ミステリー愛好家、オチを忘れる

「暑い。ともかく暑い」



 私はタクシーの運転席でハンドルを握りながら、溜息をつく。日差しが強く、エアコンをかけているにもかかわらず、外の熱気が車内にじんわりと伝わってきていた。窓から差し込む太陽の光が肌を焼くようで、冷房の効きも今ひとつ。車内の気温はじわじわと上がり、じっとりと汗が滲む。



 今日は神保町で古本市が開催されている日。古本の蒐集家が大量に本を買った時、タクシーを使う可能性が高いと踏んで、私はこの辺りを流していた。古本市の開催日はいつもと違ったお客さんが乗ってくることが多く、その中には興味深い話をしてくれる人も少なくない。



 大通りをゆっくりと走らせていると、歩道で二人組の男性が手を挙げて私を止めようとしていた。脇には大きな紙袋が置かれている。間違いない、あれは古本がたくさん詰まっているに違いない。私はスッと停車し、彼らを乗せた。



「ここをまっすぐ行ったところにあるカレー店までお願いします」一人がそう言う。神保町はカレー店が多いことでも有名だ。たくさんのカレー店が並ぶ中、あえてその店を選ぶということは、きっと美味しい店に違いない。私は小さく頷き、再び車を発進させる。



 後部座席では、二人組が何やらミステリー小説について話をしている。彼らの会話が耳に入ってきた。どうやら二人ともミステリー好きらしい。私も同じ趣味を持っているので、彼らの会話には自然と微笑んでしまった。ミステリー小説について語り合うのは、共感できる楽しい時間だ。



 ところが、ある作品についての話になると、ふたりの会話が突然途切れた。『五十円玉二十枚の謎』。その小説のタイトルを耳にした瞬間、私の心がピクッと反応する。この作品はミステリー好きの間では有名なものだ。ある作家の実体験をもとに書いたもので、いくつかの解答を提示するという、少し変わった作品だった。

 


「やっぱり、お前も思い出せないか?」一人がため息混じりに言った。



「うーん、無理だな……」もう一人も首をひねる。



 私は後部座席の会話に思わず口を挟んでしまった。「もしかして、『五十円玉二十枚の謎』の解答の一つが思い出せないのでしょうか?」



 二人は驚いた顔で私を見て、互いに顔を見合わせた後、意を決したように話し始めた。



「運転手さんもミステリー好きなんですか?実はこんな話だったんですが、オチがどうしても思い出せないんです」



「おそらく分かるかもしれませんが、保証はできません」私は少し謙遜しながら返答した。



 彼らはそのまま話を続ける。「最初は、謎の男が千円札を50円玉20枚に両替するところから始まるんです。ここまでは普通ですよね」

 


「ええ」私は小さく相槌を打つ。



「その後、近所で凶器が見つからない殺人事件が起こるんです」



 私はうなずく。どうやらその両替した男と事件が繋がっているのは間違いなさそうだ。



「そして、男が今度は50円玉20枚を千円札に両替してくれと頼むんですよ。」



 私はここで首をかしげた。確かに、そんな展開があっただろうか。記憶にある筋書きとは少し違う気がする。しかし、ふたりは真剣な表情で私を見つめている。オチが思い出せないとはいえ、ここまでの情報で推理することはできる。



「バラしてから戻す……バラす?」私はふとある考えにたどり着いた。



「おそらくですが、こういう展開ではないでしょうか。両替した50円玉をブラックジャックのように重ねて、何かに利用した。それが凶器だったのでは?」



「つまり、殺人に使った?」二人組は私の言葉を受け取って、さらに話を膨らませる。



「そうです。そして、今度は証拠を隠すために再び千円札に戻そうとしたのではないかと」



「なるほど! それなら辻褄が合う」二人は納得した様子で大きく頷いた。「最後には、その事実に気づいたアルバイトが、50円玉を見るたびに恐怖を感じるようになるという話だったか」



「そうです、それです」私は少し照れくさそうに微笑んだ。



「思い出しましたよ。そうだ、この話は無名のアマチュア作家が書いたものでした。」



 二人はその結末を噛み締めながら、私に感謝の言葉を述べた。



 その瞬間、私はふと亡くなった父のことを思い出した。実はこの小説を書いたのは、他でもない私の父だったのだ。



 父は若い頃、無名のアマチュア作家としていくつかのミステリーを書いていたが、結局はそれほど有名にはならなかった。しかし、こうして今でも誰かの記憶に残っているということが、なんだか嬉しかった。



 タクシーは目的地に着き、二人の客は車を降りた。「ありがとうございました。運転手さんのおかげでスッキリしました」



「どういたしまして」



 私は軽く会釈してふたりを見送り、再びハンドルを握り直した。父の作品が、こうしてふとした日常の中で話題に上がることがあるとは思ってもみなかった。タクシー運転手としての日々は、時折こんな風に、過去の思い出と繋がることがある。それが、私の密かな楽しみでもあった。

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