暗躍
一五六〇年 永禄三年 二月頃 近江国観音寺城(現滋賀県近江八幡市安土町)
「お主が武田孫犬丸か。世間ではあくび様だの無能などと呼ばれている」
「え、ええ、まあ。お初にお目にかかります、六角
俺の目の前に上座に座る頭の毛が綺麗に剃られている男―――六角家当主の六角義賢に頭を下げる。俺を囲むように他に三人の男が座っている。
一人は厳格な表情をする義賢よりも一回り年上の老人、その横に座るのは三人の中で一番若い人物、最後の一人はどこか表情の暗い人。
「そうだな、まずは自己紹介といこう」
義賢に促されて、この中で一番年齢が高いであろう老人が挨拶をする。
「蒲生下野守定秀と申す」
続くように、隣に座る見知った男が挨拶をする。
「お久しぶりでございます、蒲生左衛門大夫賢秀でございます」
賢秀とは例の一件以降、一年に一回ほど会っていたから顔見知りである。軽く会釈をされたので、俺も返した。
「平井殿、平井殿」
「あ、ああ、某か。平井加賀守定武と申します。はぁ〜〜〜」
見るからにやつれていてため息ばかりつく人だ。服装もヨレヨレで暗い表情からは疲れが見える。
「すまないな、平井は色々とあってな・・・」
俺が呼ばれた理由と大きく関係があるな。でないと俺のような”あくび様”を百万石の領主が呼び寄せるはずがない。
「それでだ。本題に入ろう。お主が昨年の三月に突然送ってきたあの書状の内容、あれが現実となった。どういう訳かを聞かせてもらおうではないか」
「???何のことでしょうか?書状とは?」
「とぼけても無駄だ。お主が土御門家を通じて送ってきたこと、全てを調べた。だから言い逃れをしても意味がない」
・・・そう言えば六角家の支配地域には、あの甲賀も入っていたな。忍者といえば伊賀と甲賀と言われるぐらい、忍が多くいる場所。諜報活動は得意としているのだろうな。
俺が送った書状の内容。それは、六角家の予知だった。
六角家の現状と今後はかなり危なくなっている。
まず、現状としては周りに敵が多く、内部も不穏な空気がある。俺が転生してきた時の若狭武田家と同じだ。
まず、六角家は北に浅井家、西に三好家、東に斎藤(一色)家、そして南に伊勢の豪族衆。東と南は一旦置いておいて、北と西が主な敵となっている。
三好はもちろん、これまでの歴史の通りだ。
そして浅井家。ここは元々は幕府の中で四職の地位にいた京極家の家臣だった、豪族の家だ。下剋上を果たして、今では北近江を支配する戦国大名となっている。
浅井家と六角家には大きな国力差があり、表向きは浅井家は六角家に従属しているため明確な対立は今まではあまり無かった。だけれど浅井家の六角家への従属は渋々であり、本当は不満を持っているのだ。
そしてそれが現在の問題、そして未来の六角家の没落に影響する。
今現在、浅井家は六角家に明確な敵対化をした。昨年、浅井家の次期当主であり、後々有名になる浅井賢政(長政)が六角義賢の養女となった平井家の娘と離別(離婚)した。
昨年の正月に元服して平井定武の娘を妻にしたが、四月には六角家へ送り返したのだ。
六角家から妻を貰うということは両家にとって、上下関係ができたことになった。それをよしとしなかった浅井家がすぐに送り返したのだ。
もちろん六角家は激怒。着々と戦の準備をしており、すでに小さな小競り合いが起きている。いつでも大きな戦いが始まるだろう。
さて、今後―――未来について。
すでに現在、六角家の中で裏切り者が出ている。肥田城の高野瀬秀隆という人物で、六角家は八月頃にこの城を攻めるが、落とせないまま援軍に駆けつけた浅井家と合戦を行う。
この戦いは”野良田の戦い”と呼ばれて、六角家の半分の兵数の浅井家が勝利する。
負けた六角家は、これまで築いてきた畿内有力大名という地位が崩壊して下り傾向となる。
この戦後、今度は六角家の内部で対立が起きる。
実は六角義賢は現在、当主の座を息子の六角義治に譲っている。この義治は・・・正直無能という評価が合っていると思う。
六角義賢は名将とまではいかなくとも、そこそこ有能な当主だと思う。将軍を京都へと帰したり、三好に一歩も引かない姿勢を見せたり。六角定頼(義賢の父)と義賢が当主の時代が六角家の全盛期だろう。
そして六角義治。彼は父が未だに実権を握っていることに不満があり、義賢が信頼していた家臣を毛嫌いしていた。
