追憶 ――高天原ヒカリ―― 2



ナミさんのライブが終わった後、私は自分の病室のベッドの上でぼーっとして


いました。


別に熱があるわけでもないのに体が火照って、ライブのことを思い出すと興奮の


残り香で自然と鳥肌が立ちました。


後にナミさんが正式にアイドルとしてデビューして、そのライブを観た人々は


口を揃えてこう言っていました。



【伊座敷ナミのライブは麻薬である】、と。



ライブが終わり余韻が冷めぬうちから、すぐにまた次のステージが見たくなる。


中毒性が高い麻薬のようであると。


実際、私もその通りでした。


伊座敷ナミというアイドルに魅せられ、すっかり身も心も虜になってしまったの


です。


(また……ナミさんのライブを観たいな……)


それは私が久々に願った、未来への欲望でした。


この世界は冷たくて私に居場所なんて与えてくれない。どうせ大人になる前に


死ぬんだろうし、だったら未来のことを考えたって結局は無駄にしかならない。


そんなふうに考えていた、擦れた子供の私に与えられた一筋の輝き。


その輝きは、またナミさんのライブを観るまでは死にたくないと私に思わせて


くれました。



コンコン。



――と、その時。


物思いに耽っていると、病室のドアをノックする音に気づきました。


時間的にお母さんが来たのかなと思い返事をしようとしましたが、それよりも


早く――


「やっほーヒカリちゃん!起きてるー!?」


勢いよくドアがスライドして開かれると、そこには私服に着替えたドヤ顔の


ナミお姉ちゃんがいました。


「よしよし起きてたね。帰る前に挨拶しておこうと思ってさ」


「ナミさん……」


「あはは、そんな堅苦しい呼び方しなくていいよ。アタシがカオ姉ちゃんって


呼んでるみたいにナミ姉ちゃんとかでいいからさ」


「う、うん……。ナミ…お姉ちゃん……」


私が照れながら言うと、ナミさん――ナミお姉ちゃんも照れ臭そうに「えへへ」と


笑いました。


「それでどうだった?アタシのライブ」


「うん……すごかった……。いっぱいキラキラしてて、まるで違う世界にいるみたい


で……」


私はお礼の代わりに精一杯の笑顔で言います。


「すっごく楽しかった!」


それを聞いたナミさんもぱぁーっと花を咲かせるように満面の笑みを浮かべると、


「良かった~!ヒカリちゃんがそう言ってくれてアタシも超嬉しいよ~~!!」


ベッドの上に身を乗り出して、私をぎゅ~っと抱きしめてくれました。


「私……またナミお姉ちゃんのライブを観たいな……」


「うん、いいよ。カオ姉ちゃんから今日のお客さんからの感想は上々だったって


聞いたし、またお願いねって頼まれたしね」


「ほ、本当!?」


「フっフっフっ~~。次もヒカリちゃんを楽しませて、アタシのライブ無しでは


生きていけない体にしてやるのだ~」


「……それならもうなってるかも……」


「ん?」


「私ね……アイドルにハマっちゃったかも……。というか……ナミお姉ちゃん


に……」


私がそう言うと、ナミお姉ちゃんは目を丸くしながら私を抱きしめていた腕を解き、


「じゃあ……ヒカリちゃんがアタシのファン第1号だ」


「そうなの?」


「うん。ライブ前にも言ったけど、アタシはまだデビューしてない修行中の身だから


ね。実は人前でライブをやるのも今日が初めてだったんだ」


驚きでした。


今思い出しても、初ライブであれだけ完成されたパフォーマンスが出来たなんて


信じられません。


「えへへ……。あれだけ大口叩いておきながら実は心臓バクバクだったんだよねぇ。


でもヒカリちゃんのおかげで自信がついた。アタシが信じてやってきたことは間違っ


てなかったんだって思えた。……ありがとうね、ヒカリちゃん」


そう言ってナミお姉ちゃんはさっきよりも強く私を抱きしめてきました。


「アタシ、もっともっと凄いアイドルになるね。ヒカリちゃんがあの人の


