第9話 涙を超えて
伊藤博文(山崎賢人)は、入江九一(向井理)・野村靖(平岡祐太)の妹であるすみ子(森七菜)と結婚しましたが、その結婚生活は必ずしも順風満帆ではなかったようです。二人の間には頻繁にケンカが起こり、特に博文の性格や外交活動による長期の不在が、すみ子との関係に緊張をもたらしたと考えられます。
博文は外交や政治に情熱を注ぐあまり、家庭を顧みる時間が限られていました。特に、彼が日本の近代化に向けた使命感を抱き、外部での活動に忙殺される中で、家庭内の問題には目を向けにくかったのかもしれません。すみ子もまた、そんな彼の姿に不満を募らせたことでしょう。伊藤の激動する政治生活と、すみ子の思いがすれ違い、しばしば口論に発展することがあったのです。
それでも、二人は幾度の対立を乗り越え、結婚生活を続けました。すみ子にとっては、博文が家に帰るたびに、彼の偉大な使命を支えることが、自らの役割と理解しつつも、夫婦間の葛藤を解消することは容易ではなかったと言えるでしょう。このような夫婦の人間模様は、歴史に名を残す偉人たちもまた、日常的な悩みを抱えながら生きていたことを物語っています。
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入江九一は天保8年(1837年)4月5日、長州藩の足軽である入江嘉伝次・満智(村上与三右衛門の長女)夫妻の長男として生まれた。弟に野村靖(和作)、妹に伊藤すみ子(伊藤博文の最初の妻)がいる。妻は九一の父の同僚である堀音右衛門の娘・粂。
安政3年(1856年)に父が死去し、家督を継いだ。安政4年(1857年)に弟の和作が吉田松陰の松下村塾に入塾するが、九一は家計を支えるべき立場であるため通う暇を作れず、安政5年(1858年)になって遅れて入門した。同年12月に松陰は再投獄されるため、実際に学んだのは1ヶ月程度に過ぎないが、松陰から高く評価され久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿と並んで松門四天王の一人に数えられた。
同年、師匠の松陰が江戸幕府の無勅許による日米修好通商条約締結に激怒し倒幕を表明して老中の間部詮勝暗殺計画を企んだ。この時、高杉・久坂・稔麿らは猛反対したが、九一・和作兄弟だけは賛成し計画に加担。その際に松陰から「久坂君たちは優秀だが、度胸が無い。しかし君だけは国のために死ねる男児である」と高く評価されている。そのため、後に松陰が安政の大獄で処刑された後も、九一は師匠の遺志を受け継いで間部詮勝暗殺計画を実行に移そうとしている。
同年、伏見にて藩主を拉致して朝廷に誘導し、強引に攘夷を宣言させるという奇策「伏見要駕策」を獄中で思いついた松陰は、無謀な策に反対する久坂玄瑞、高杉晋作ら殆どの門下生に破門状を出し、入江兄弟に実行の指示を出すが、藩に察知されて弟と共に岩倉獄に投獄された。これにより入江家は困窮し、九一は獄中で内職を行って家計を助けた。
松陰の処刑から半年後、兄弟も万延元年(1860年)に釈放され、文久3年(1863年)には吉田稔麿らと共に足軽から士分に取り立てられたが、無給の士分という扱いであり、家計の苦しさに変化はなかった。京都で尊皇攘夷のための活動を行なう一方で高杉の奇兵隊創設にも協力し、奇兵隊の参謀となった。同年の下関戦争には久坂の率いる光明寺党の一員として参加した。
翌元治元年(1864年)7月19日、禁門の変では久坂の率いる浪人隊の一員として天王山に布陣し、御所攻撃に参加したが敗れて久坂は自刃。久坂に藩主世子への伝言を頼まれた九一は何とか脱出しようと図ったが、塀を越えたところで越前兵の槍を顔面に受けて死亡。享年28。
首級は福井藩士が松平春嶽に許可を得、同様の戦死者8名と共に福井藩の京の菩提寺である上善寺に手厚く葬られた。その後長らく長州藩側に忘れられていたが、旧福井藩士が毛利家に連絡した事をきっかけに、明治30年代に碑石が修築された。
野村靖は天保13年(1842年)、長州藩の下級武士(足軽)入江嘉伝次の次男として生まれる。兄に入江九一、妹にすみ子(伊藤博文の最初の妻)がいる。
兄・九一が入江氏を継承したため、親戚の野村氏を継承した。吉田松陰の松下村塾に入門して尊王攘夷に傾倒、老中・間部詮勝の暗殺計画が露見して兄と共に投獄されるが、文久2年(1862年)にはイギリス公使館の焼き討ちに参加。第二次長州征討でも活躍している。
明治維新後、廃藩置県にあたって、鳥尾小弥太とともに、西郷隆盛・木戸孝允等政府有力者を周旋しとりまとめるなど活躍を見せ、その後、宮内大丞、外務大書記となり、岩倉使節団の一員として渡欧。神奈川県権令及び県令・駅逓総監・逓信次官を歴任し、明治20年(1887年)に子爵に叙せられる。明治21年(1888年)に枢密顧問官、明治24年(1891年)に駐仏公使を歴任した。
明治27年(1894年)には第2次伊藤内閣の内務大臣に就任し、翌28年(1895年)に東京府を廃止して東京15区を「東京都」として独立させて政府の支配を強化し、他の地域を多摩県として再編成させる「東京都制および多摩県設置法案」を提出したが、帝国議会(第9議会)や東京市民の反感を買って廃案となり、責任を取って辞任した(1896年2月3日)。しかし29年(1896年)には第2次松方内閣の逓信大臣に就任している。
