せめて、朝食くらいは一緒に
夜桜満月
第1話 ベーコンエッグ
熱していたフライパンから白い煙のようなものが立ち上る。煙が徐々に増え、勢いを増していく。それを確認し、油をフライパンに入れていく。なじませるようにフライパンを動かし、油をなじませていく。もう一度、コンロにかけなおし、さらにフライパンを温めていく。
煙がさらに立ち上り、フライパンのほとんどすべてから出始める。
「……」
フライパンの様子をただただじっと見る。煙は相変わらず上り続けている。
そこにベーコンを平たく伸ばして入れていく。少々厚切りのもので、重みがあるもの。
フライパンと触れたベーコンの脂が大きな音を立てて弾けだす。続けてもう一枚入れる。二つのベーコンがくっつかないように隙間を作る。ベーコンの縁が踊り始め、脂の泡が出来上がって消えていく。赤みを帯びていたはずのベーコンの縁が少しずつ茶色へと変化し、それに合わせて、動き始める。跳ねるような動きをみせ、表面に火が通っていくのが伝わってくる。
ベーコンの脂ともともとひいていた油が混ざっていく。
ベーコンをひっくり返すころ合いと見て、菜箸でつまもうとするが、思ったよりも油の量が多くなってきていた。近くのキッチンペーパーを一枚とり、折りたたんで菜箸で挟む。そのまま、キッチンペーパーをフライパンの中の油の海に乗せてゆっくりと滑らせる。余分な油が吸い取られる。すぐさま油によってフライパンの表面が覆われるが、さっきまでのような油の量ではなかった。キッチンペーパーを小さなナイロン袋の中に放り込み、ベーコンをひっくり返す。
二枚とも返すと、油が跳ねる音とともに焼ける音が大きくなった。同時に、ベーコンの持つ香りも解き放たれていく。焼かれていた面は小さな焦げと焼き色に変化し、側面も油で熱せられてきつね色へと姿を変えていた。
菜箸を持ったまま、冷蔵庫を開ける。そこから卵を四個取り出す。
コンロまで戻り、卵を一つ、小さな器に割り入れる。殻から出てきた卵は器の中で左右に揺れる。その動きが止まると、黄身がしっかりと立っているのがわかる。なかなかいいやつのようだ。
その卵をそっと、ベーコンとフライパンの縁の間に流しいれる。ベーコンとベーコンの間に白身が流れ込まないように慎重に行う。上手くベーコンの厚みで流れるのをせき止めることができた。もう一度、同じことをする。こっちの卵も鮮度が良かった。
しばらく、そのままにしていると、透明だった白身がすぐに白へと変化していく。同時に固まっていくのがわかる。黄身はまだ、白くコーティングされておらず、黄色のまま。
「いち……に……さん……し……ご……」
ゆっくりとカウントし、残り二つの卵をさっきと同じ要領で器にいれる。ただ、今回はさっきと違うことを一つだけした。今度の卵はベーコンとベーコンの間に流し込んでいった。
卵が熱せられた油にくっつき、何度もはねながら白く変化していく。
それを見届けてから、一度コンロからは離れた。
近くに置いてあった電気ケトルに水を入れ、そこから少しだけフライパンに水を落とす。油と水が反発しあって、激しくバチバチという音を立てながら、フライパンの中のものを激しくはねさせる。そのままフライパンに蓋をする。
電気ケトルは元の場所に戻して電源を入れる。スイッチの色が変わり、加熱をし始める。
さらにそのケトルの横に置いてあった食パンを二枚取り出し、トースターの中に放り込んで、タイマーをセットする。こいつはめんどくさいことに一度ある一定までタイマーを回してから、焼きたい時間に設定しなおさないといけない面倒なやつ。だが、それでもしっかり焼けるのだから、文句は言うまい。いや、言いたいが。
