シャーロット・ザ・ホームレス

玉虫圭

第1話

 あー、これ、長くなるヤツだ。

 シャーロットは口をへの字に曲げて、スマホを耳から離した。


 音吐朗々おんとろうろうと、硫酸りゅうさんアンモニウムの危険性と事故の実例を語る声が遠のく。

大事なのは、そこじゃないんだ博識はくしきな兄よ。


 笑気しょうきガスに言及げんきゅうしたのは失敗だったかなと後悔こうかいしながら、つんつんと、ニヤケ笑いが硬直こうちょくした蒼白そうはくほおをつつく。

「ふーん。紫オジサンは、土建屋どけんやさんのオーナーだったかー」

 ニトリル手袋をめた手で、財布から取り出した名刺と免許証をらし合わせ、つやのある紫スーツの男性とを見比みくらべる。


 舗装ほそうタイルに横たわった紫オジサンは、体格たいかくが良く、年齢の割にぴしりとして見えるが、ちぐはぐな印象いんしょうを受けるのは、ひじを曲げ、みぞおち辺りで両手の指を組み重ね、親指と人差し指の間隙かんげきに、紫色の可憐かれんな草花をたずさえているからだろう。


「……ある日、紫色が大好きな変態オジサンが、深夜にレンゲソウんで帰る途中、モールを通り抜けようと思ったところで、怪しげに置かれた『切断君』を見つけました。 『中には何が入っているのだろう? ……もしかして、切断された美少女の死体が……!』 高鳴る胸を抑えながら切断君に近付くと、震える手付きで、顔の位置にある小窓を開けようとしたその時です! 変態オジサンは、『ウッ!』っと短いうめき声を上げ、切断君の横にパタリと倒れると、満足げな微笑ほほえみを浮かべたまま死んでしまいました? ……意味がわからないわ」


 切断君とは、手品師が、アシスタントの女性をノコギリで切断するマジックショーで使う箱のことで、シャーロットは、板金屋ばんきんや特注とくちゅうして、外観がいかんをそのままに、内側の二人分のスペースをつなげ、折りたたみ式で堅牢けんろうかつ快適な野宿用品として利用している。当初は「アイアンメイデンちゃん」を見積みつもっていたが、予算オーバーした。


葬儀屋そうぎやさんが、ひつぎに入れずに置き忘れるワケないし、わざわざ、『切断君』の横に置いて行く理由もない。となれば、『誰が、どうやって、何のためにやったか』を考えるんだったよね。んで、『誰が』はまだわからないから、『どうやって』を考えるとやっぱり、笑気ガスでコロリだよなー。とすれば、入手先を調べて『誰が』のアタリをつけられれば、『何のために』もわかりそう……」

 念の為、スマホに耳を傾けると、思ったより話が進んでいた。

「……よって吸湿性きゅうしつせいに優れ、その際の吸熱性きゅうねつせいの高さから保冷剤ほれいざいとして……」

 それだ! 近くのホームセンターとディスカウントストアに行ってみよう。


流石さすがですわ! お兄様!」

 猫なで声で兄をたたえる。

「そのしゃべり方はやめなさい。……仮に保冷剤を基材きざいとしたとしても、シビアな温度管理を要するから、そこらの設備では……」

 普段の声色こわいろさえぎる。

「じゃあさ、アッシュ。レンゲソウって食ったら死ぬ?」

「牧草だぞ。死ぬ訳がない。口の中にあったのか?」

 紫オジサンの両頬りょうほほを片手でムニムニしてみるが、シャーロットの握力ではびくともしない。

「ううん。あごかたくて開けられなかったんだけど、胸の前で組んだ手の間にあるのって……」

手向たむけだな。死後24時間程度。何らかのメッセージだろうか……?」

 珍しく言いよどむ兄に、見えるはずもない胸を張って見せる。

 兄よ。想像力が欠如けつじょしているようね。私が知恵をさずけましょう。

「花言葉は?」

「あなたと一緒なら苦痛がやわらぐ」

 なんてこった、即答そくとうかよ。

「サポニンやフラボノイドなどの含有量がんゆうりょうの多さから、抗酸化作用こうさんかさようが高く、鎮痛効果ちんつうこうかを得られるゆえいわれだろうな。いずれにせよ、何ら意味を持たせたとは考えがたいから除外じょがいしていたが……。そもそも、何故お前は早朝からそこにいて、その紫オジサンとやらの死体とたわむれているんだ?」

 今更いまさらな問いかけに、怒った表情で顎を上げ、危うくかぶっていたシャワーキャップをつかんで地面に叩きつけそうになりながら答える。

「そんなの、どっかの薄情者はくじょうものがビスクドール欲しさに船出して帰ってこないからに決まってるじゃない!」


 ブリブリと怒りながらも、紫スーツをペタペタ触りながら物色ぶっしょくして、硬質こうしつ棒状ぼうじょうの物を内ポケットから取り出す。

「待て。家を出たのか?」

 特殊警棒とくしゅけいぼうであることを気にもめず、アーケード街にありがちな舗装タイルのみぞをそれでガリガリしながら続ける。

「そうよ! 悪い? だってアッシュがいない家にいる意味ないし、家に一人でいると、『アーサーは金髪女にほだされて帰らない……』ってささやくオバケが出るのよ! お父さんは、『日本に行くなら、ジシン・ツナミ・ヘンタイに気を付けろ!』って三本指立ててたけど、気を付けるべきは、ドロボウネコだわ!」


 尚、この「家」というのは、世田谷区某所にある庭付き一戸建いっこだて住宅のことで、二十年程度のちく年数の間に、オーナーが三度も変わったといういわく付きの事故物件であるが、アーサーの友人である刑事のつてで、格安で借りている。曰くについては、最初のオーナーが妾宅しょうたくにいる間に母子が心中しんじゅうし、その次のオーナーもほぼ同様、三番目のオーナーは一家心中未遂したというもので、「世田谷連続心中事件」と呼ばれている。刑事から相談を受けたアーサーが興味を持って調査したのは別の話。

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