松阪牛

あべせい

松阪牛



「これは、自宅から持参されたマイバッグですね。レジ袋は使ってないンだ」

「レジ袋が有料になってからは、これを使っています」

「これだけですか、きょう、買ったのは?」

「何度もお話していますが、この袋に入っているので、全てです」

「ポケットの中も全部、見せて。あるはずなンだ。勘定をしていない商品が」

「何度、おっしゃっても、ないものは出せません」

「私は確かに見たンだ。下着の中に隠したンだろう」

「あなた、わたしに裸になれとおっしゃるンですか」

「そんことは言っていない。盗んだものを出せ、と言っているンだ」

「あなたと話をしていても、時間の無駄です。警察を呼んでください。セクハラで訴えます」

「セクハラ! 何がセクハラだ。私は自分の仕事をしているだけだ」

「だから、警察を呼んでください、と言っているンです」

「警察はまだ早い……あんたが盗んだという確証は、まだない」

「でしょう」

 ドアが開き、男が現れる。

「店長、いま調べているンですが、なかなかしぶとくて……」

「君、名前は何といったっけ」

「私ですか。オール警備保障から派遣されています前安保ですが」

「こちらのお客さんは、どうされたンだ」

「ですから万引きです。しかし、その商品が出なくて」

「だったら、キミの見間違いだろう」

「誤認だとおっしゃるンですか」

「そうじゃないのか」

「そんなことありません。私はこの仕事を13年、やっているンです。これまで誤認は一度もありません」

「きょうが初めての誤認なンだろう」

「店長は、万引きの被疑者と保安員のどちらを信用なさるンですか」

「正しいほうだよ」

 店長は女性に対して、

「どうぞ、お帰りになってけっこうです」

 女性は店長に面と向かい、

「あなた、こちらのお店の責任者ですか」

「店長をしていますが」

「わたしは、この方に衆人環視のなかで腕をとられ、ここに連れて来られました。そのようすをご覧になった大方の人は、わたしが万引きをしたと誤解なさっておられます。わたしは、わたしは、この恥辱を……」

 女性の目頭が赤くなり、涙があふれている。

「どうやって乗り越えればいいンですか!」

「前安クン、どうするンだ。キミの責任じゃないか。こんなすてきなご婦人に対して、万引きだなんて」

「店長、私の眼に間違いはありません。この女は確かに、乾燥バジリコの調味料瓶を、手の中に隠しました」

「瓶? 瓶だったら、簡単に隠せるものじゃないだろう。ポケットに入れたって、外から目立つ。彼女の服装は、この暑い季節だ。ノースリーブのブラウスに、脚にピッタリしたコットンのパンツ……隠しようがないじゃないか」

