第32話 ケチと欲張り


 マーチス左大臣というのは、まあ、ぶっちゃけていうとケチなのだ。


「ケチて……」


 ハルセムが頭を抱える。位人臣を極めていた人物にケチはないだろう、と。


「けなしてるわけじゃないんですよ? 国っていうか、大きな組織を動かすのはこういう人の方が絶対に良いと思いますし」


 ケチって言い方が悪いなら、旧守の人材ね。


「そっちで言ってやれよう……」


 や、ケチの方がわかりやすいんだもん。


 彼は人や物を惜しむのだ。

 だから失わないようにする。


 英傑と呼ばれたダンブリンの人望や識見を惜しんだから、政界で潰されないよう辺境に送った。

 アイザックやブラインなども同じ。


 誠実すぎたり優秀すぎたり、組織では生きにくい人たちだったから。

 でも辞めさせたりするのはもったいない。

 だからコロナドを守らせた。


 有象無象に守らせて損害を出すのももったいなかったから。


「たしかに貧乏性めいて聞こえるが……」

「マーチス大臣ってケチだから、戦争が大嫌いなんですよ。だって人が死んだり物が壊れたらもったいないでしょう?」


「……それは」

「反対に、欲張りな人ってなんとしても利益を得ようとしますよね。他人を蹴落としてでも、あるいは侵略してでも」


「……降参だユイナール。もういじめないでくれたまえ。反省しているから」


 両手を挙げてハルセムが許しを請う。

 私はにっこりと笑った。


 欲張りなハルセムはメイファスを利用して自分の権勢を高めようとした。

 その結果、いろんなことがおかしくなってしまった。


 ケチなマーチスは、その混乱を収めるために蓄えてきたすべての権力と人脈と地位を使い尽くしたわけだ。


 いまは郊外で隠居してるんだってさ。

 国王代理なんて陰で呼ばれてた人物が。三十年以上にわたってこの国を大過なく運営してきた御仁が。


 自分にはまったく責任のない部分の始末をつけるため、すべての公権力をなげうったのである。


 かつては政敵だったけど今は尊敬してるよーん、なんて一言で済ませて良い問題ではない。


 だから私は、美談で終わらせようとする新しい左大臣を、ちくちくと皮肉でいじめたわけだ。

 いまさらハルセムを責めたところで始まらないってのも、事実だったりするんだけどね。


「……本当にきみは甘くないな。虫も殺さないような顔をしているのに。マーチス卿の言っていたとおりだ」

「どうせ悪口を吹き込まれたんでしょう?」


「ちゃんと政治の話ができる愛すべき俗物聖女、だとな」

「褒めるのかけなすのか、どっちかにしてほしいですね」


 私はわだかまりを解く笑みを浮かべた。

 親愛なる狸オヤジが引退する原因となったハルセムに対して、けっこう複雑な思いだったんですよ。これでも。


「とはいえ、マーチス卿の手腕をもってしてもゼロ地点まで引き戻すのが限界だった。貧民と平民の間に立ち塞がってしまった高く分厚い壁は、容易に取り除けない」

「聖都に活気がない理由は、それですか」


 ふむと頬に手を当てる。

 やっぱりこういう状況になってたかー。





 貧民たちに対する過度な支援政策は打ち切られた。

 増税案も破棄された。

 じゃあそれで万事解決するかって話である。


 んなわきゃーない。

 一度入った亀裂が元に戻るはずがないのだ。


 簡単なたとえをだすと、戦争をやっていた国同士が終戦条約にサインしたとして、家族を失った者たちがすぐに敵国人と仲良くできるかってこと。

 無理に決まっている。

 まして侵略された側だったら、とくに。


 まあオルライトは世界に冠たる強国で、侵略したことはあってもされたことはないから、私も実感としては判らないんだけどね。


 ともあれ、平民からみたら貧民ってのは働かずに食える「お貧民様」になってしまったわけだ。そしてそれを攻撃しても良いって大義名分を得ちゃった。


 恨みがあり、大義もある。

 そりゃ攻撃するでしょうよ。


 で、貧民たちだって攻撃されたら反撃する。

 徒党を組んでね。


 こうして聖都イングウェイの治安は悪化の一途をたどっているわけだ。


 治安維持部隊である赤の軍が市内巡回を強化しているものの、ギスギスとした空気は悪くなる一方で、諸国を旅するキャラバンなんかも立ち寄らなくなってきている、と。


「ハルセム閣下は、この状況をどう改善するおつもりですか?」

「いちばん良いのは貧民たちが働いて金銭を得ることだ」


 腕を組んだままハルセムが応えた。

 それが正解だろうと私も思う。


 貧民は働かずに食える身分になったから反感を買う。

 これを是正するには、仕事もなく食えなくて死んでいくしかない哀れな人々に戻すか、働いて金銭を得て生活している人々になってもらう、の二択しかない。


 ほっといたら前者になってしまうのは火を見るより明らか。

 国からの支援もなく、篤志家たちの心は離れ、平民たちからは蛇蝎のように嫌われているから。

 つまり浮かぶ瀬がないってこと。


 そしたら貧民たちはどう考えると思う?

 世を儚んで集団自殺なんかしないよ?


 失う物なんかなにもない人たちだもん。

 死なばもろともで平民たちに襲いかかって財貨を奪うさ。


 だから、仕事を与えてやり、ちゃんと生活させるってのが一番なんだ。


「判ってはいるんだけどな」

「保留つきです? そのこころは?」


「雇ってやる金がないんだよ。ユイナール」

「えええぇぇぇ……」


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