二人目、もしくは二匹目


 夜、ピンポーンとインターホンが鳴り、宗教勧誘かと身構えるも、扉の前に立っていたのは部長だった。


「あれ?インターホンを使うなんて珍しいですね」


 珍しいというか、初めてだと思う。それにマスクにサングラスなんてしてるものだから、最初は誰か分からなかった。


「というか、なんか部長、肌白くなりました? 確かに最近暑いですけど、ちょっとくらい外出たほうがいいですよ」

「弘明くんに言われたくないよ! わたし、幽霊部員でフィールドワークにも来なくなった弘明くんの倍は外に出てる自信あるから!」

「そんな急にキレないでくださいよ」


 それは思わずホルモンバランスの乱れを疑ってしまうほどの沸点の低さだった。


「ああごめん。弘明くんがわざとなんじゃないかってくらい的確に今のわたしの地雷を踏み抜いてきたからつい……。あのね弘明くん。ちょっと見てほしいものがあって……」


 部長は、マスクとサングラスを外した。


 サングラスに隠れていた部長の目は、まるで血のように赤かった。

 

 部長は口を開いて、指で押し広げる。それは初めて部長がここに来た時、アカメにしたのと同じように。そしてその時と同じように、部長の口には犬歯の位置に立派な牙が2つ生えていた。


 経緯はわからないが、どうやら部長は吸血鬼になってしまったらしい。


「とりあえず、どうしちゃったんですか?」


 家にあげた部長に、ぼくはそんなふんわりとした質問を投げかける。


「昼、外に出たらなんだか日差しがすごいきつい感じがして、体がダルくなって、倒れそうになったから家に引き返したの。それで鏡を見たらこうなってて。体の怠さとか、顔の熱さとかが消えなくてしばらくくベットで寝込んでたんだけど、日が暮れたから報告も兼ねてこっちに来たって感じ」


 症状からいうと日射病のようなものだろうか。


「思ったより日光に当たった際の症状が軽めでよかったですね」

「うん。外出たら体が燃え上がって死んじゃいました、みたいな事態もワンチャンあったからねえ」


部長はぶるりと身震いした。


「でもちょっと日光に当たるだけでも気分が悪くなるんだったら、学校始まったらどうしよう? 日焼け止めとか効果あるのかなぁ」


部長はこんな緊急事態にも関わらず、しっかりと人差し指を頬に押し付けてかわいこぶりに余念がなかった。 


「ぼくには吸血鬼になっても夜間学校もあるから大丈夫とか適当なこと言ってたじゃないですか」

「……もう、弘明くんはわたしをいじめてそんなに楽しいのかな?」


 部長は口を尖らせ、じっとりとした目で睨んだ。正直この上なく愉快爽快である 。が、さすがに本気で夜間学校に行けと思っているわけではない。


「吸血鬼になった心当たりは?」

「特にアカメちゃんに噛まれたって覚えはないけど、話によっては吸血鬼に血を与えられることで吸血鬼になるってパターンもあるから、わたしはそっちかもねー」

「飲んだ覚えがあるんですか?」

「ん―実はあるんだよねぇ」

「まあ、部長なら興味本位で飲むくらいは普通にしそうですもんね」


 アカメの血なんてむしろ鼻息を荒くして喜々として飲みそうだ。 


「そんな向こう見ずなことしないよ失礼な!」


 部長はさも心外だというように頬をふくらませた。公園に落ちていた少女を連れ去ってきた人間のセリフとはとても思えない。


「ほら、この間アカメちゃんが麦茶出してくれてたじゃない?」

「あー、ありましたね。そんなこと」


 こんなに成長して……と目頭が熱くなったのでよく覚えている。


「あの麦茶、ちょっとだけ鉄臭かった気がしてさ。でもアカメちゃんが入れてくれたお茶だし、指摘するのもかわいそうかなーと思ってそのまま飲んだんだけど……」


 ぼくの舌は特になにも感じなかったが、鉄臭かったと言われると急にそんな気もしてくる。


「でも毎日アカメには気をかけてますけど、血を垂らしたような傷なんてどこにも……」

「もー! 弘明くんはそれでもオカルト部なの? 吸血鬼といえば、治癒能力でしょ」

「まあ幽霊部員ですし」


 そうか。吸血鬼が特定の殺し方でしか死なない不死と言われる所以が、高い治癒能力だ。それがアカメにもあるのかもしれない。その仮説も怪力や魔眼を見たあとだと実に説得力があった。


「さすがに治癒能力を確かめるのは良心が痛むから無理だよね?」


 ぼくは頷いた。それは要するに、アカメの肌に傷をつけなければならないということで。とてもじゃないができる気がしない。


「とにかく、この間の麦茶に血が入ってたんじゃないかなーって」


 確かに、アカメが麦茶を入れてくれるなんて思いもしなかったので、そういう目的があったと言われてもおかしくはない。


ん……?