ジリジリという音が鳴りはじめ、トースターの中が徐々にオレンジ色に変わっていく。それを確認して、戸棚から皿を三枚とスープカップ、マグカップを取り出す。皿は白いもの、スープカップには動物の絵柄が描かれ、マグカップは赤と白、青と白のストライプになっているものをテーブルに出した。いつも使っているもの。あとはカトラリーとして、フォークとスプーンも出しておく。
それぞれを並べ終えると、冷蔵庫の中からパックに入ったコーンスープを取り出す。生クリームを使っていて、お湯で溶く必要もないからインスタントよりも好んで買っている。少々値が張るが、好ましいものを食べる方が心にもいい。スープカップに注ぎ込んで、カップごと電子レンジの中に入れ、温める。トースターと同じように中の色が変化していく。
確認したところで、フライパンへと戻る。蓋の内側は湯気で曇り、中をみることはできない。蓋を開ける。ベーコンの焼けた香りが広がり、白身が揺れるさまが目に入る。加熱をやめて、フライ返しを手にフライパンに対峙する。静かに中心部の二つの目玉焼きがくっついているところをフライ返しで分けていく。ちょうど均等な量になるようにしたつもりだが、片方が大きくなってしまった。
小さく舌打ちしながら、不器用さを呪う。どうしようもないことはわかっていた。
用意していた皿を手に取り、今度は慎重に目玉焼きとベーコンの下にフライ返しをさしこんでいく。中心部の玉子は半熟になっているから割れると悲惨なことになる。細心の注意を払いながら、そっと下まで通し持ち上げる。するりと持ち上がった目玉焼きとベーコンを皿に移す。油が皿の上でわずかに踊るがそれもすぐにおさまった。
もう一つ残った方が少し大きい。これは相手に渡そう。そう思って力んでしまった。
玉子が少しだけ破れてしまった。
ただ、幸いだったのが、完熟に固めた方だったので、それほどの被害はない。そっと皿にのせる。
ふぅ、っと息を吐き出す。どうやら、呼吸を忘れるほど集中していたらしい。
皿をテーブルに置いたのと、ケトルが沸くのと、トースターが素っ頓狂な音を立てるのが同時になった。続いて、ドアが開く。
「お兄ちゃぁん……あーいい匂い。朝ごはん、何ぃ?」
どこか場違いな声が響く。
「おはよう。目玉焼きとベーコン、それにトースト」
「あーっと、らっきぃ。 朝から、ついてるぅ……」
何がラッキーなのかわからない。ただすぐに寝入ってしまいそうな声。それを無視し、皿をつまんでトースターから食パンを取り出す。白い湯気が昇るパンは、こんがりときつね色へと変わっていて、持った瞬間にパンの耳のしっかりとした感触が伝わってきた。それもテーブルに出す。
並んでいたマグカップを持ち、製氷機から氷をいくつかつまんでマグカップの中へ。そこにケトルのお湯を注ぎ込む。白湯というにはあまりにも違いすぎるただのお湯だが、飲まないよりはいいだろう。二つのマグカップもテーブルに置く。
冷蔵庫の野菜室を開き、中からミニトマトを見つけていくつかつまむ。ヘタを取り除いて、流水にさらし、そのまま目玉焼きの横に添えた。
そこで電子レンジが加熱終了の音楽を奏でる。他の調理器具よりよっぽど、音楽センスが高かった。もちろん電子音だが。中からスープカップを取り出す。こちらも湯気がのぼり、甘いコーンの香りが広がっていく。
「今日の特集は……」
聞きなれた声が響く。どうやら、テレビがつけられたようだ。いつも時計代わりにしている音で、これのおかげで大体の時間がわかる。
フライパンを濡れ布巾の上に置く。フライパンの底から熱が手に伝わってくる。同時に湯気が立ち込めてくる。ある程度の温度まで下がるのをひたすら待つ。取り扱いとして合っているのかはわからないが、直接水につけるよりもいいだろうと思ってしている。
やがて音が静まったところで、軽くキッチンペーパーでフライパンをぬぐってから洗剤をつける。最近は便利な食器洗剤があるようで、レバーを引くと最初から泡で出てくるものがある。かけてしばらくおけば、汚れも落ちるので便利だ。
