんな顔をしないでくれ。君は情報を集めるだけでいいんだよ」

簡単に言ってくれるものだと深く溜め息をつく。

「先輩はよくそこまで動けますね」

「気になったら止まらない。それだけさ」

やはり先輩はとんだ奇人だ。俺には到底真似出来ない。少しだけ尊敬の念を込めて先輩を見た。先輩は視線を感じ取ったらしく、こちらに顔を向ける。そして、微笑みを浮かべた。第三者から見たら何一つ変わらない先輩らしい顔なのだろうが俺はちょっとした寒気を憶えた。

がらんとした斜陽差し込む市営図書館の窓際の席で俺達が集めた恭の者の資料と曲神に関係していそうな文献に囲まれた先輩は黙々とそれらを読み深めていた。数週間掛けて集めた俺達の努力の結晶。俺は読む気力も起きずぐったりとしていた。先輩が労いで色々と奢ってくれなかったら折れてたであろう苦労の積み重ねで得た情報とそれを纏めて可視化した膨大な量の紙の束。これでも持ち込んだのは三割といった所か。先輩が取捨選択して残ったのがこれららしい。先輩は俺以上に動いているのに疲れた様子を微塵も見せないとは…。先輩は時折何かを考え込む様に目を細めて、紙に書かれた文字を追っている。俺はその横顔を眺めながら、ぼんやりと思考を巡らせていると、不意に先輩のかすかな笑い声が聞こえてきた。

「ふふふっ…くくくくくっ…見つけたぞ曲神…。お前の正体を暴く手掛かり…隠された分家…ここに何かがある」

先輩は興奮しつつもそれを押し殺す声量で何かを言っている。紙の山の隙間から初めて見るその表情は狂気すら感じる笑顔だった。俺はその表情を見てゾクリとした。見つめる先にある紙。そこには俺達が作ったリストの名前とその横に性別や年齢等の特徴が書かれていた。

「恭華先輩。何をぶつぶつ言っているんです?」

俺は恐る恐る声を掛けると先輩は微笑みながら言った。

「蛇が潜むであろう藪を見つけたのさ」

「え!?それをつついたら…」

俺は思わず大声をあげてしまったがが先輩はそれを制する様に自身の顔の前で人差し指を立てた。俺はハッとして口を塞いだ。

「もう危険性は分かっているだろう?私は君子じゃない。危うかろうが突っ込む好奇心たっぷりの猫さ」

先輩は楽しそうに言った。本当にこの人は何なんだろうか。俺は呆れながらも、先輩のそういう所が…。いや、この気持ちはさらけ出すものじゃない。

「突撃取材とかするんですか?」

「さぁてね。そこの所はおいおいさ」

「…。」

不安しか感じない。俺がどうこうなるよりも先輩がと思っていると。やはり顔に出ていたのか先輩は優しく語り始めた。

「そんな顔をしないでくれ。覚悟は出来ているんだ。さて、話させてもらおうかな。この分家が隠されていたのは本家の娘が駆け落ちしたという事実を隠す為。実にありきたりな話だったね。そこはいい。曲神はこれを利用した。自身の存在が忘れ去られるまで分家で身を潜めたのさ。のうのうと恭の字の者を屠りながら」

先輩は淡々と語る。その目は爛々と輝いていた。そこでふとした疑問が浮かんだ。

「恭の字に拘る理由は何なんでしょうね」

「それなんだよ。ここまでは調べられたんだが恭の字に執着する理由が分からない」

先輩は目の前で手を組んで考え込む。

「消された事実なんですかね」

「かも知れないね。…もしかすると難しく考え過ぎているのかも知れない」

先輩の目付きが鋭くなる。席を立ち上がって分厚い本を何冊も抱えてくる。

「先輩?そんなに辞書をかき集めてどうしたんです?」

先輩は無言で本の山を俺の前に積んで、一冊一冊高速でページを捲っていく。そして、大体同じ厚さの場所で動きを止めて目を通していく。

「恭という漢字について調べ上げる。こんな根本的な事に辿り着けないとは愚かにも程があるね」

「灯台もと暗しですよ」

先輩が珍しく驚いた顔をしてから笑い出す。

「君に諭されるとはね。ふふふっ」

「そういう訳じゃ…」

俺は恥ずかしくなって俯いてしまう。

「事実を述べただけさ。良い機会だ。改めて感謝をさせてもらおうか。私事に付き合ってくれてありがとう。君がいなければここまでやれなかったかもね」

先輩はいつもの様に微笑んでいる筈なんだ。でも、今回の先輩の表情を見ていると何故こんなにも落ち着かないのだろう。

「大袈裟ですって。大した事してませんよ」

「謙遜も過ぎると嫌みになるよ。なんてね」

そう言うと先輩は辞書を読み耽り始めた。俺はこれ以上先輩に話し掛ける事なく呆然と先輩を眺めていた。斜陽を背にした先輩が透き通って見えたのは気のせいだと思いたい。その日の夜、俺は自室で机に向かってペンを走らせていると電話が鳴った。先輩からの呼び出しで場所だけを告げられた。ひどく嫌な予感がする。俺は急いで着替えてから廃トンネルまで向かった。廃トンネルに着くと先輩はトンネル中央であの探偵の様なポーズをとっていた。俺は息を整えてから話し掛けようとしたが先輩は俺の存在を知ってか知らずか振り返らずに話し始めた。

