第12話 没落令嬢と夫婦の絆

 荒廃した教会の中で、ララとミレーヌ、そしてヤンはしばらく立ち尽くしていたが、


「……積もる話はありますが、今はこちらが先ですね」


 そう言ってヤンが瓦礫を飛び越えながら壁に打ちつけられた男の元へ向かうと、懐から匕首ナイフを抜き出し、それを男目掛けて振り上げる。


「や、やめてェェェェェッッッ!!!」


 男の妻が必死に叫ぶ。


 しかし、ヤンはまるでそれが聞こえていないかのように冷徹な瞳で壁にもたれている男を見下ろすと、握った匕首ナイフをためらいなく振り下ろす。


 ギャイィィィィィンッッッ!!!


 刹那、ララが男とヤンとの狭間に形成した『鋼鉄の壁フェッロ・オビチェ』によってそれは弾かれ、甲高い金属の摩擦音が教会内に響き渡る。


「……どういうおつもりですか?」


 地の底からおりが這い出るような、暗く凝った冷徹な声でヤンが問う。


 ララは気圧されまいと自らを必死に奮い立たせるように言った。

 

「ヤン殿はあの青い薬をお持ちのはず。あれをこの者に与えれば正気に戻るのではありませんか? わたくしの時のように」

「たしかに。この男は『踊る屍者ダンス・マカブル』を発症してまだ間もない様子なので、青い薬で症状を抑えることは可能でしょう。しかし、今正気に戻れたとしても、その男には一生吸血衝動が付きまとうでしょう。一体誰がその血を補うのですか?」


 ヤンが問うと、ララは女の方へ向き直り、


「アナタ、ご自身の旦那を一生支えられると誓えますか? 旦那のために定期的に血を分け与えられますか?」


 その問いの答えを彼女に問う。


「私は……私にはもう夫しか家族がおりません。たったひとりの家族である夫と一生添い遂げる覚悟です!」


 女性は涙ながらに訴える。


「しかし、他者の血を飲み続ける生涯というのは思っている以上に過酷なものです。もしもそれを第三者に知られれば魔女狩りの憂き目に遭い、アナタも連座させられて残酷な手法をもって処刑されることでしょう。それでも……それでも本当にこの者と共にいられますか?」


 念を押すようにヤンが問う。


「夫と共に死ねるなら本望です!」


 女性はまっすぐヤンを見据えて答える。


 しばらく沈黙していたヤンはまるで諦めたかのようにひとつため息を吐くと、


「薬の代金はララ殿のツケにさせていただきます」


 そう言って懐から巾着袋を取り出す。


「ありがとうございます、ヤン殿!」


 ララが頭を下げる。


 そしてヤンは袋から青い色をした小さな膠嚢カプセルを一粒摘み上げると、それを男の口の中に押しこんで強制的に飲みこませた。


 すると、赤黒くくすんでいた男の肌はすぐに正常な色を取り戻し、あれだけゴツゴツと隆起していた筋肉は元通りに収縮してゆく。


 ヤンは男の上半身を起こし上げてその背中をくまなくさする。そしてピタリと手を止めたところで、


ッ!!」


 そこに発勁を打ちこんだ。


「不自然な血流がありましたが、これで改善されるでしょう。幸い発症して間もないこともあり、吸血衝動もおそらく数年後には解消されて元通りの人間に戻れるでしょう」


 もう一度小さくため息を吐いてヤンはそう告げる。


「ああ……ありがとうございます! 本当にありがとうございます!!」


 女性はぼろぼろと涙を流し、ララとヤンに向けて何度も額突ぬかづいた。


「う、うう……」


 小さなうめき声と共に、男が目を覚ます。


「アナタぁッ!」


 女性はすぐに駆け寄り、男にすがりつく。

 男は大きくかぶりを振った。


「……私は、一体どうしていたのだ?」

「正気を失っていたわ。でも、こちらの方々が助けてくださったのよ」


 妻の言葉に男はハッと辺りを見回して己のしでかしたことを何となく悟ると、


「多大なご迷惑をお掛けしたようで、申し訳ございませんでした」


 そう言って深々と頭を下げる。


「感謝と謝罪は奥様になさることですわね。この方は最後までアナタを見捨てることなく、一生支えると言ってくださったのですから」


 ララのその言葉に男は驚いたように妻に顔を向けると、彼女は何も言わずにコクリとうなずいた。


「そうだったか……本当にすまなかった。ありがとう」


 そして愛をたしかめ合うように二人は抱擁を交わす。


「ひとつおうかがいしたいのですが」


 そう言ってヤンが男に話を切り出した。


「アナタが『踊る屍者ダンス・マカブル』となった原因。何か思い当たるふしはありますか?」

「わかりません……あ、でも、もしかしたら」


 男はハッと何か思い出したように言う。


「何かあるのですね?」

「はい。私は元々病弱でして、一年ほど前から薬を飲みはじめたんです。それを飲むと体中に力がみなぎってきて、まるで病気が全快したんじゃないのかと思うくらい元気になれたんです。でも、その薬はとても高額なもので、私の経済事情では永続的に服用することが出来なくて。それで二ヶ月ほど前から服用をやめていたのですが……」

「抑え難い吸血衝動に襲われるようになった、と?」

「ッ!!」


 ヤンの言葉に、男はハッと目を剥いた。


「その通りです。ですがそのようなことを誰かに打ち明けられるはずもなく、私はひたすら我慢して抑えこみ、神に祈ることで気を紛らわしていたのですが……」


 結局、すがるような思いで訪れた聖なる場所で、男は限界を迎えたのだ。


「アナタが服用していたという薬、このような形をしておりませんでしたか?」


 そう言ってヤンは巾着袋の中から先程男に服用させて彼に正気を取り戻させた青い膠嚢カプセル状の薬を取り出して見せる。


「ああ、たしかに同じ膠嚢カプセルです! ただ、私が飲んでいたのは赤い薬ですが」

「赤い薬?」


 ララが首をかしげる。


「はい。本当に血と同じくらい真っ赤な色で、最初は不気味だなって思ってました」

「やはりそうですか……」


 それを聞いたヤンは腕組みをし、難しい顔で唸る。


「ヤン殿、その赤い薬について何かご存知なんですの?」

「ええ、知ってはおりますが……。話すと長くなりますので、それに関しては場所を変えて話すとしましょう」


 ララの問いにそう答えたヤンは夫婦の方へ向き直ると、


「この地より遥か東にグローク村という地があります。そこではアナタと同じく吸血衝動に悩み世間から隔離された場所で暮らす者たちがおります。そこへ行くことをお勧めします」


 打って変わって優しい口調でそう告げる。

 

「グローク村?」

「まあ、かつて村だったところで今は小さな集落でしかありません。しかし、それだけに人知れず隠れ住むには最適な場所です」


 ヤンがそう補足すると夫婦は顔を見合わせてコクリとうなずき、


「ありがとうございます。二人でそこへ向かうことにいたします」


 そう告げるのだった。

 

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