そして今から三年後、重臣だった後藤家の当主とその息子を誅殺している。これがお家騒動になり、義治と家臣たちの対立が表面化することになる。
後に”観音寺崩れ”と呼ばれるこの騒動が決定打となり、六角家は五年後には大名として存在しなくなる。
前前世の時、一連の没落は結構印象に残っていた。一つの戦いとお家騒動で僅か八年で滅びてしまう。これが戦国時代なのだと感心していた。
だが今、俺は確かに戦国時代にいる。
少しでも間違えれば簡単に命を落とす。
「孫犬丸よ、それであの予知の書かれた書状は何だ?今のところ全て当たっている。浅井の小倅の離別、高野瀬の裏切り・・・。どういうことだ?」
「それは友人の陰陽師が見た夢にございます」
「お主が関与はしていないのか。だとしても、今後はどうなるんだ?この書状には何も書かれていないが」
「そうですね、端的に言うと六角は滅びます」
俺の言葉に義賢は睨みつけてくる。だが本当のことなので、俺は睨み返した。
「浅井家との戦に敗れて、お家騒動が起き、新興勢力に滅ぼされます。八年ほどで」
「そんな短期間でこの六角家が?フッ、笑わせるな」
「いいえ、紛れもない事実です。何より、これまでの予知は当たっていますよね?」
ぐうの音も出ない義賢。
しばらく俺と見つめ合った後、先に口を開いた。
「お主の言うことが正しいとして聞こう。六角家はどうすれば滅びないいのだ?」
俺に向けた問い、少し押し黙る。
俺が何故六角家に予知の手紙を送ったのか。それはもちろん、俺自身の目標―――天下統一のためだ。
元々は天下統一など目指して無く、若狭の安寧だけを考えていた。でも神様との約束によって方針が変わった。
俺は全力で天下を取りに行く。
いつかは浅井も朝倉も三好も・・・全ての大名を倒さなければならない。もちろん六角家も。
でも今は、六角家は大事な味方だ。百万石の大大名はこれから大きな力となり、こんなところで没落の道に入ってしまったら三好やその他周囲の力が強まるだけ。
俺にとったら良いことがない。
だから正史を変えてでも、俺は六角家を救いたい。俺自身のために。
「このまま浅井と戦になっても、大きな痛手を負うだけです。できればですが、浅井との戦を避けてください」
「我が家臣が赤っ恥をかいたというのに、ただ何もするなだと?貴様、六角家をそんな軽いものだと思うなよ」
「ええ、分かっております。六角家が損をするようなことは決して行いません」
疑うような目で全員が俺のことを見てくる。
「どうするというのだ?」
「そうですね、二ヶ月ほどお待ち下さい。そうしたら勝手に向こうから和睦の―――しかも六角家に有利な条件での申し入れが来ますよ」
「それは本当なのか?」
「ええ、言う通りに動いていただけたなら」
「大殿、こんな童を信用なさるのですか」
「父上!」
俺を信用していない蒲生定秀が睨みつけてくる。賢秀は俺を庇おうとするが、その声は少し小さい。
「下野守殿は何が信用できないのですか?」
「全てだ、全て!”あくび様”ごときが、六角家を愚弄した挙げ句に首を突っ込むな!大人しく若狭で暮らしてればいい!我々の問題は我々で解決する、そうですよね大殿?」
自分よりも一回り上の老臣の言葉に考え込む義賢。あともう一押しだと思い、俺は仕掛けた。
「下野守殿よりかは信頼できます」
「何!?!?!」
「だってそうじゃないですか?浅井家の不穏な動きを、甲賀を配下に持っていながら気付けなかった。そうではないですか?」
「貴様・・・」
凄い形相になる定秀だが、それ以上は何も言わない。
蒲生家と三雲家と呼ばれる家に、主に甲賀の忍は仕えている。
「孫犬丸よ、そこまで定秀を煽らないでやれ。定秀も、それ以上は何も言うな」
蒲生定秀は決して短慮な武将ではない、と分かっているからこそ煽った。数年前の粟屋勝長や祖父の時みたいに。
「孫犬丸、お前がただの童ではないのは分かった。だがまだ全面的な信頼はできない」
「ええ、分かっております」
「だから猶予をやる。こちらはこちらで戦いの準備をする。だから、戦が起きる前に全てを収めてみろ。ある程度の協力はしてやる」
その返答が聞きたかった。
「ええ、必ずやり遂げてみせます!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます