第13話 没落令嬢と数奇な運命

 教会での騒動が解決し、夫婦を送り出した後――


 その日は早めに店じまいとして、ララたちは常宿の一室に集まっていた。


 ララ、ミレーヌ、ヤン、レンの四人がテーブル席で向かい合う。


「まさかララ殿が『聖痕使いスティグマータ』だったとは、驚きましたよ」


 最初に口を開いたのはヤンだった。


「わたくしも同じですわ。しかも渦巻きの形をした『聖痕スティグマ』……紫紺騎士団のリオと同じものですわね」

「貴女はリオをご存知なのですか?」


 ララの言葉に思わず瞠目どうもくするヤンとレン。


「ええ。少し前にエイレンヌの町で彼と戦ったことがありますの……」

「エイレンヌ陥落の危機を救った少女がいた、と風の噂で聞いてはおりましたが……まさか、それが貴女だったのですか?」


 ヤンの言葉に、ララは力なくかぶりを振った。


「わたくしはただの敗北者です。そこで多くの大切なものを喪失なくしてしまいましたわ……」

「……」


 事情を知るミレーヌが、少女の頭をそっと撫でる。


「何やら込み入った事情があるみたいですね……」


 ヤンはそれ以上その話題に踏み込むことはしなかった。


「ララ殿はいつ『聖痕使いスティグマータ』として覚醒されたのですか?」

「つい数ヶ月ほど前ですわ。ですが、覚醒してすぐに宝珠を奪われてしまいましたわ。乳白色をした宝珠ですの」

「ということは、まだ完全に『聖痕使いスティグマータ』として覚醒した訳ではないということですね……」

「ええ。大体のことはリオと話した時に知ることは出来ましたが……」


 ララは自分の右手の甲を見つめながらつぶやく。もうあの光輝く『聖痕スティグマ』は消え失せ、いつも通りの雪のような白い素肌がそこにあった。


「ヤン殿はいつ『聖痕使いスティグマータ』になられたのですか?」


 ミレーヌの問いにヤンはかすかな笑みを浮かべて言った。


「私は……いつでしたかなぁ? もう思い出せないくらい遥か昔のことですよ。かれこれ千年以上は優に生きておりますので、詳細は思い出せないのですよ」

「「千年ッ!?」」


 軽い口調でしれっともたらされたその言葉に、ララとミレーヌは飛び上がらんばかりに一驚する。


「『聖痕使いスティグマータ』は首を刎ねられるなり脳や心臓を潰されない限り死ぬことはありませんから」

「それは『踊る屍者ダンス・マカブル』も同じですわよね?」

「はい。『吸血者ドラキュリアン』も同様です」


 ヤンはコクリとうなずき、ミレーヌの方へ向き直って言った。


「ミレーヌ殿は、ララ殿の血を飲んで『吸血者ドラキュリアン』になられたのですね?」

「はい。まだひと月も経ってないので、あまり実感はないけど……」


 その言葉通り、ミレーヌ自身はまだ吸血衝動に見舞わたことが無かった。


「実はレン殿も『吸血者ドラキュリアン』なのです」


 ヤンの言葉に、レンがコクリとうなずく。


「ただ者ではないとは思っておりましたが、やはりそうでしたか」


 ララは、レンの背後に漂う煙の濃さを見て、恐らくそうではないかと予測していたので、そこまで驚くことはなかった。


「レンさんはヤン殿の血を飲んで『吸血者ドラキュリアン』になったのかい?」

「いいえ。わたくしに血を分け与えた『聖痕使いスティグマータ』はヤン殿ではありません」


 レンはかぶりを振ってそう答える。


「ですが、このような形でヤン殿以外の『聖痕使いスティグマータ』や私と同じ『吸血者ドラキュリアン』にお会い出来るなんて、何か運命的なものを感じますね」

「運命……」


 ララはふと考える。


 ララ自身、母からもらった首飾りネックレス――それについていた『八紘の宝珠エレメンタリス・ジュエル』によって不完全ではあるが『聖痕使いスティグマータ』として覚醒した。


 結局その力が無ければ、彼女はエイレンヌでなすすべもなくリオが率いる紫紺騎士団に殺されていたことだろう。


『きっとそれは貴女を護ってくれるわ』


 かつて母が言っていたその言葉通り、十四歳の誕生日の贈り物は少女を護った。そして少女はミレーヌというかけがいのない伴侶と絆を結び、ヤンとレンに巡り合うことが出来たのだから、運命とは実に奇なるものである。


「そういえば、『聖痕スティグマ』に関してひとつお伺いしたいことがございました」


 ハッと何かを思い出したようにララが口を開いた。


「わたくしとヤン殿の『聖痕スティグマ』、紋様が異なっておりますが、これにはどのような意味があるのでしょうか?」

「『聖痕スティグマ』の紋様は、それぞれの属性を象徴しております」

「属性?」


 いまいちピンとこないララとミレーヌが、同時に首をかしげる。


「そうですね……端的に言えば属性は個性ですね。それぞれがそれぞれに得意とする個性を備えている。そんな風に捉えていただければよろしいかと思います」

「ヤン殿もリオも、見えない圧力がこもった衝撃のようなものを放っておりました。渦巻き型の『聖痕スティグマ』はどのような個性なのですか?」

「属性で言うと『海』、です。波とかこの前見ていただいた海嘯かいしょうなどを想起イメージしていただくとわかりやすいでしょう」

「海……ですか」

「ララどのは亀甲型の『聖痕スティグマ』で、堅牢な壁を出現させることが出来ましたね? 貴女の属性は『金』です」

「金?」

「はい。端的に言えばゼロから物質を生み出せる力です。『聖痕使いスティグマータ』が思い描いたものを実際に顕現けんげんさせることが出来る稀有な能力です。まあ、もちろん何でもかんでも生み出せるという訳ではなく、結局は『聖痕使いスティグマータ』の力量次第になりますがね」