「そういう事か。恭という漢字には『慎んでものを捧げる』という意味がある。だから、曲神の贄にする者の証としてその名を付けていたんだ。贄を捧げる理由は消されたから分からないけどね。分家に移ってからはそんな意味など忘れ去られたか忌々しいという理由で止めたのだが曲神はそれを許さず憑いて操り、恭の名を付け続けたんだ。恭理…いや、曲神」

奥から足音が聞こえる。それは段々と大きくなりやがて姿を見せた。俺達よりも少しだけ年上に見える白のスノーボードウェアに身を包んだ男。薄い茶髪には黒のメッシュが入っている。いたって普通に見えたが赤に近い茶色の瞳の瞳孔は縦に長く、その背には身の丈もある太刀を背負っていた。

「概ねかな。でもよく辿り着いたね。おめでとう」

曲神は拍手をする。俺はというと情けなく棒立ちする事しか出来なかった。

「お褒めいただき光栄だよ。さて、真実を語ってもらいたいんだ。褒美の一つくらい良いだろう?」

先輩は怪異を目前にしているというのに怯みすらせず問い詰めていく。

「いいよ。でもさ、真実を語る必要があるのはお前も同じだよ。恭華。そんなに仇を打ちたかったんだ。俺は半殺しで済ましていないのに。こんなに執念深いとはね」

先輩は曲神の言葉を聞いて小さく笑った。

「先輩…?」

既にひんやりとしているトンネル内の空気が重く冷たくなった。先輩は振り返って俺を見る。何でいつも通りに微笑んでいるんだ?口を開く先輩の言葉を遮りたかった。聞きたくなかった。先輩によって先輩と過ごした日々が全部否定される様な気がしたからだ。でも、俺は何も出来なかった。

「志半ばで屠られた恭の字の持つ者。それが私。亡者なのさ」

「嘘だ。信じられない」

声が震える。信じたくない。先輩は首を横に振って、俺に近付いてくる。その顔を見て思わず後ずさってしまう。真剣な眼差し。そして、放たれる言葉。

「紛れもない真実だよ」

「…。」

俺は押し黙るしかなかった。先輩越しに曲神が縦に長い瞳孔を細めて嘲る姿が見えた。拳を握り締めるが先輩が死者で曲神に殺されているという事実に怒りを覚えるよりも今は絶望にうちひしがれて頭を垂れて何も出来ないでいた。

「じゃあ、次は俺の話をしようか。恭の字を提案したのは俺じゃなくて血族の者で勝手に意味を見出だして贄の名とか言い出したんだよ。俺は恭の者を贄だとは思ってない。何せ恭の字は俺が才があると見込んだ者に与える祝福の字だからね。実は分かれば何でもよかったのさ。でさ、才は使わないと勿体無いだろう?だから、俺がとり憑いてやってその力を最大まで使わせてやるのさ。短命なのは枯れる前に刈り取ってるだけ。刀術に長けているのは俺自身の力さ。望めば与える祝福だと思ってくれていい。そもそも、俺は血族の守り神だよ?どいつもこいつも邪神扱いするけどさ」

俺は曲神の語った事実を聞いて怒りが沸々と湧き上がってきた。何だその話は。あまりにも傲慢で自己中心的だ。俺は怒りに任せて曲神を問い詰め始めた。

「ならなんで本家から離れたんだ」

「それね。邪神呼ばわりされてムカついたのもあるけど駆け落ちした子の事が気になってね。守るべきは此方かなと思ったまで」

「痕跡を消したのは何でだ」

「不服だけど憑き物の血族なんて悪評が付かないように。善神らしい行動してるのに何故か否定されてね。理解に苦しむよ」

「恭華先輩を殺めたのは!」

「近付き過ぎた。それにさ、後の世代に間違った知識を広めそうだから刈り取った。早い収穫になったけどね」

飄々とした態度で質問に答える曲神に俺は怒りを爆発させた。

「独善的だ…!お前は独善的だ!曲神!何が血族の為だ!己を強固にする為に才能を貪る邪神じゃないか!」

曲神は鼻で笑った。先輩は何も言わずにやり取りを見ていた。もう、我慢の限界だった。このクソ野郎に一撃食らわしてやろうかと拳を振り上げた時、俺の肩に手が置かれた。冷たくて存在感を感じない不思議な感覚。先輩は首を横に振っていた。俺の事を思っての事だと思う。でも、俺にとっては無性に腹立たしかった。