晩年は皇室の養育掛長をつとめた。明治42年(1909年)、富美宮允子内親王・泰宮聡子内親王に供奉して鎌倉に出張中、脳溢血のため68歳で死去した。遺言により世田谷、松蔭神社の墓域内に埋葬された。
明治9年(1876年)、神奈川県権令時に、三宅島流刑を赦免されて東京に戻っていた沼崎吉五郎の突然の訪問を受け、同囚であった吉田松陰から託された留魂録の正本を受け取っている。
### **シーン1:吉田松陰の斬首**
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**背景:** 江戸の牢獄。静かな夜、吉田松陰が安政の大獄で処刑されようとしている。見守る者もほとんどおらず、松陰は一人静かに最後の時を迎える。
**登場人物:**
- **吉田松陰** 斎藤工
- **伊藤博文** 山崎賢人
- **処刑人**知念侑李
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**吉田松陰:**
(穏やかな表情で)「人は死ぬ時にこそ、その真の価値が問われる。私の思いは、弟子たちに託された。博文、君たちの手で新しい時代を切り開いてほしい」
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**伊藤博文:**
(目に涙を浮かべながらも、必死に堪える)「師匠…必ず、僕たちが志を継ぎます。日本を変えてみせます」
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**処刑人:**
(無言で刀を構え、ゆっくりと振り上げる)
**ナレーション:**
「こうして吉田松陰は斬首され、幕末の動乱の中で一つの時代が幕を下ろした。しかし、その思いは弟子たちに確かに受け継がれていた」
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### **シーン2:師の遺骸との別れ**
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**背景:** 江戸の寺院。松陰の遺骸が横たえられている。伊藤博文は師の亡骸に寄り添い、自らの帯を取って遺体に巻き付ける。彼の表情には悲しみと決意が混じっている。
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**伊藤博文:**
(帯を巻きながら、呟く)「師匠…僕はまだ未熟ですが、あなたの教えを胸に、必ず大志を成し遂げます。これからの時代を、僕たちが作ります」
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**ナレーション:**
「伊藤博文は深く師を敬い、その遺志を継ぐことを誓った。この瞬間から、彼の運命は大きく動き出すことになる」
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### **シーン3:尊王攘夷運動への参加**
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**背景:** 長州藩の会合所。桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作、井上馨などの志士たちが集まり、尊王攘夷運動について熱く語り合っている。伊藤博文もその一員として参加し、次の行動を決めようとしている。
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**桂小五郎:《鈴木亮平》**
「幕府の支配はもう限界だ。今こそ我々が立ち上がり、尊王攘夷の旗を掲げる時だ!」
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**久坂玄瑞:《津田健次郎》**
「その通りだ。だが、内政だけではなく、外国の力も無視できない。英国との関係をどうするか、我々の行動が今後の鍵を握るだろう」
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**伊藤博文:《山崎賢人》**
(黙って聞いていたが、決意を固めて口を開く)「僕は海外に渡って、直接彼らの力を見て学びたい。日本がこのままではいけないことは分かっている。外の世界を知り、それをこの国に持ち帰ることが、未来のために必要だ」
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**高杉晋作:《手越祐也》**
(驚いた表情で)「お前、海外に行くつもりか?確かに、異国の知識や技術は重要だが…」
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「僕は志を継ぐためにも、自ら学び、動くことが必要だと信じています。それが尊王攘夷運動における僕の役割です」