「ちょっと待ってください。ぼくもアカメに持ってきてもらった麦茶、飲んだんですけども」


つまり、ぼくも吸血鬼になってしまうのだろうか。


「うーん。でも弘明くんの肌は青白というより、普通に引きこもりの肌だよね。ちょっとあーんってしてみて?」


言われた通り口を開けると、部長が至近距離でぼくの口を覗き込んだ。


「うーん、やっぱり牙も生えてないみたい」


 ぼくはほっと息をついた。


「なんでなんだろう。一説によると、処女と童貞しか吸血鬼にはならないって話もあるけど……」


 部長は流し目でこちらを見てきた。


「童貞ですがなにか?」


 すこしキレ気味に答えれば、「だよねー」と苦笑いされた。


 というか、その説を否定せずぼくに聞いてきたということは、部長もまた、処女ということになるのだろうか? 「気になるのー?」とか言われてもウザいので聞かないけど。


「うーん適正があるとか、弘明くんのコップにだけ血が入ってなかったとか、そもそも麦茶に血が入ってたっていう私の予想が間違いなのかも」


部長は頬に人差し指を添え、眉間にシワを寄せた。


「なあ、アカメ、麦茶に血、入れたのか?」


 ぼくはちゅぱちゅぱとおちゃぶりを吸っている件の容疑者に目を向けた。こういうのは、本人に直接確かめるのが一番だ。


 アカメは口からおしゃぶりを外し、すーっとぼくから目を逸す。


「あぁ……」


 と、か細い声で答えた。


「ぼくのコップにもか?」


 アカメはこくりと頷いた。


「マジかー」


 つまり、ぼくも血の入った麦茶を飲んでいることになる。


「うぅ……」


 アカメは、眉を八の字にしてぼくの裾を引っ張る。ごめんなさい、といったところだろうか。


 部長が「正直に言えてえらいねえ」と両手でアカメの頭をワシャワシャ撫でた。


「ほら弘明くんもアカメちゃんのこと許してあげなよ。謝ってるじゃない」


 部長はぼくを睨んで、アカメをかばうように胸に引き寄せた。


 この人、自分が吸血鬼にされた被害者って自覚あるんだろうか。いや、学校のことさえなければむしろ吸血鬼になれて喜んでそうだもんなあ。


「もしかしたらアカメちゃん的に、吸血鬼の仲間を増やすことは友達をつくる、くらいの感覚だったのかもしれないし」


 友達づくりと同じ感覚で人間をやめさせらるのか。改めてアカメは人ではないんだなと再認識した。能力だけでなく、その価値観も。


「まあ、結果的にぼくは吸血鬼にならなかったってことですね」

「これからなるのかもよ?」

「ああ、確かに」


その可能性は否めない。吸血鬼になることでどんな影響が出るかわからないから、今のうちからバイトを減らしておくことにしよう。……金欠が加速する。


「そのー、吸血鬼になる前に童貞を捨てる、という手もあるけど」

「は?」


 なに言ってるんだこいつ、と思わずマジトーンの「は?」が出てしまった。


「ほら、童貞は吸血鬼になるって、逆をいえば、童貞じゃなくなれば、吸血鬼にならないかもしれないってことでしょ?でも君は未成年だからそういうお店も使えないわけだし?元はといえば、アカメちゃんを連れてきたわたしのせいでもあるし……」


 部長はもじもじと身を捩った。


「いや遠慮します。そんな不確かな情報で好きでもない人と合体したくないんで。部長と合体するくらいなら吸血鬼になったほうがマシですし」


「弘明くんさ、わたしが吸血鬼になったってことは、多分怪力もあるってことなんだけど、よく喧嘩売れるね」


 そういえばそうだった。


「ぼくとしては怪力より、催眠の方が恐怖の対象ですけどね」

「ああ、そっちも使えるとしたら楽しそうだねー」


 それはとても無邪気な笑いだったが、おそらく頭の中は能力をどう悪用するかと性格の悪い思考が占めていることだろう。

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