「言ってくれるね。というかお前もさ恭華の後輩君なんて偽りの仮面を外してみないかい?」

「は?何を言っているんだ?」

「へぇ…そんなに恭華に惹かれたのか。じゃあ、名前を呼ぼうか。恭真」

「きょう…ま?」

曲神が名前を呼んだ。俺の名前?どういう事だ。混乱していると曲神は更に追い討ちをかけてくる。

「おいおい、笑わせてくれるなよ。自分の名前すら分からないなんて冗談だろ?お前も恭の者だよ」

「ざ、戯れ言だ」

「お前は恭華より後の世代の恭の者。本家の恭の者だよ」

曲神の言葉に頭が真っ白になる。俺が恭の者だって?訳が分からなかった。

「そうだとしても!本家は恭の字を付ける風習なんて忘れてるんじゃ…」

「曲神の存在ごと忘れてるさ。でも、血族のサガなんだろうな。血が優秀なお前に恭の字を付けたくなったのさ」

「…そんな馬鹿な」

俺には信じ難かった。そんな俺を見て曲神は嘲笑いながら言う。

「もっと確実な説がある。恭華さ。恭華がそうさせたのかもね。いずれ現れる真実を追う者。仇討ちを成してくれる者。それがお前だったって訳よ」

俺は何もかも信じられなくなってその場に崩れ落ちた。嘘だ。嘘だ。嘘だ。

「先輩!」

ただ静かに微笑む先輩を見て叫ぶ。嘘だと言ってくれ。頼む。お願いだ。嘘だといってくれ。俺は頭を抱えてうずくまった。何も考えられない。何も考えたくない。

「導かれたんじゃなくて導いてたのか。ただの亡霊にそんな力があるとはね。私も驚いているよ。それで気付いた」

「へぇ。何に気が付いたんだい?」

曲神が先輩に問い掛ける。俺は顔を上げて先輩を見る。

「お前がいなくても私達の血族はやっていけるって事さ」

先輩の声色はいつもの飄々としたものではなく僅かだけれども冷たいものだった。曲神はその言葉を聞くと大きく溜め息を吐いた。

「驕るなよ。恭華」

「何をムキになっているんだい?曲神。事実じゃないか。それに本家を捨てたのはお前だよ」

「否定はしない」

「曲神が私達の血族の守り神になった経緯を聞いていないから憶測でしかないが、曲神が憑くに足る血族の力というものがあるんだろう?私がその一例。お前ほどじゃないが憑いてあれこれやれたじゃないか」

「…。」

饒舌だった曲神が黙り込む。図星だったようだ。

「おやおやおや。亡霊に痛い所を突かれるとは思わなかったかい?」

先輩は曲神を無自覚に煽る。曲神は顔を歪めはするが乗ってこなかった。少しの間沈黙が流れる。そして、曲神は口を開いた。

「チッ…分かったよ。言うよ。お前達は俺が曲神になる前に一夜の過ちで出来た子の子孫達。蛇の血混じりの血族さ。己の血を引く存在を知ったのは曲神になってから。始末しようと思ったが出来なかった」

「己の子孫可愛さが勝ったかな?」

先輩は淡々とした口調で言った。俺は唖然としていた。曲神は呆れた様な顔で言い返す。

「もっと合理的な理由だよ。馴染むんだよ。当たり前だけどね。しかも、俺は憑神だからね。何かするには身体が必要な訳。だから残した。というより守る事にした」

俺は曲神の言い分に沸々と怒りが湧き上がってきた。何だそれは。自分勝手過ぎるだろ。

「軽々しく守るとか言うな!邪神の癖に!」

「黙ってなよ。恭真」

「…。」

曲神の冷めた目を前にまさに蛇に睨まれた蛙の様に固まってしまった。先輩はそんな俺達を見て微笑んだ。

「そう邪険にしてくれるなよ曲神。恭真の言った事はあながち間違っていない。守るなんて烏滸がましい。出来ていないじゃないか。口封じをしたが蛇の血が覚醒した故にお前を追い詰める執念深い亡霊が生まれたんだ。そうだろう?」

