第6話 ああ……


 屋上に着いたら絶対に謝ろう。昨日のこと。昨日は失礼なこと言ってごめんなさい。心の中で反芻しながら、学校に行った。

 意を決して屋上の扉を開けると、先輩がいない。

 いつも早い時間にいるから、なんでだろうと、首を傾げた。

 昨日の発言で怒らせてしまったからだろうか。また、反省タイムに入りそうになった。

 でも、先輩がこれからくるかもしれない。

 そう思いながらその時を待っていたが、結局先輩は来なかった。

 あんなこと、言わなければ……。

 先輩は私があんなことを言ったせいで、怒ってこなかったんだ。

 そう思いながら、空っぽのリュックを背負い込み、帰ることにした。少し早い時間だけど、さっさと帰れば誰にも会わないだろう。

 ドアノブをおしあけ、階段を下がる。

 下の階から喋り声が聞こえてきたが、気にすることもない。

 私のことを気にする人なんていないだろう。

 廊下を早足で歩く。

 靴箱を通って、校門に行く。

「あっ」

 校門の前に、いた。

 最悪だ。  

 いじめっ子たちがいた。いじめっ子の主犯格の滝沢さんのグループだ。

 下卑た笑い声が聞こえた。みんなに聞こえるように私の悪口を言って爆笑していたのを思い出した。

 私に気づいていない。よかった、思った。

 校門でなんで止まっているんだろう。

 とりあえず正門から抜けよう。いじめを思い出してショートしそうな頭で考える。

 すると、

「あっ!春坂さんじゃーん。みてみて、春坂さんいる」

 滝沢さんは私を指さした。

 頭が真っ白になった。

 手先が冷たくなる。吐き気も込み上がってきた。

「うわーいるじゃん。なんで生きてんだよ」

 滝沢さんを含めた五人が、口口に私のことを馬鹿にする。

 滝沢さんたちがじりじりと近づいてきた。

 体全身が火を吹くように熱くなった。

 ああ………。

「ねえ、なんで教室来ないの?」

「いやーー寂しいんだよ。春坂さんが来なくてさ」

 笑いを含んだ声で聞いてくる。

「あたしたちのおもちゃがなくなってさー」

「ユイナ、やばいそれー」

 ぎゃはははは、と耳が痺れるようなキンキン声で笑う。

「教室に来てくれたらさーみんなで歓迎するよ?キモ坂が戻ってきたーって」

 またぎゃははと笑う。

 顔が熱くなる。

 心臓が張り裂けそうで全身は散り散りになっていくような感覚。

「ねえ、お金ちょうだいよ。春坂さーん」

「あ、そうじゃん。もらってこー」

「ほらほら、はやく。いいよ、今日のところは五千円で許してあげる」

「いや、です」

 かろうじて声を絞り上げる。

「え?嫌?あんたに決定権があると思ってんのー?」

 ぱしん、と頬に痛みをくらった。声を出す間もないまま、脅しが続く。

「おら、財布出せよ!」

「もう一発やってやろうか?」

 財布を震える手で出す。

 結局私は、いじめられる運命にあるのだろうか。どこに行っても。いじめられるという運命は先天的なもので、生まれた瞬間から決まっていたのではないだろうか。

 財布を差し出した瞬間。

「おい!」

 男の太い声が聞こえた。

 振り返ると、数学の瀬ノ原がいた。私のクラスの担任ではないが、数学を担当している厳しいで有名な先生だ。

「げっ、瀬ノ原だ」

 いじめっ子たちの顔がこわばる。

「おい、今何やってた!」

「わっ私たち、こいつにいじめられてるんですーー!」

 滝沢さんが高い声で叫んだ。

 それを聞いた他のいじめっ子たちもキンキン声で口口に言い出した。

「カツアゲされてるんですうーー!」

「春坂さんがあ、いじめてきてえ」

「嘘言うな!俺は見てたぞ!春坂から金を盗ろうとしてたろ!」

 私の頭はだんだん落ち着いてきた。

 瀬ノ原は私の味方をしてくれている。

 瀬ノ原がだんだん私たちに近づいてきた。

「滝沢、原田、木村、濱野、柏木だな!お前ら生徒指導室に来い‼︎」

「ちっ」

 滝沢が舌打ちをした。

「覚えてろよ」

「春坂はもう行け」

「は、はい」

 私は一目散に逃げ出した。

 何度かつまづきそうになった。あいつらが追いかけてくるんじゃないかと思ったが、大丈夫だった。

 顔がとても熱い。あいつらの顔を思い出すだけで惨めで吐き気を催すような気持ちになる。

 あのいじめっ子たちに先輩がこのまま来なかったら、いじめられる生活がまた戻ってくるのだと思うと、目頭が熱くなってきた。

 いままでいじめられなかったのはヤンキーっぽい見た目をしている先輩がいたからだった。だから、いじめっ子たちは先輩が隣についていなかった今日を狙ったのだろう。

 私がいらないことを先輩に言ったせいで、苦しい日々がこれからまた再スタートしてしまうんだ。死にたくなった。比喩でもなんでもない。走っていた足を止め、膝に手をついた。

 絶望が目の前に広がっていた。涙を枯らしてしまったのか涙が一滴も出ない。

 ふと前を見ると、見覚えある人物がこちらに向かってきていた。

「春坂ーーー!」

「先輩……?」

 先輩がこちらに向かってきた。間違いなく、あのヤンキーの風貌の先輩だった。

 その瞬間、堰を切ったように涙が止まらなくなった。

 ぼたぼたと大粒の涙が目から溢れる。

 先輩が私の前で立ち止まる。息を切らしていた。

 頬を濡らした私を見て先輩は一瞬ぎょっとしたが、すぐに言葉を放った。

「今日来れなくてごめん。風邪で」

「ああ……そうなの」

「なんで泣いてるんだ?」

「いや……」

 私は頬をぬぐう。

「大丈夫か。体調が、悪いのか」

 首を振る。どちらかといえば風邪と言った先輩の方が体調は悪いでしょ、と、頭が自然と働いたが言えるほどの気持ちではなかった。

 私は安心していた。心の底から。

 先輩が来てくれたことに。遅いよ、と言おうとした。でも言葉が出ない。

 涙だけが私の心を表すように流れ続けていた。

に急に風邪なんてひいてごめん。あと、昨日のことも……」

 先輩は少し気まずそうな顔をした。

「ごめんなさい、無神経…でした」

 私は朝反芻していた言葉を今放った。

 やっとのことで涙が止まる。

 言葉を交わさず、私は微笑んだ。先輩は良かった、と言うふうに安堵した顔をした。

「泣いてるのは、気にしないで。ちょっと、いじめっ子あっちゃって」

 私がそう付け足すと、先輩は何か言いたそうな顔に一瞬なったが、詮索することはなく、「そうか」とだけ言った。

 詮索されなかったことに、ほっとした。

「もう風邪大丈夫ですか」

「ああ。寝たら治った」

 そう先輩は言いながら歩き出した。

 私と先輩は澄んだ空の下一緒に帰った。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鰯雲のつづき 朝日翼 @asahi-tsubasa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画