ファン第1号なんだぞって自慢できるくらい凄いアイドルに」


「じゃあ……約束して」


「うん、約束。私はもっと凄いアイドルになる。それとまたここでライブをする」


私達はお互いの小指を絡ませました。


『ゆ~びきりげんまん♪ 嘘ついたら針千本の~ます♪』






ナミお姉ちゃんと出会ってから、私の発作は起きないようになっていきました。


多分――ううん。きっとナミお姉ちゃんから元気を分けてもらえたおかげだと思い


ます。


ナミお姉ちゃんは約束通り、あの後も何度も病院でライブをしてくれて、ライブが


ない日も足繁く私の病室に遊びに来てくれました。






「このアイドル凄い……。まだ聞いたことがない名前の人だけど歌もダンスも


パフォーマンスも飛び抜けてる」


「おっ、その人の良さを見抜くなんてヒカリちゃんもアイドルってものを分かって


きたねぇ。アタシの推しの中でも特推しだよ、その人は」


病室のベッドの上でナミお姉ちゃんと一緒にうつ伏せで寝転がりながら、スマホで


アイドルの動画を見るのが私達の過ごし方でした。


「でもナミお姉ちゃんのほうが上手だよ」


「あはは、ありがと。ん~~!アタシも早く卒業してデビューしたいなぁ~~!」


そう言ってナミお姉ちゃんは体をぐるりと半回転させて仰向けに寝転び直すと、


聞いたことがないメロディーを口ずさみました。


「それって新曲?」


「なんとなく今思い浮かんでる音を並べてるだけだよ。ヒカリちゃんもやって


ごらん。楽しいよ」


「わ、私には無理だよ!ナミお姉ちゃんみたく作曲なんて出来ないし……」


「難しく考える必要はないって。歌いたい音とリズムをそのまま口ずさめばいいだけ


だから。じゃあアタシの後に続いて歌ってみよー!」


言われるまま私はナミお姉ちゃんのメロディーの後にたどたどしく歌い出します。


「おっ、いいねぇ~。なら次はこうだ♪」


そうやってしりとりのように、二人で交互に歌い続けました。


「良いじゃん良いじゃん。ヒカリちゃん、音楽の才能あるよ」


「えへへ。なんだかナミお姉ちゃん、音楽の先生みたい」


「音楽の先生かぁ~。もしアイドルを目指さなかったらそういう道もあったのか


なぁ~。教師を目指して音大に通うアタシ……いや、やっぱり想像つかないや」


「ナミお姉ちゃんは大学には行かないの?」


「うん。アイドル一本でやっていくって決めてるからね。それにアタシ、あんまり


頭よくないし」


「でも大学を卒業してないと、いざという時に就職活動で選べる選択肢が減るよ?」


「ヒ、ヒカリちゃんは難しい社会の仕組みをよく知ってるんだね……」


カオルさんから聞いた言葉をそのまま言ってみたのは内緒です。


「大丈夫、大丈夫。心配してくれなくても、アタシはアイドルとして絶対成功して


みせるんだから。というか、アイドル以外をやってるアタシなんて想像つかない


もの」


「ねぇ、ナミお姉ちゃんはどうしてアイドルになろうと思ったの?」


「ん~とね……。アタシの両親はどっちもアイドルオタク、いわゆるドルオタって


やつでね。娘が産まれたら絶対にアイドルにするって決めてたらしいんだ。


だからお母さんのお腹の中にいる頃からアイドルソングを聞かされてたらしいし、


産まれてからも絵本やアニメじゃなくてアイドルの写真集や動画を見せられて育った


わけ。


その甲斐あってか、アタシが初めて喋った言葉が【今日はアタシのライブに来てくれ


てありがとー!】だったって言ってたなぁ」


「それって洗脳……」


「あはは。もしくは英才教育ってやつだね」


ナミさんは笑ってみせると、次の瞬間には急に真面目な顔になって言葉を紡ぎます。


「確かにアタシがアイドルになりたいって思ったのはお父さんとお母さんの影響かも


しれない。でもね、アイドルになるんだって決めたのはアタシ。


小さかった頃にテレビの画面越しに見た、キラキラと輝いてたアイドル。


あの人達に憧れて、私も同じステージに立ちたいって思って、私自身がアイドルに


