詩乃の家
「へぇ~、ここが詩乃ちゃんの部屋か~」
明日の振替休日、私は詩乃ちゃんの家にお邪魔した。整然としたシンプルな部屋で、正午の太陽が窓から燦々と差し込んでいる。
「う、うん。何もないところだけど、適当にくつろいで」
「うん。じゃあそうさせてもらうね。私、友達の家に来たの初めてなんだぁ」
「わ、私も。友達を家に呼んだのは初めて」
詩乃ちゃんはトレイにのせたお茶を丸テーブルの上に置く。
私は「ありがとう」と言ってそっとコップを口につける。
うん、冷たくておいしい。
「きょ、今日はね。美麻里ちゃんに私のコレクション見てもらおうって思ったの。コレクションっていうのは、私の詩のことで」
そういうと詩乃ちゃんは勉強机の本棚から大量にノートを取り出す。
10冊……11冊……数えてみると合計で22冊ぐらいあった。
「へぇ~! それ全部詩乃ちゃんが書いた詩? 凄いよ! そんなに詩を作れるなんてやっぱ天賦の才能ってやつだね!」
「う、うん。小学三年生の時だったかな? 初めて自分で書いたのは。それからずっと、書き続けてる」
私は丸テーブルに置かれたノートを手に取って開いてみる。
うるうる、うるうる、じーん。
やっぱりその詩も私の心を打つものだった。
「ど、どうかな? それは3年ぐらい前に書いたやつだから、あんまり自信ないんだけど……」
「ううん、そんなことないよ! すっごく感動した! 何というか私の気持ちをそのまま映し出したような感じで、すごく共感できる!」
「ほ、ホント! よかった……」
それから詩乃ちゃんはどんどん私に詩を見せてくれた。
〝僕の孤独を埋めたい〟〝僕の心を理解してほしい〟
どれもこれも、私の胸を鷲掴みにするフレーズばかりだった。
私は夢中になって詩乃ちゃんの詩を読み耽る。
――そして時間はあっという間に過ぎ、やがて夕刻となった。
「あ~あ、すっごく泣いちゃった! 詩乃ちゃん、小学生の時から凄く詩上手だよ!」
「そ、そうかな? えへへ……」
私は詩乃ちゃんの詩を読み、何度も感動した。
その気持ちを伝える度に、詩乃ちゃんは喜びの表情を見せた。
気が付いたら二人そろって、大きな声で笑い合っていた。
(やっぱりこの子なら、私の気持ちを共有できる。私の「おかしい」をこの子なら理解してくれる。お母さんやお父さんに見捨てられた私でも。
……だから……だから……)
「あっ、もうこんな時間だ。そろそろお父さんに夕ご飯作ってあげないと……」
そういうと詩乃ちゃんは、ふいに空になったテーブルのお茶を片付け始める。そして申し訳なさそうな表情を私に見せた。
「ご、ごめん美麻里ちゃん。そろそろお父さんが帰ってくる時間だから、ちょっと台所でご飯作ってくるね。美麻里ちゃんは今日他に何か予定ある?」
「ううん、ないけど……」
「そっか、ならよかった。じゃあちょっとだけ私の部屋で待っててくれる? すぐに用事済ませてくるから」
詩乃ちゃんはてきぱきとした動作で立ち上がった。
私はひっかかり、疑問を投げかける。
「詩乃ちゃんが、お父さんのご飯作ってるの?」
「うん、お母さん仕事で忙しいから」
詩乃ちゃんはそこではぁ、と大きなため息を吐く。
「実を言うとね、お父さんこの間まで肺病に罹って入院してたんだ。それで病院の都合で引っ越してきたの。私が『煙草やめて』って言っても全然言うこと聞いてくれないし、ホントだらしなくて困っちゃう」
詩乃ちゃんはむくれっ面を作る。
「お父さん今まで仕事ばっかりだったからさぁ、家事もできないし私に甘えてばっかりくるんだよね。ご飯も洗濯も私に頼りっぱなしだし、『病院行くのめんどくせぇ』って愚痴ばっかりこぼしてきてさ。自業自得だよ。
でもその分ちゃんとお小遣いはくれるし、新しい仕事先も決まったらしいからいいんだけどさ。ホントお父さん、私がいなかったら死んじゃうよ」
詩乃ちゃんはお父さんにまつわる苦労話を打ち明ける。
けれどその口調は満更でもなさそうで、むしろどこか親しみのようなものが滲んでいた。
私の瞳に映る詩乃ちゃんは、だんだん遠く離れていく。
「そっか……お父さんと仲いいんだね」
「えっ、いやっ。そんなことないよ!」
「私とお父さんは、全然そんなんじゃないから」
「えっ?」
詩乃ちゃんは私の言葉に、困惑した表情を浮かべる。
けれど心が動揺しているのは、私のほうだった。
気分を落ち着かせるために、私は自分の鞄に手を伸ばして開く。
ジュっ
私は『マイルドセブン』のパッケージから煙草を取り出し、ライターで火をつけた。
「み、美麻里ちゃん?」