「ですから、最初は手の中に隠してレジをすませ、そのあとマイバッグに忍ばせた、と見ました」

「しかし、いま調べたところ、なかったンだろう」

「ですから、下着の中か、ズボンのどこか、あるいは……」

「あるいは、なんだ?」

「私が近付いたので、近くに捨てた」

「捨てたのなら、キミが、気がつくはずだ」

「お2人のお話はいつまで続くのですか。時間稼ぎをしているとしか、思えませんが」

「前安クン。この責任はとってもらうよ。お客さん、申し訳ありません。こちらの間違いだったようです」

「ようです!? ようです、とはなにヨ! 女だと思って、バカにしているンですか」

「すいません。舌足らずでした。こちらの間違いです。申し訳ありません。どうぞ、お引取りください」

「帰れ、って言っているの? それがこのスーパーの正義?」

「では、どうすればご納得いただけるのでしょうか」

「だから、さっきから言っているでしょう。警察を呼びなさい、って。警察を呼んで、白黒つければ、お互いすっきりするでしょう」

「しかし、疑わしいだけで……」

 店長、女性の眼に気付き、

「いいえ、舌足らずでした。疑わしくない、全くの誤解なのに、警察を呼ぶというのは、前例がありません」

「前例を作れば? 愚かな店長のおかげで、無実のお客を警察沙汰にしたとして、マスコミに叩いてもらったら?」

「そんなことになったら、私の将来は」

「あんたの将来? そんなこと知らないわよ。わたしの将来は、どうしてくれるンよ! このマヌケ保安員にドジ店長!」

「店長、私の責任です。異例ですが、この際、警察を呼んで、徹底的に調べてもらったほうが」

「前安クン、キミまで私の出世を妨害しようというのか。キミにそんな権利があるのか!」

「しかし、この女性が万引き犯人であってこのまま帰したりすれば、被害は広がります。巧妙な手口を暴く意味でも、警察に一報したほうが賢明だと思われます」

「だから、やりなさいよ。警察を呼べと言っているでしょう」

「前安クン、キミの意見はいい。もう、帰りたまえ。いいから、帰ってくれ」

「店長、私は午後6時までの勤務ですが……」

「キミの勤務はきょうが最後になるだろうよ。これから、キミの会社に電話を入れる。短い間だったけれど、お疲れさま」

「それはないでしょう! 私は、いままで店長の無理を散々聞いてきたじゃないですか」

「そんなことがあったかな」

「店長が土地の極道に因縁をつけられたとき、私が体を張って、極道を撃退しました」

「あれは、キミが少林寺拳法の心得があるから、当然だろう。キミの会社の警備員リストからキミを選んだのは、その特技を買ったからだ」

「店長が、若い女性客にこっそり松阪牛のステーキ肉をお持たせになったことがありました。それも2枚。そのとき、私は歯を食いしばって、見逃しました。それは店長が、前々から愛人にできないかと狙っておられる女性だったからです」

「私は店長だよ。売れ残った肉をどう処分しようと、それくらいの権限は与えられているンだよ。それにあの肉は賞味期限切れだった」

「あの松阪牛の賞味期限は、翌日までありました。ですから、2割引きでも充分売れる商品です」

「そんな解説はいらない」

「店長が長く愛人にしていた人妻から、手切れ金を要求されたときは、店長に代わってそれを届けました」

「あれは手切れ金なんかじゃない。当日配達のサービスをお使いになった奥さまに、ご指定の商品と異なったものが配達されたため、お詫びに菓子折りをお届けしたのだ」

「その菓子折りの下に、50万円の現金が忍ばせてあったのは、どうしてですか」

「キミは、あの菓子折りを開けたのか!」

「私じゃありません。店長から愛人の座を追われた奥さまです。奥さまは……」

「奥さまなんて、呼ぶンじゃない。あれは、私の女房じゃないンだからな」

「しかし、あの方は、いずれあなたが奥さまに直すという約束だったとおっしゃっておられました」

「余計なことを言うな!」

「元愛人のあの方が、帰ろうとする私を引きとめ、私に証人になって欲しいとおっしゃいました。私は、何のことかわからず、お引きうけして菓子折りを開けると、人形焼きの下に、万札がぎっしり並んでいたのです」

 店長は無言。

「でも、あの方は札を数えられて、『50万はひどい。あと150万持って来ないと、あのエロ店長の家に乗り込んでやる』とおっしゃって、まだ納得されていません」

「キミはいろいろ知りすぎている」

「口封じに処分なさいますか。まだ、あります。特売のチラシに価格の記載ミスがあって、開店前から大勢のお客さまが殺到したとき、店長は……」

「オイ、あの女性がいないよ」

「逃げた! 逃げたに違いありません。やっぱり、あの女はやっていたンです。店長、私の目に狂いはなかった」

「もう、いい」

 ドアが開き、

「もう、いいじゃないでしょう! あなたたちのバカッぱなしが長いから、トイレに行ってきただけよ!」

「前安クン、キミの言葉は信用ならン。もういいから、出ていってくれ。早く、行きたまえ!」

「し、しかし……」

 前安、女性を睨みつけながら、退出する。

「失礼しました。どうぞ、おかけ下さい」

 女性、仕方なく椅子に腰かける。

「警察は、まだですか?」

「すいません。警察は、呼ぶことはできません。前にも、別の若い保安員が未確認の女性に疑いをかけ、女性が懸命に否定しているにもかかわらず、警察に通報してしまった。結局、その保安員の誤認だったのですが、警察には叱られ、その女性には悪態をつかれ、示談で決着させるのに3ヵ月余りかかりました」

