行き過ぎ!権利の主張は、無意味

白鷺(楓賢)

本編

誰にでも「権利」があります。生まれながらにして与えられたものもあれば、社会で暮らしていく中で手に入れた権利もあります。自分の権利を守るために声を上げることはとても大切なことです。しかし、時には権利の主張が行き過ぎている人たちを目にすることがあります。そのような人たちは、自分の権利を守るという名目で他人を攻撃したり、物事を一方的に捉えたりしていることが少なくありません。彼らは、権利を正当化しているつもりかもしれませんが、結果的に自分勝手で偏った考えに陥ってしまっているのです。


まず、私たち全員に平等に与えられているものは「法律」と「生きる権利」です。これを基本にして、すべての人が平等であることをしっかりと理解する必要があります。生きる権利は、誰にでもあるもので、それを侵害されることは許されません。だからこそ、差別や偏見で誰かの権利を踏みにじることは、決してあってはならないのです。


しかし、「生きる権利」は平等であっても、どう生きるかはそれぞれの人の自由であり、また個人の責任でもあります。残念ながら、どんな生き方が良いか、どのようにすれば幸せに生きられるかということは誰も保証してくれません。強者も弱者も、どう生きるかは自分次第なのです。そして、「良い生き方」が何であるかも、明確に定義することはできません。なぜなら、どんな生き方が良いかは人それぞれだからです。


しかし、一つ確かなことは、悪事を働く人間が強者にも弱者にも存在するということです。弱者であるからといって何をしても良いわけではありません。例えば、ギャンブルに全財産を注ぎ込み、借金を重ねた挙句、何もせずにただ権利を主張し続けるだけでは、決して良い生活は手に入りません。いくら権利が保証されていても、自分が努力しなければ何も変わらないのです。


頑張り方は人それぞれです。人にはそれぞれの状況があり、全ての人が同じように頑張ることはできません。それでも、頑張っている人は、陰でたくさんの努力を重ねています。彼らは文句や不平を言う時間さえ惜しみ、自分の目標に向かって全力で取り組んでいます。文句を言っても、何も解決しないことを彼らはよく知っているのです。


私自身も、許せないと感じる人がいます。それは間違いありません。時には「これが許せない!」とハッキリ言うこともあります。しかし、私はその感情に執着して、誰かを傷つけようとは思いません。自分の意識を表現するだけであり、他者を攻撃することはしないと決めています。


一方、最近のSNSでは、他人を攻撃するような過剰な権利の主張が目立つように感じます。「あいつはどうだ」「こいつはこうだ」と陰湿な発言が飛び交い、「私はこんなに不当な扱いを受けている」と主張する人が増えています。もちろん、自分の意見を表明することは重要です。しかし、その意見が他者を攻撃することを目的としているのであれば、それは行き過ぎた主張です。


発信の意図はあくまで自分の考えや意識を表現することであり、他者にもそれぞれの考えや意識があることを理解し、尊重することが大切です。自分の権利を守りながらも、相手の権利を尊重し合う社会こそ、真の平等が実現できる社会だと思います。

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