 ララは再び自身の右手を見つめる。


 リオとの戦いの時も、そして先ほどの騒動の時も、彼女は『鋼鉄の壁フェッロ・オビチェ』を生み出すことが出来た。

 それは彼女の頭の中に自然と浮かび上がった言葉であり、『聖痕使いスティグマータ』として得ることが出来た力のひとつである。


 しかし、まだ不完全であるためにそれ以上の能力を引き出すことが出来ず、ヤンの言うように自分が思い描いたものを生み出すまでの知識と力は得られていない。


 時が経てば、『鋼鉄の壁フェッロ・オビチェ』が使えた時のようにいつか能力を閃くのか?

 あるいは、彼女に力を与えた乳白色の宝珠が必要なのか?


 ヤンにそれも問うてみたが、千年以上も生きているという彼でさえもララのようなケースの『聖痕使いスティグマータ』を見るのは初めてとのことで、結局はわからずじまいであった。


 不意にミレーヌが口を開いた。


「ヤン殿。もしもヤン殿が同じ『聖痕スティグマ』を持つリオと戦ったら、どちらが強いんだい?」


 それはララとしても興味を惹かれる質問であった。

 同じ属性の『聖痕スティグマ』を持つ者同士――つまり、お互いの手の内を知り尽くした者同士の戦いになる。

 一体どのような結末になるのか、まるで想像が出来なかった。


「それは間違いなくリオでしょうね」


 しかし、ヤンは驚くほどあっさりと即答する。


「それはなぜですの?」

「リオは宝珠を持っているのでしょう? 彼がその力を用いて大ブリタニア王国を勝利に導いているのは私も周知の上です」

「宝珠があるだけで、そんなに違うものなのかい?」

「まったく違います。宝珠はいわば、『聖痕スティグマ』の力を何倍にも引き上げる増幅器みたいなものです。その分『聖痕使いスティグマータ』への負担も倍増しますが、宝珠があるのと無いのとでは力の差は歴然なのです」

「宝珠にはそんな力が……」


 ララは今度は自らの手のひらを見やる。


 それほどの力を秘めた宝珠だけに、それを喪失なくしてしまったショックは少女の心により重くのし掛かる。


 と、ここでレンが興味津々といったていで口を開いた。


「そういえば『聖痕使いスティグマータ』の方は、私やミレーヌさんのような『吸血者ドラキュリアン』が見舞われる吸血衝動に似たような衝動が訪れるそうですね。ララ様はどのような衝動に見舞われるのですか?」

「え? そ、それは……」


 思わず口ごもるララ。


 吸血衝動以外で湧き上がる衝動というと、彼女はひとつしか思い浮かばなかった。

 それは性欲である。


 かつてエイレンヌでミレーヌがエリクに犯されているのを目撃した時、彼女は初めてその衝動に見舞われ、訳もわからないまま自らを慰めたことがある。

 その後もララは定期的に耐え難い性欲に襲われており、ミレーヌと愛の契りを交わすまではひとりでかくれて処理していたのだった。


「おや? どうしました、ララ殿? 何だかお顔が赤いようですが?」

「な、何でもありませんわッ!!」


 ヤンにツッこまれて思わず叫んでしまうララ。


「ちなみに、ヤン殿の衝動は性欲なんですよ」


 しれっとレンがカミングアウトする。


「え? それじゃあ、この町に着いてから毎日娼館に通いつめていたのは、ひょっとしてその衝動を抑えるためだったんですの?」

「いやぁ、お恥ずかしい限りです」


 ヤンはバツの悪そうな顔になってぽりぽりと頭を掻く。


 ――わたくしったら、そんな事情も知らずにヤン殿のことを「スケベ野郎」だとか「ケダモノ」などと言ってしまいましたわ……


 同じ衝動を抱える者同士その苦しみがわかるだけに、余計に後悔が募る。


「いいえ、この人はただの女好きのスケベ男ですよ。いくら衝動を抑えためとはいえ、さすがに毎日通う必要なんてありませんから」


 そんなララの思いを察して、レンがあえて明るい口調でそう言うと、


「た、たしかにその通りではあるのですが……あまりにも身も蓋も無い言い方ですね」


 無慈悲なレンの言葉に、ヤンはただ苦笑するしかなかった。


「フフフ……」


 ホッとしたように笑うララ。


 しかし、


「「ところで、ララ殿の衝動は何なのですか?」」

「内緒ですわッッッ!!!」


 ヤンとレンに改めて問われると、必死の形相でノーコメントを貫き通すのだった。

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