「3ヵ月。早いわね。わたしは1年以上かかるから、覚悟していらっしゃい」

「どのようにすれば、納得していただけますか」

「誠意でしょう。誠意を尽くしてくださることよ」

「誠意ですか……私は誠心誠意、お客さまのご要望にお応えしようとしておりますが」

「それじゃ、誠意が足りないのよ。わからない? うら若い女性が、このような辱めを受けて、このまま耐えられると思う?」

「どのようにすれば、耐えていただけるのでしょうか。お金でしょうか?」

「それは、あなたが考えることよ」

「では、誠に失礼ですが……」

 店長、後ろを向き、封筒に何かを入れ、女性の前のテーブルに置く。

「誠に些少ですが、お納めください」

 女性、封筒を持ち上げ、封の中をチラッと見て、すぐにテーブルに戻す。

「あなた、店長でしょう」

「はい」

「店長は、いろいろと権限がおありでしょう」

「はい……」

「万札1枚。この程度の誠意で、誠意を尽くしたことになるってお思い?」

「この店で私にできる精一杯の誠意ですが」

「あなた、気に入った女性には、松阪牛のステーキ肉をプレゼントなさるのね」

 ! 聞いていたのか。店長、ほぞを噛む。

「松阪牛のサーロイン、1枚250グラムが2枚だから、計500グラム。この店の松阪牛は、グラム5千5百円だから、合計金額はいくらになるかしら?」

「1枚250グラムだなんて、あなた、どうしてそんな詳しいことまでご存知なんですか」

「そういう話はすぐに伝わるの」

「保安員の前安だって、グラム数は見ていないはず。松阪牛のサーロインステーキ肉はご注文をいただいてから、その場で切り分けるのがうちのウリだ。あのとき、あの場にいたのは、私とあの女性だけ……あッ!」

「彼女、愛人の話を断ったでしょう。断ったというより、あなたがデートに誘っても、2度目からは行かなかった。1度で懲りた、って」

「あなたは」

「最初のデートに、あなたはスカイツリーに連れて行ったでしょう。彼女、高い所はダメなの」

「高いのが、好きだっていうから」

「それは、ブランド品とか、食べものの話よ」

「あなた、スカイツリーの展望台で大はしゃぎしたでしょう。望遠鏡を覗きながら『見える、見える! 富士山ダー、って』彼女、呆れていた。ふた回りも年下の女性に、『ぼく、少年のようでしょう』って、ふつう言う? 何をアピールしたいのか。全く伝わって来ない。ただ、気持ちが悪かった、って」

「私は、年の差なんて、関係ないと言いたかったンです」

「その後、高層ホテルのナイトラウンジに誘ったでしょう」

「あそこは、ホテルの最上階で、料金も高いンです」

「あなた、薄明かりの小さなテープルライトを挟んで、彼女にアピールした。『ぼくは、関東に120店舗展開しているスーパー・フジのなかでも、出世頭です。来年には、営業本部に入って統括部長を任される予定です。女房はいません。恋人もいません』って。でも、彼女は返事をしなかった」

「いまだに返事はない。あれ以来、携帯に電話をかけても出ない。メールは送っているが」

「あなた、ウソをついたら、ダメよ。奥さんがいないなんて、大ウソ。別居しているだけでしょうが。それに来年大学受験の娘さんが1人と、高校2年の男の子がいる」

「あなた、詳しすぎる」

「彼女のことは、あきらめたら?」

「だったら、私が彼女にお金を貸していることもご存知ですよね」

「9万8千7百53円のことかしら?」

「そ、そうですッ」

「彼女がこちらで買い物した1ヶ月分の代金でしょう。あれは、あなたが、彼女に、自分のクレジットカードを差し出し、『これで支払えばいい』と、買い物に来た都度、無理やり押しつけたと聞いているわ」

「例え、そうでも、貸したものです」

「そうかしら。だったら、あなたが、その度に、両手でギュッと彼女の手を握り締めたことも、問題になるわね。彼女がいやがっているのに、その生温かい手で、なかなか離そうとしなかった。一度は、トイレから出てきた彼女を捕まえ、キスしようとしたことがあったでしょう。しかも、出入り口のドアに『故障に付き、使用禁止』のビラまで張って。あれは、明らかに犯罪よ」

「証拠がない!」

「確かに強制猥褻の証拠はないわ。しかし、あなたの醜い唇攻撃からようやく逃れた彼女は、ドアの張り紙を携帯で撮っている。サインペンで書いてあった、あの張り紙の字の筆跡鑑定をすれば。あなた、言い訳に困るでしょう。あの時間帯に、トイレ前を撮影しているはずの防犯カメラが作動していなかった理由も、警察に聞かれるわよ」

「キミはいったい、だれだ!」

「まだ、わからないの」

「警察なのか」

「あなたが愛人にと狙っている彼女は、私の妹。妹はうんざりしているの。これ以上、妹につきまとったら、わたしがあなたを、ストーカー行為で告訴してやるわ」

「最初から、彼女に頼まれて、この店に来たのですか」

「頼まれたわけじゃない。あなたに一言言いたくて、万引きのまねごとをして、あの保安員を引っ掛けたの。調味料瓶は、レジをしているとき、レジ台の向こうに転がしたわ。万引きした商品をレジの勘定前に戻すなんて犯人は、まずいないから。あの保安員が見逃すのも無理ないわね」

「私に話があるのなら、そんな手のこんだことをしなくても、直接、店長室に来ればいいンだ」

「私が店長室に直接行けば、どうするの?」

「キミには、松阪牛1キロをプレゼントする」

                  (了)

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松阪牛 あべせい @abesei

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