柿本教授の手記3

 喰ひに関して その三


 七月二二日未明。凄まじい悲鳴に飛び起きる。鹿の声ではない。あれはイノシシの断末魔だ。別室の女の子達に鍵を閉めて朝まで出ないように命じ、廊下ではち合わせた西沢さんと、ライトを手に外へ出る。悲鳴が聞こえたのはキャンプエリアだ。現場に行くと人だかりができていた。

 あるテントのすぐそばに、大きなイノシシの死骸が転がっていた。まだ痙攣している。キャンパーの一人が西沢さんに文句を言ってきた。体格のいい西沢さんが、自然環境なんだからイノシシぐらいいる、ガタガタ言うな、と凄むと、客達がしん、とした。入園料も取らない施設の管理人などこんなものだ。

 しかし、生きているイノシシの頭を割るとは、クマ並みの猛獣だ。この地域にそんな動物はいないはずだった。

 夜が明けると、キャンパー達が一斉に去り始めた。私が大学と連絡を取っていると、スーツ姿の男がやって来て健吾を出せと怒鳴り散らした。西沢さんの父親の議員だった。誰かが電話したらしい。

 それからのやり取りにはうんざりだった。この公園にいくらかかってるかとか、地域おこしの目玉としての価値だとか、他県の人間が来なくなれば街が衰退するとか、そんなことを何時間もまくし立てた。

 西沢さんが『喰ひ』に関して孤立したのは、どう見てもこの父親が原因だった。

 どうせ猟友会にも手を回したのだろう。

 私はゼミ生の女の子達を車で大学まで送り、それから一人で公園に引き返した。

 西沢さんが誰もいない広い公園の真ん中で、ビールを飲んでいた。

彼を少しだけ理解した気がした。

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