「これ、お父さんから盗んだ煙草。私が小さかった頃は、お父さんと同じことすれば気持ちを共有できるんじゃないかって思ってたの。けどね、違ってた。私がお父さんから煙草を盗んだことがバレると、お父さんは激怒した」
私は煙をくゆらせながら、過去を振り返る。巻紙の先で燻り続ける燃えカスが今にも落ちそうになっていた。
「ねぇ、詩乃ちゃん。この袖の下、どうなってると思う?」
私は立ち上がり、詩乃ちゃんに向かって自分の腕を突きつける。
答えが返ってくる前に、私は袖を捲り上げた。
煙草を押しつけられた火傷の跡が、
「これ、お父さんが私に罰としてやった跡だよ。私が『おかしな事』をする度に、煙草の火を押しつけられた。熱くて痛くて、涙が出そうになったけど、私はどうしたら私の『おかしい』をやめられるのかわからなかった」
「美麻里ちゃん……なに、それ? なに、言ってるの?」
詩乃ちゃんは消え入りそうな声で後ずさる。
けれど一度堰を切った私の気持ちはもう止められない。
私は、詩乃ちゃんに一歩近づく。
「ねぇ、詩乃ちゃん。腕、出してくれる? 私、詩乃ちゃんに煙草の火押しつけたいの。ね、いいでしょ? だって私たち、親友だもん」
詩乃ちゃんは黙ったまま顔をひきつらせる。
私は一歩、一歩とまた詩乃ちゃんに近づく。
「何でそんな顔するの? さっきみたいに私に笑ってよ。……だって私は化け物だもん。周りの人の気持ちがわからない。どうして煙草の火を押しつけるのがダメなのかわからない。だって、そうでしょ? 私はこんなに詩乃ちゃんを傷つけたいのに、こんなに詩乃ちゃんに自分の本当の姿を知ってほしいのに、この気持ちを抑えるなんてできない」
私は詩乃ちゃんの目の前まで迫る。震える眼差しと視線が交差する。
「こんなことを言ったらね、みんな私のこと『気持ち悪い』っていうの。お母さんにも捨てられたし、お父さんにも殴られるし、いつも私は独りぼっちだった。だけど、もう大丈夫。詩乃ちゃんが全部受け止めてくれるから。私と詩乃ちゃんは親友で、私と詩乃ちゃんはお互いの気持ちを理解し合えるから。
だから……だから……」
そして私は詩乃ちゃんの腕を掴み取る。袖を捲り上げ、煙草の火を近づけた。
「私と同じ痛みを共有して、詩乃ちゃん……っ!」
「や、やめてっ!!」
瞬間、私の全身が突き飛ばされた。
持っていた煙草が手から離れ、床に落ちる。
詩乃ちゃんは普段見せないような形相で、激しく頭を振った。
「わかんないよ! 美麻里ちゃんが何言ってるのかわかんないよ!」
詩乃ちゃんは叫ぶ。こんな大声を上げる詩乃ちゃんを見るのは初めてだった。
私はただ放心して、頭を抱える詩乃ちゃんを凝視する。
「煙草の火を押しつけたいとか、美麻里ちゃんが化け物だとか、全然意味がわかんないよ! どうして私にそんなことするの? 美麻里ちゃん、怖いよ!」
「……詩乃ちゃん?」
「もう出てって! 私、美麻里ちゃんがそんなおかしな人だなんて思わなかった! 早く出てって! 出ていかないならお父さん呼ぶから!!」
詩乃ちゃんは私を険しい目つきで睨みながら、机に置いてあったスマートフォンを手に取る。
警戒心を露わにしており、私の気持ちを拒絶していた。
「…………」
私はゆっくりとその場でしゃがみ込む。
落ちていた煙草の吸殻を拾い上げ、そのまま手のひらの中で握りつぶした。
ジュッ
灼熱が手のひらの中で広がる。
けれど今の私は、痛みよりも熱さよりも、喪失感で胸がいっぱいだった。
「……私、また失敗しちゃったなぁ」
私は天井を見上げながら呟く。そのまま手のひらで潰れた吸殻をポケットの中で払い落とす。
完全に吸殻を落とし終えると、詩乃ちゃんに向かって笑いかけた。
「ごめんね詩乃ちゃん、迷惑かけちゃって。私、また余計な期待抱いちゃった。私なんかを受け入れてくれる人なんていないのはわかってたのに、勝手に一人で暴走して、ありもしない友情を求めて」
「美麻里、ちゃん……?」
そして私は鞄からノートを取り出す。それは私が化け物の気持ちを吐き出すために、数年前からずっと詩を綴り続けたノートだった。
「これ、受け取ってくれる? 実は私も詩乃ちゃんみたいに詩を書いてたんだ。別に読んでくれてもいいし、そのまま捨ててくれてもいい。私にはもう、必要ないものだから」
私はノートを詩乃ちゃんの胸に押しつける。詩乃ちゃんが呆然としたまま受け取ったのを確認すると、そのまま背を向けて扉へ向かった。
「じゃあね詩乃ちゃん。今まで私なんかと友達になってくれてありがとう。私はもう自分の『夢』を叶えにいくから」
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