なるって決めたんだ。


だから私がアイドルになるのはお父さんとお母さんの夢ではあるけど、私の夢でも


あるの」


そこでナミお姉ちゃんはハッと我に返ると照れ笑いを浮かべて、


「ご、ごめん。ヒカリちゃんにはちょっと難しい話だったよね」


「ううん。なんとなく分かるよ。私だって……」


そこまで言いかけて……私はその先の言葉を呑み込みました。


その理由にナミお姉ちゃんは気づいていたのかもしれません。


頭の中に浮かんでいる言葉の中からどれを口に運ぶべきかを選ぶように、思考を


巡らせている顔を少しだけしてから私にこう言ってきました。


「ヒカリちゃんには夢はないの?」


「私は……夢を見たってどうせ大人まで生きられないから……あいたっ!」


まるで私がそう言うだろうと分かっていたかのように、抜群のタイミングで


ナミお姉ちゃんがおでこにデコピンをしてきした。


「弱気はダメだってカオ姉ちゃんにも言われてるでしょ。


それに最近は発作だって起きなくなって元気になってきたし、退院の許可だって


下りたじゃない」


「でも……」


「で・も・じゃ・な・い!」


「い、いひゃい!いひゃいよはみおねぇひやん!」


私のほっぽを摘まんで左右に引っ張るナミお姉ちゃんの両手を叩いてギブアップ宣言


します。


ナミお姉ちゃんは手を放すと、赤くなった頬をさする私にこう言ってきました。


「大丈夫。大丈夫だよ。ヒカリちゃんはちゃんと大人になれるし、夢だって叶えられ


る」


大丈夫。


それはナミお姉ちゃんの口癖でした。


不思議なものでその言葉を聞くと、どんなに辛くて苦しい時でも心が落ち着いて、


本当に大丈夫な気になってきます。


「だから教えて。ヒカリちゃんが大人になった時に叶えたい夢を」


「………………」


それでも私はそれを言葉にするのが怖くて……


「………アイドル………」


それでも我慢できなかったその言葉を口にしました。


「私も……アイドルになりたい……。あのキラキラ輝くステージで……ナミお姉ちゃ


んと一緒に歌って、踊って、輝きたいっっ!!」


その時、私は初めて夢みた未来の自分を人に話しました。


あの日――私は友達が欲しいと望み、両親を困らせた。


私が何かを望めば迷惑になる。だから望んではいけないんだと自分にずっと


言い聞かせ続けてきた。


暗くて冷たい世界の中で。希望を殺して出来上がった絶望をずっと抱えながら。


――でも違ったんです。


世界が冷たいのではなくて、私がそういう世界にしていたんです。


自分の夢や希望を自分自身で凍らせて、それが決して解けて表に出ていかないように


自らも一緒に抱え込んだまま凍らせて……。


でも、そんな必要はないんだってナミお姉ちゃんが教えてくれたんです。


私みたいないつ死ぬかも分からない人間でも夢を見てもいいんだって。


夢を見ることも。語ることだって。望むことだって。怖がる必要なんてないんだって


教えてくれたんです。


「うん……。よく言えたね」


勇気を振り絞った私をナミお姉ちゃんは優しく抱きしめて、何度も頭を撫でて褒めて


くれました。


「じゃあ今度はアタシからヒカリちゃんに約束してもらうね。


絶対アイドルになって、同じステージでアタシと一緒に輝くっていう夢を叶えて。


約束できる?」


「う…ん……うん……!約束する……!私……絶対にナミお姉ちゃんみたいな凄い


アイドルになってみせるからぁ……!!」


私を抱きしめてくれているナミお姉ちゃんはぽかぽかのお日様みたいに暖かくて、


凍りついていた私の冷たい世界を光で照らして全て解かしてくれました。


氷が解けた世界は涙となってずっとずっと私の中から溢れ出し――


私が泣き疲れて眠ってしまうまで、止まることはありませんでした。



【続く】

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