漬けおいたフライパンを置いて、テーブルへとつく。
「おはよう。それで? 何がラッキーなんだ?」
「えっ? ああ、だってベーコンがいつものペライのじゃなくて、分厚いやつだから。なっていったっけ? バン何とか?」
固焼きの目玉焼きを食べながら話してくる。
「口の中にものを入れながら話すな。ちなみに話していたのはバンチェッタのことか?」
目の前でマグカップの中身をあおり気味に飲んでいる。氷をいれたとはいえ熱いはずなのに、平然と飲んでいるのが不思議だった。
「ぷはぁっ。そうそう。バンチェッタ。それじゃないの?」
「違うな。あれはもっと塩味が強い。それに物によっては生でも食べられる。今日のはただのベーコンだ。厚めに切っただけだ」
「そうなんだ。それで玉子からも塩気がするんだ」
フォークで器用にベーコンとエッグを切り分け、一緒にのせながら食べている。
「うっま! なんで? 玉子だけだったら塩気だけなのに、ベーコンと一緒に食べたら、油のとろけ具合と玉子のしっかり感が混ざって、溶けてくみたいなんだけど!」
飲み込み切ったかどうかのタイミングで話し始めている。うまいのは良かったが。続けてフォークで、割られていない目玉焼きを指し示す。
「こっちは?」
「そっちは半熟だ。食べる時は気をつけろ」
言い終わるより早く、半熟のベーコンエッグがトーストの上にのせられる。そのまま、三種を一度に頬張った。その姿は昔見たアニメ映画のワンシーンのようだ。
「ヤバッ! なにコレ! めっちゃウマいんだけど! トーストのさっくり感にトロリとした玉子の黄身とベーコンの油が染みて、しっとりとさっくりが同時にくる!」
「あっ、ああ」
「そこにベーコンの塩味がタイミングよく入ってきて、トロリとした食感を爽やかにしてくれた! お兄ちゃん! 朝からとんでもなく手間かかってない?」
簡単な朝食に興奮しながら、続けてミニトマトをつまんで口の中に放り込んでいた。
「んんー、トマトの酸味が口の中をさわやかにしてくれる! お兄ちゃん! このバランスさいっこう!」
「それは良かった」
フォークを手に取り、目玉焼きを切り分けようとした時だった。何かが、揺れている音がする。
「お兄ちゃん?」
「何だ?」
さっきまでカトラリーとして使用していたはずのフォークを使い、何かを指し示している。その先を目で追うと、そこには見慣れたスマホが置かれていた。
「鳴ってない?」
言われてみれば、微弱に振動している。
ため息とともに、立ち上がり手に取る。
「鳴ってた?」
「ああ……。呼び出しだ……。もしもし、はい……はい……。今から参ります。しばらくお待ちください」
通話が切れる音と一緒にサクッという軽やかな音が同時に奏でられる。
「お兄ちゃんに定時はないのかね……」
「こればかりは仕方がない」
手早くミニトマトとマグカップの白湯もどきを流し込む。
「食べていいぞ。もったいないからな……」
「ちょっ! いくらなんでも多いって!」
「大丈夫だろ? お前の運動量なら」
すでに玄関先まで移動し、靴に足を通している。そのまま靴箱の上のカギをつかみ、玄関ドアを開ける。
「そりゃあそうだけど、女の子に朝から食べさせる量じゃ……」
「夜じゃなきゃ太らない。食器とかは悪いが食洗器に入れて動かしておいてくれ! それじゃ、遅刻するなよ!」
「あっ、ちょっ? いってらっしゃい!」
ドアの隙間からそれだけが聞こえてきた。
ああ、せめて朝食くらいは一緒に食べたいものだ。
せめて、朝食くらいは一緒に 夜桜満月 @yozakuramangetsu
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