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**ナレーション:**
「こうして伊藤博文は海外渡航を志願するようになる。一方で、長州藩内では過激な攘夷行動も活発化していくことになる」
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### **シーン4:品川御殿山の英国公使館焼き討ち**
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**背景:** 品川御殿山。夜闇の中、英国公使館が静かに佇んでいる。その前に、暗殺を企む伊藤博文、山尾庸三、塙忠宝、加藤甲次郎が姿を見せる。
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**山尾庸三:《鳥羽潤》**
「今がその時だ。攘夷のために、彼らに日本の意思を見せてやるんだ」
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(静かに頷きながら)「これが僕たちのやるべきことだ。未来のために、この犠牲は必要だ。」
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**ナレーション:**
「尊王攘夷運動の激化と共に、彼らは英国公使館の焼き討ちを決行する。この行動は日本と外国との関係に大きな影響を与えることになるが、彼らの覚悟は揺らぐことはなかった。」
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### **シーン5:来原の葬式**
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**背景:** 長州の山中。来原の葬式が静かに執り行われている。伊藤博文をはじめとする志士たちは、それぞれ思いを胸に、来原の死を悼んでいる。
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**伊藤博文:**
(来原の遺骸に手を合わせながら)「来原さん…僕たちが、この国を変えてみせます。あなたの犠牲を無駄にはしません」
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**桂小五郎:《鈴木亮平》**
「彼の思いを胸に、我々はさらに強くなる。尊王攘夷の旗を掲げ、必ずこの国を守り抜くのだ。」
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**ナレーション:**
「来原の死は伊藤博文にとって大きな転機となり、彼の決意を一層固める出来事となった。時代の流れの中で、彼はさらに過激な行動に身を投じていく」
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### **シーン6:暗殺の決行**
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**背景:** 江戸の街角。暗闇の中、伊藤博文と山尾庸三は密かに塙忠宝と加藤甲次郎の暗殺を画策している。
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**山尾庸三:《鳥羽潤》**
「ここで奴らを始末すれば、長州藩の中の裏切り者を一掃できる。我々の運動にとって重要な一手だ」
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**伊藤博文:《山崎賢人》**
(冷静な表情で)「僕たちはもう後戻りはできない。ここで彼らを排除し、未来への道を切り開くんだ」
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**ナレーション:**
「伊藤博文は筋肉質の体躯と共に、冷徹な行動力を持つ男へと成長していた。暗殺という過激な行動も、彼の中では未来のための手段に過ぎなかった」
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### **エンディングナレーション:**
「伊藤博文は尊王攘夷の志士として、次第にその名を刻んでいく。彼の行動は時に過激でありながらも、日本の未来を見据えたものだった。幕末の動乱の中、彼がどのように成長し、そしてどんな未来を描くのか、次回もまた見逃せない」
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### **次回予告:**
「次回、第10話では、伊藤博文が海外渡航を実現し、異国の文化と技術に触れることで、新たな道を切り開いていく姿が描かれます」
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