先輩の指摘に曲神は一瞬だけ苦い顔をしたが次の瞬間にはトンネル内を震わせる様な声で笑い始めた。ひとしきり笑うと曲神は呟くように言葉を紡ぐ。

「蛇は陰気を好む生物。傷を付けた相手には必ず仇なす。確かにそう。誰にやられたか分かってるからここまで来たと。とんだ蛇だね」

「そうだね。私も蛇だったとはね。ふふふっ」

先輩は笑っていた。楽しげに。曲神は俺の方を見ると愉快そうな笑みを浮かべた。

俺はその表情に再び背筋が凍った。

まるで俺の反応を楽しむかのようにゆっくりと口を開く。

「でだ、俺をどうしたい訳?殺すかい?俺は憑いてるだけ。恭理を殺すのかな?恭理は何もしてないのにね?次の蛇は恭理になるのかな?くくっ」

「ぐっ…」

俺達を嘲笑い煽る曲神に対して何も言えなかった。静観していた先輩が歩きだし俺と曲神の間に割って入る。曲神の前に立つと振り返って俺を見据えてこう告げる。

「恭真、曲神。私は復讐という単語を出したかな?出していない筈だよ。何故なら復讐目的じゃなく探求心を満たすのが目的だったから。私の探求心は満たされた。独善的なのは曲神だけじゃないのさ」

「先輩?」

「何かするのかな?」

先輩は首を横に振る。俺は無意識に先輩の方に手を伸ばす。胸騒ぎが止まらない。胸が痛い程に。

「本来の居場所に帰るとするだけさ。悪霊になる気はないからね」

「先輩!このまま恭の者がこいつに屠られても構わないんですか!?」

俺は叫ぶ。焦燥感を覚えながらも何も出来ない自分に苛立ちを覚えていた。先輩はそれを見透かして言う。

「では、どうにか出来るのかい?」

「それは…」

先輩の問い掛けに俺は答えられなかった。俯く事しか出来ない。無力な高校生と邪神。相手になる訳がない。俺は歯を食い縛る。悔しかった。ただただ無力な自分が許せなかった。そして、聞きたくなかった言葉が聞こえる。

「あとは任せたよ。恭真」

先輩の姿がおぼろげになっていく。薄汚れたトンネルの壁が先輩を通して見える。嫌だ!嫌だ!嫌だ!先輩!俺の声にならない叫びは届かなかった。消えていく先輩。曲神は何も言わずに俺達を眺めていた。

「先輩!恭華先輩!恭華さん!」

やっと声になった叫び。満足そうに微笑んだ顔を俺の脳裏に焼き付けて先輩は消えた。

「恭…華…さん」

トンネル内に取り残される俺。曲神は薄笑を浮かべて哀れむ様な目で見ていた。その目は気に食わない。だが、今はそんな事を考えている余裕はなかった。先輩がいなくなった。その事実が俺の頭を埋め尽くす。

「どうするのかな?恭真」

嘲る曲神を睨み付ける。黙れこのクソ邪神。

「殺すなら殺せよ!俺は何も出来ない!何も…何もっ!」

涙が溢れてきた。嗚咽が漏れる。先輩はもういない。曲神は興味深そうに見ている。

無力な自分を呪いたい。無力な俺には泣くことしか出来なかった。

「なら日常に戻れば?恭華の時代なら誰か信じただろうけどこんな話、今じゃ誰も信じないさ」

「だから生かすのか!正体知ってても!」

俺は曲神を睨み付けた。睨み付けながら涙を流している。情けない。曲神は鼻で笑う。

「今殺しても後で殺ってももうお前は蛇だよ。あーあ、もう蛇は生みたくなかったのに何が悪霊になりたくないだよ。こんな厄介な存在残していってさ。とんだ仇討ちをされたよね」

曲神は溜め息をつく。面倒臭そうに頭を掻いた。

「俺は!恭の者を守る!お前みたいな独善的な神なんて…殺してやるからな!」

俺は立ち上がり怒りに任せて吠えた。曲神は見下して笑う。

「ははっ。ほざくね。恭華はそんな事を望んでいたかな?」

恭華さんは復讐も血族の守護も考えていなかった。それは俺も分かっている。

だけど俺は曲神の言う通りにはならない。

「俺の意思だ!恭華さんは関係ない!」

「だと思った。せいぜい頑張りなよ。それも独善的な思考だけどな」

曲神は俺に背を向けて手を振る。

「黙ってろ!絶対に殺す!殺すからな!」

俺は溢れ出す憎しみを込めて精一杯叫んだ。曲神は振り返らずにトンネルの奥へと姿を消した。一人残された俺はその場にへたり込む。硬い地面を血が出るまで殴った。先輩を奪い、のうのうと恭の者を屠り生きる奴が憎い。先輩の仇を討つ為に、血族を守れる様に全身全霊を尽くす。その誓いを胸に刻んで俺は立ち上がった。

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