第1章 地球から落ちてきた男

1-1 エンディ・ユースティア

死よ、誇るなかれ

汝は強大な恐怖の主として恐れられるが、そうではない

死よ、死ねない哀れな死よ、汝は私を殺せない


              ──ジョン・ダン




 またか──山のように積まれた書類を前にエンディ・ユースティアはため息を吐いた。


 彼女は無意識の内に漏れたそれにはっとして周りを見回す。

 誰にも聞かれていないことに胸を撫でおろし、今日も書類整理で終わりかと椅子に腰を下ろした彼女は憂鬱な気分で書類の山を見下ろした。


 騎士団の殺人課──そこに配属されて一ヶ月、エンディの仕事は全て書類仕事デスクワークだった。


 通常であれば騎士学校を卒業し、騎士団に配属された新人は先輩騎士に同行して現場にて仕事をこなす。

 もちろん書類仕事もある。しかし配属から全ての職務が書類仕事のみという事は考えられない事だった。


 殺人課とは殺人事件を現場に出て捜査するものではないのか──そんな疑問を殺人課の課長にていしたのが一週間前。

 その際は「相棒がまだ決まっていないから現場に出すことは出来ない」と言われ、さらには暗に別の課への転属を勧められた。


 そこでエンディはやっと理解した。自分はこの課で一番の権力を持つ課長に腫れ物扱いされ、現場に出ることができないのは作為的なものだと。


 エンディはまたも出そうになるため息を堪えて、書類の山から一枚抜き取り目を走らせる。しかしネガティブになっている思考は文字を読むことを拒否していた。


 書類仕事だろうと立派な騎士の職務だ。地道にこなしていけば、いずれ自分も現場に出ることが出来る──エンディはそう己を律し、気合を入れなおして書類に視線を落とす。

 だがそんな彼女の前にツカツカと歩み寄る人影があった。

 

「エンディ君」


 いささか散漫になっていた思考でエンディは顔を上げ、人影の顔を見上げる。

 自分の名を呼んだ目の前の人物──この殺人課の課長ボスであり、エンディの直属の上司であるベルフェは彼女の机上に積まれている書類を一瞥すると続けた。


「手が止まっているようだが、仕事に不満でも?」


 嫌味を隠そうともせず課長ベルフェはさらに続けた。


「高貴なユースティア家のご息女に任せるような仕事では無いが──」

「いえ、そういう訳では……」


 『ユースティア』という自分の苗字が出てきたことに思わず彼女は上司の言葉をなかばで訂正する。

 そして後悔する。この男は部下から訂正されることが嫌いなのだ。たとえ本当の事をだとしても──エンディがこの一ヶ月の騎士生活で学んだ数少ない事だった。

 彼女の思惑通り、ベルフェは不機嫌さをその顔に浮かべた。


「そうか、それでは手を止めずに仕事をしてくれるかな」


 エンディは項垂うなだれて「はい」と答えようとしたが、ベルフェがそれを止めた。


「そう言いたかったのでが、別の仕事を与えようと思ってね」


 その言葉にエンディの胸は高鳴った。

 ついに自分も殺人事件の捜査に加わることが出来るのだ──そんな期待に胸を膨らませる彼女へと、ベルフェは四つ折りの紙片を差し出した。


「これは?」

警邏けいら課から応援要請があってね、この住所に行って家主たちに話を聞いて来て欲しい」


 エンディは紙片を開き、中に羅列されている複数の住所に目を通すと「話とは?」と未だ仕事の内容を測り知れない疑問を口にする。


「その住所の近隣住民から苦情が入ったのだよ。そこに出入りする者たちが気味の悪い事・・・・・・をしているとね」

「気味の悪いこと……ですか」


 いまいち話の要領がつかめないといったエンディはまたもオウム返しに聞き返す。それに対しエンディは少しの苛立ちを語気に含んで答えた。


「大方、馬鹿な子供ガキ新興宗教カルトの奴らが黒魔法・・・の真似事でもしてるんだろう。放っとけばいいんだが……相談を受けた建前上、騎士団としては話を聞きに行くぐらいしなければならんのでね」


 そこでエンディは上司の言いたいことを理解した。ご近所問題トラブルを見てこいと言っているのだ。


「ですが……こういった事件は警邏課の領分では?」


 エンディの疑問は至極当然だった。

 近所トラブルは警邏課の管轄であり、普通ならば彼らが対処する。おおよそ殺人課が関わるものではない。


「だから言っただろう。応援要請があったのだよ。彼らも別の事件・・・・で手が一杯なのだ」


 別の事件──その言葉にエンディは心当たりがあった。

 ここ最近巷を騒がせている、連続して娼婦が殺されている事件。

 路上で客を取っている娼婦が、夜な夜な首を斬られて殺されているのだ。


 殺人課もこの事件を追っているが全くの手がかり無しで八方ふさがりであり、現状は警邏課に協力を仰ぎ、夜間の警邏パトロールを通常の倍に増やして対処しているとエンディは小耳にはさんだことがあった。


 しかし、とエンディは思う。

 殺人課が警邏課に応援を頼み、さらに警邏課が殺人課に応援要請をし、その結果殺人課の騎士が駆り出されるのは本末転倒ではないか──エンディはそんな正論を口にしようとしたがぐっと飲み込む。


 自分がこの仕事を引き受ければ、警邏課や殺人課の負担が減り、娼婦殺しの犯人逮捕に人材を割ける──言い訳のような言葉で自分を納得させた彼女は「分かりました」と頷く。

 

