志水

白鷺(楓賢)

第1話 消えた患者

日本全国で、ある奇妙な噂が囁かれていた。「志水」という名字の人々が次々と消息を絶つ事件。誰もその瞬間を目撃した者はおらず、証拠も残されていない。ただ、志水という名前の人が、ある日忽然と姿を消す。その話は次第に都市伝説として広まっていったが、誰もが「噂に過ぎない」と思っていた。


阿久津理玖は夜勤の警備員として、とある地方病院で働いていた。深夜の病院は静まり返り、患者たちの規則的な呼吸の音がかすかに聞こえてくるだけだ。だが、理玖はその夜、いつもとは違う異様な感覚を抱いていた。何かが起こる、そう直感的に感じていたのだ。


午前2時過ぎ、病院内を見回っていた理玖は、ふと異様な音に気づく。それは、水が泡立つようなかすかな音で、彼の耳に不気味に響いた。音の発生源をたどると、それは「志水」と書かれた患者の病室からだった。


「何だ、この音…?」


警戒しながらドアを開けると、ベッドには志水という名字の男性が横たわっていた。目は閉じ、静かに眠っているように見える。だが、その姿が突如として変わり始めた。理玖は目を見開き、息を呑んだ。


志水の体が、微細な泡となって空中に溶け込んでいく。まるで彼の存在そのものが、消えていくかのように――瞬く間に、彼の体は完全に消失した。痕跡すら残らない。


「う、嘘だろ…?」


理玖は慌てて周囲を見回すが、誰もいない。ただ自分の目の前で、人が泡のように消えたのだ。現実とは思えない光景に、彼の脳は混乱し、すぐさま病棟の宿直室へと駆け込んだ。


宿直の看護師、枝野弥生は冷静沈着な女性だった。彼女は理玖の異様な興奮を見て、何かが起きたことをすぐに察した。


「どうしたの?」と彼女が落ち着いた声で尋ねる。


「病室で、志水さんが…消えたんだ!泡のように!」理玖は震えた声で説明する。


「消えた?まさか…」弥生は少し驚いた表情を浮かべながらも、すぐに病室へと向かった。


志水の病室に戻ると、やはりベッドは空っぽだった。志水が寝ていたはずの場所には何も残っていない。弥生も不安そうに部屋を見渡すが、どこにも志水の姿は見当たらない。


「確かにここにいたんだよ、僕は見たんだ!泡になって消えたんだ!」理玖は必死に訴える。


「まさか…でも、ここにいないということは…」弥生は自分の胸騒ぎを押し殺しながら、冷静に状況を考えようとしていた。


「志水さん…あの噂と関係あるのかもしれない」理玖がつぶやく。


「噂?」弥生が首を傾げる。


「全国で志水という名字の人が消えていくっていう噂。まさか、ここでも同じことが起こるなんて…」理玖の言葉に、弥生も一瞬顔を曇らせた。


「そんな馬鹿な話、信じられないけど…ここに彼がいない以上、何かが起こったのは間違いないわね」


二人はその後、病院内を隈なく探したが、志水の姿はどこにも見当たらなかった。まるで最初から存在しなかったかのように、痕跡すら残っていない。


「これ、どうすれば…」理玖は途方に暮れた顔をした。


「とりあえず、警察に連絡するしかないわ。でも…この話、誰が信じるかしら?」弥生の言葉は現実的だった。人が泡になって消えた、そんな話を信じる者などいないだろう。


「でも、僕たちが見たのは事実だ。何かがおかしい…志水家に何か秘密があるのかもしれない」理玖の声には焦りが感じられた。


二人は、不可解な事件の真相を探る決意をした。その夜から、彼らは志水という名字に潜む謎と恐怖に巻き込まれていくことになるのだった。

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