第8話 滑りの達人


 冷蔵庫から出ると、またまた警鐘が鳴りひびいた。


「昨日の今日で?」

「さすがに二日連続は珍しいな。すぐに出撃だ。ブライン」

「あいよ」


 アイザックに崩れた敬礼をしてブラインが走り去っていく。

 のどかだった駐屯地が、にわかにぴりりとした緊張感に包まれた。


 あ、この瞬間好きだな。私。


 ものの数分で騎士たちが整列する。

 精悍な戦人の顔で。


「ヘルハウンド八体確認! 高速で接近中!」


 斥候役の騎士が告げた。

 なにしろここには十五人の騎士しかいないため、偵察すら自分たちでやらないといけないのである。


「八匹か。ジルベス、ノルド、フラン、ブゼガーの四名で対応する」


 アイザックに名を呼ばれた四人の騎士が一歩前へと進み出た。

 いずれも筋骨隆々。

 まさに無双の勇者って感じである。


「ユイナール嬢。せっかくだからやつらに声をかけてくれないか?」


 そして無茶振りされた。


「私はもう聖女じゃないですよ。御利益なんかありませんって」


 ぱたぱたと両手を振ってみせる。


 ただの魔法使いです。

 しかも宮廷魔術師とか、そういうすごいレベルじゃぜんぜんない。なにしろ魔術学校アカデミーにすら通ってないしね。


 聖女ってことで魔術協会アカデミーから特例として魔法使いの称号をもらってるだけで、ちゃんと卒業してないって意味では、モグリの無資格魔法使いと一緒なんだ。


 ね? 御利益なんかなさそうでしょ?


「そうかな? では決を採ってみよう。ユイナール嬢の激励に御利益があると思う人!」


 アイザックが声を張り上げると、みんなさっと右手を挙げた。


「えええぇぇぇ……」


 前戦にいる四人とフリックまで。

 お前らなぁ……。


「最も民主的な方法で、ユイナール嬢が激励することに決まったぞ」

「数の暴力だぁ。いつだって少数派の意見は黙殺されるんだぁ」


 私は大げさに嘆いてみせなから、少し前に出る。

 本隊と前戦の中間地点くらいかな。

 斜め後方に付き従うのはフリックだ。


 激励なんて久しぶり。ちょっと緊張するよね。

 んん、と、喉の調子を確かめる。


「勇者たちよ!」


 高々と両手を振り上げた。

 右手に持ってるのは魔術師の杖で、聖女の錫杖じゃないから、微妙にかっこ悪いけどね。


「祖国の興廃はかかってこの一戦にあります! どうか勝ってください! そして」


 一度言葉を切る。

 溜めってやつだ。


「そして、必ず生き残ってください!!」

『御心のままに!!』


 一斉に騎士たちが唱和する。

 耳が痛くなるくらいの大音声だ。


「神の恩寵を! 勇者たちに!!」


 高々と右手を振り上げる。

 発動する魔法は照明ライト。持続時間を犠牲にして光量大きくしているから、午前の日差しの中でも杖が光っているのがはっきりと判るだろう。


『うぉぉぉぉぉぉ!!!』


 騎士たちが喊声を上げたとき、森の中から巨大な魔獣が飛び出す。

 ヘルハウンドだ。

 真っ黒な身体と赤く燃える瞳。体長はゆうに二メートルはある。


「戦闘開始!」


 アイザックが叫ぶと同時に、四人の騎士が踏み込んだ。

 唸りをあげる大剣と豪槍。

 二体が斬り伏せられ、二体が貫かれる。


 ほとんど一瞬の出来事だ。

 しかしそれで戦闘は終わらない。


 さらに四体のヘルハウンドが森から飛び出し、攻撃をおこなった直後で体勢の崩れている騎士に襲いかかった。

 二体。


 第二陣の四体のうち、騎士に向かったのは二体だけ。残りの二体は一直線に私へと向かってくる。

 一番弱いのが私だと見極めたか。

 さすがはモンスターの嗅覚だ。


「フリック。右のをお願い」

「判りました」


 言った瞬間、フリックの姿はヘルハウンドの目の前にあった。

 左右の手に現れる短刀。


「不細工な顔でお嬢様に近づくな」


 言葉とともに逆手にもった短刀が閃く。

 どさりと魔獣の首が落ちた。

 お見事。


 そして私は、もう一体の方に杖を向ける。


永遠の滑りエターナルスリップ


 一瞬だけヘルハウンドの足が光り、すってーんと見事に転んだ。

 こういう風に言っちゃうと愉快な感じなんだけど、全力疾走しているときに転倒なんかしたら、そりゃもう大惨事だ。


 ギャンって悲鳴としたたかに顔面と背中を地面に打ち付けたヘルハウンドが立ち上がろうともがく。

 なかなかのタフネスだけど無駄。


「もうあなたの足は、大地を踏みしめることはできない」


 四つの足にかかっている摩擦係数をゼロにしたからだ。簡単にいうと、滑って踏ん張れないのである。

 そこに走り込んだフリックが、すぱっと首を落としてとどめを刺す。


 前戦の騎士たちに視線を転じれば、あちらも決着したようだ。

 もちろん騎士たちの圧勝である。


「見事だな。ユイナール嬢。今のは魔法か?」

「はい。私のオリジナルで摩擦の力を上げたり下げたりする魔法です」


 効果は見ての通り、相手を転ばせたりできるのだと説明する。


「それは、なんとも可愛らしい魔法だな」


 くすりと笑うアイザック。


「攻撃魔法とか、あんまり使えないんですよ」


 私も笑みを返した。

 そういうことにしておいてください。


「可愛くなんかないからね! 誤魔化されないから!」


 ブラインが走ってきた。

 しまった。こいつがいたか。


「団長ぜんぜん判ってない! 摩擦係数を操れるってのがどういうことか!」


 興奮してるし。

 どうしよう。ここは逃げるか。


「ええー、ユイナ、わかんなーい」


 しなを作ってみせる。

 空気が漂白された。

 すっごい冷たい目を向けられる。


 フリックなんか、すーっと目をそらしてるよ。


 滑ったー!

 摩擦の魔法だけに!

 

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