閑話 聖都は大騒ぎ


 聖女が出現した。


 その事実について喜んだものは少なくとも王国政府上層部にはいない。

 すでにオルライト王国には聖女を必要としない政治体制が確立されていたからである。


 聖女というのは象徴で充分。

 どんな病でもたちどころに治してしまう奇跡とか、失った手足すら再生してしまう奇跡とか、そういうものによって人心を掌握するという時代ではないのだ。


 王国がニセモノの聖女を作り上げてから三百年以上が経過している。

 人々はとんでもない奇跡に頼るのではなく、たとえば病気になりにくい生活習慣だったり、怪我をしにくい作業方法だったりを模索してきた。

 もちろん医療技術の研究も同様である。


 聖女にはかつてのような巨大な力はない。

 かすり傷を癒やしたり、病気の治りを早めたりできる程度で、それこそ伝説に描かれる聖女と比較したら子供だましのようなものだ。


 だからこそ、彼女たちは何かを主張するということがなかったのである。ニセモノだとばれないためになるべく表舞台には上がらなかった、という事情もあるが。


「みんなが笑って暮らせる世界を作りたいんです」


 しかし、聖女メイファスは違う。

 堂々と所信を表明した。

 さすがは本物、と、左大臣マーチスは皮肉交じりに考えたものである。


 金の髪と青い瞳。

 神々しいまでの美少女ぶりは、この娘が本当に貧民街で生まれたのかと疑ってしまうほどだ。


「お見事なお覚悟! このハルセム、感服いたしましたぞ!」


 すかさず追従したのは参議のハルセムである。

 次官職のひとりで、大臣まであと階ひとつかふたつくらいという出世頭だ。

 本物の聖女を持ち上げ、その後見として一気に政府中枢に食い込もうと野心に瞳を燃やしている。


 元気なことだとマーチスあたりは思ってしまうが、これは位人臣を極めているからこその余裕だろう。


 ともあれ、聖女の出現は王国政府に混乱をもたらそうとしている。


 では国民はどうかといえば、まったく変化がない。

 なにしろ聖女というのはずっとニセモノだったなど、誰も知らないからだ。


 聖女様が代替わりしたそうだ。今回はずいぶん若くして代わったんだな。くらいの認識である。

 本物が登場したからだ、なんて想像もつかないだろう。




「聖女様から、貧民街に暮らすものたちに職と住まいを与えて欲しいと陛下に言上があったそうです」

「そうきたかー」


 補佐官の報告にマーチスは頭を抱えた。


 そういう案件をぶつけられたら、国王は善処するとしか答えられない。

 王様が聖女の願いを退けるというのは体裁が悪すぎるし、願いそのものも人の道に立ったものだからである。


「聖女様は、王国政府が意地悪だから貧民が生まれてると思ってるんでしょうね」


 補佐官が肩をすくめる。

 貧民対策など何百年も前から講じられている。しかしいまだ解決には至っていない難しい案件なのだ。


 聖都と呼ばれるこの街にスラムがあることを、王国の幹部が喜んでいるとでも思っているのだろうか。


「世の中というのはゼロサムゲームだ。勝者が生まれれば必ず敗者が生まれる。しかも勝者よりずっと多くの数のな」

「はい」

「だからこそ敗者復活戦の機会を与えてきた。何度もね」


 ふうと大臣がため息をついた。

 就学支援や就労支援。一時的な住居提供など、スラムに住む人々を救済するための政策は様々に執られているし、かなりの額の予算も注ぎ込まれている。


 しかし、それでも解決しないのは、常に敗者が生まれ続けているからだ。

 仕事で失敗した、田舎から出てきたが仕事がなかった、賭博で借金を作ってしまった、様々な理由で貧民街に住み着いてしまう。


「聖女の母親もそんな感じだったか」

「はい。父親の暴力から逃れるため、娘を抱えてスラムに転がり込んだとか」

「だからこそスラムを憎み、なんとかしようと考えているのだろうな」


 おそらく生活上の苦労はそうとうのものであったろう。

 メイファスを養うため、母親は身を売るくらいのこともしていたかもしれない。

 スラムの住人を相手に。


 こんな場所、なくなれば良いのにと十四歳の少女なら、そう考えるのはべつにおかしくない。

 しかし同時に、逃げ込む場所としてのスラムがなかったら、母親もメイファスも父親に殺されていたかもしれないという事実に、彼女は気づいていないだろう。


「Aというスラムを潰せば、Bという場所に新たなスラムが生まれるだけなのだがな」

「そして闇は、より深さと暗さを増すんですよね」

「業が深いな。人間は」

「ともあれ、聖女様の願いに陛下は頷かれ、ハルセム伯爵をはじめとした何人かの貴族が聖女様の手足として働くようです」


 さっそく聖女に取り入って地盤を固めようとする貴族が現れた。

 まさに機を見るに敏。

 ニセモノの聖女を擁立してきた旧勢力の発言力が低下した今こそが最大の好機だということである。


「どうなさいますか? 閣下」

「どうもこうも、儂らにはなにもできんよ。情勢を見守るのみだな」


 聖女のお気持ちに逆らうようなことを言うわけにはいかない。

 言えば、マーチスの立場だって悪くなる。

 それが聖女という存在なのだ。


「ユイナールが懐かしいよ。まったく」

「愛すべき俗物でしたからね」


 笑みを交わし合う大臣と補佐官。

 わけのわからない政治的な要求などせず、高給と優遇に満足して、いわばアイドルのような立場に甘んじてくれていた。


 世のため人のためなどべつに考えない。

 俗物というなら、たしかに俗物だ。


 しかし、それが大変に好もしく思えてしまうのだ。


 

 翌日、聖女メイファスの名を冠した職業訓練学校が貧民街に建造されることが発表された。

 

 

 

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