「頼んだよ」


そう言ってそそくさと立ち去ろうとするベルフェをエンディは呼び止めた。


「私の相棒はどなたでしょうか」


 騎士の捜査は基本的に二人一組ツーマンセルで行動する。騎士規則にも書いてある基本中の基本だ。

 近所トラブルでの聞き込みも立派な騎士の捜査ではないのか──エンディの疑問は最もだった。しかし彼の見解は違った。


「まさか……近所トラブルで話を聞くことが捜査だと思っているのか?」

「ですが──」


 尚も食い下がろうとする彼女を馬鹿にしたように鼻をふんと鳴らしたベルフェは、話は終わりだとばかりに踵を返して課長級に与えられる個室へと戻ってしまった。

 

 「分かりました」と誰もいなくなった空間に小さく答えたエンディは椅子から立ち上がり身支度を整える。

 隣人トラブルの聞き込み──凡おおよそ殺人課の仕事とは思えないが、それでも地域の治安を維持するという騎士の立派な職務だ。


 エンディは騎士団を出ると馬にまたがり、紙に書いてあった一番上の住所に向かった。







 鞍の上で寄られる事十五分、エンディは大通りから外れた一軒家の前で馬を降りる。

 そして紙片と地図を照らし合わせ、メモの前の朽ちかけている家が目的の住所だと確認した。


 高騰し続ける東地区の家賃や、戦後の都市整備の影響で大多数の住民は集合住宅インスラに住んでいる。


 その中で一軒家は珍しい──呑気な感想を抱きつつエンディはベルトのポーチに紙片と地図をしまう。

 彼女は馬の引手リードロープを街路樹に結び、砂利の敷き詰められた玄関までの道へと歩を進めた。

 腐食の目立つ玄関扉の前に到達した彼女は、数年単位で手入れがなされていないであろう錆びた叩き金ドアノッカーを握る。


 手のひらに錆びのざらつきを感じた時、手袋を持ってくればよかったと一瞬後悔したエンディは叩き金を上げる。


 だがその叩き金が下ろされることは無かった。


 「──────キャァッ!」

 

 玄関扉の奥から聞こえてきた絹を裂くような悲鳴。それを聞いたエンディは叩き金から手を離すと、素手で扉を勢いよく叩きながら叫んだ。


「騎士団だ! ここを開けるんだ!」


 女の悲鳴を聞いたエンディの脳内ではベルフェの言っていた「黒魔法」という言葉が反芻していた。

 怪しい儀式に黒魔法、そして女の悲鳴──彼女の脳内には女が生贄にされ、まさに殺されてしまう寸前という最悪の予想が浮かび上がった。


 それは何の根拠もない妄想ではあるのだが、万が一という事もある。エンディは戸を叩きながらこの先へと突入すべきか考える。


 通常であれば応援を呼んでから、その到着を待って突入すべきだろう。しかし悲鳴が上がるという事は一刻を争う事態のはずだ。

 しかし今まで書類仕事のみで、実戦経験はおろか、現場での経験もないのだ──そんな新人ルーキーが一人で突入し、はたして何が出来るのか。

 エンディのその理性的な考えとは裏腹に、彼女の感情がまた別の考えを呼び起す。

 

 それを待っていて、もし手遅れになったら──その考えを浮かべたエンディはこれからの行動を感情で決定した。


 ドアノブを回し、鍵が掛かっていることを確認した彼女は扉から数歩離れる。そしてドアノブに向けて手のひらを掲げ、精神を集中させる。

 掲げた手のひらの前に赤い魔法陣が展開され、彼女は呟く。


 「Ignis燃えろ!」


 その言葉が終わると同時にこぶし大の火球が魔法陣の出現し、勢いよく発射された。

 質量をもったその火球はドアノブを易々と吹き飛ばし、その勢いもあって扉が開く。

 エンディは腰の剣に手を当て、半開きの扉に体当たりをかましつつ、室内へと飛び込んだ。


「東騎士団の者だ! 誰かいないか!?」


 そう叫びつつエンディは構造を把握する。

 縦に長い廊下、左右には扉が一つずつ。どちらもしっかりと閉じられている。


 聞こえてきた悲鳴の位置はもっと先──廊下の一番奥の半開きの扉だと確信したエンディは勢いよく駆ける。

 屋内に突入する際は最低でも二人一組ツーマンセルで互いに死角を補い、手前の部屋から索敵クリアリングする──騎士学校で教えられた突入の基本中の基本は既に彼女の頭から消えている。


 勢いのまま奥の部屋へと飛び込んだエンディの目に映ったのは、床に描かれた魔法陣を前に立っている一組の男女だった。

 彼らの周りには水銀や蜂蜜、赤黒い血液が入った瓶が並べられている。

 それらで描かれた魔法陣は既に完成されていた。

 そしてエンディは魔法陣をみて一瞬で理解した。彼らは黒魔法を行使しようとしているのだ──


「これは──」


 エンディのその呟きが最後まで発せられることは無かった。彼女の背後で入って来た扉が閉まる音がしたからだ。


 しまった──エンディは自分の迂闊さを呪う。

 部屋に突入したら不意打ちを避けるためにも扉の裏を確認するのは当然ではないか──彼女はこの部屋にいるはずのもう一人を確認するために、勢いよく振り返ると腰の剣に手を伸ばす。


 だがその行動は既に遅かった。彼女の視界に映ったのは扉の裏に隠れていたスキンヘッドの男が大ぶりのナイフを腰だめに構えて突進してくる光景だった。


 条件反射的にエンディは「止まれ!」と叫び、柄をしっかりと握ると刀身を抜き出そうとすする。

 しかし男の突進はエンディが剣を抜くより早く彼女の体に達していた。

 

 

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