第4話 どんな形であれ出発は出発

「はあ」

「救世主様」


 再び、深いため息を漏らすのと同時に、コンコンと扉がノックされて、部屋に少女が遠慮がちに入ってきた。

 件の世界の扉を開ける術を使ったとかいう意外にデキる少女だった。世界の扉を開けたって、向こうの言葉で翻訳すれば私を召喚したってことでいいんだよね?


「失礼致します。お食事をお持ちしました」


 見ればその手にトレーを持っている。


「食事?」

「ええ、おなかがすいていらっしゃるのではないかと思って」

「ありがとう」


 実のところ空腹は覚えていなかった。

 というか、そんなの覚えているほど余裕があるわけない。

 でも、お礼は言う。気を遣ってくれるその気持ちは嬉しいから。


「こちらに置きますね」


 そう言って、彼女はサイドボードの上にトレーを乗せた。

 その上にはパンがひとつとスープの入った皿がひとつ。


「質素で申し訳ございません。修行中の神官の普段の食事ですので、このようなものしか……」

「あ!気にしないで!ぜんぜん平気」


 むしろこのぐらいの方が完食できそうで安心できた。

 食べ残すのは申し訳ない。


「冷めないうちにどうぞ」

「いただきます」


 促され、ベッドの上に座ったままスープの皿とスプーンを手に取った。

 野菜のコンソメスープみたいなそれをひと口に運ぶ。

 おいしい! 随分と薄味だったが甘い。

 これがよく聞く野菜の甘さってやつだろう。


「で、あの?」


 二口目を口にして、目の前に立ったままの少女に視線を向ける。

 なんだか見つめられていると食べづらいのですが。


「いかがですか?」

「うん、おいしいです」

「よかった」


 女の子が本当に嬉しそうに笑うから、私もつられて笑ってしまう。


「あの、救世主様、わたし、あの、わたし」

「優絵。私の名前ね、片山優絵。何か『救世主様』なんて呼ばれても自分のことじゃないみたい」

「カタヤマユエ様。なんというか神々しいお名前ですね!」

「無理やりほめる必要はないんだけど……。優絵でいいよ。様づけで呼ばれるのも変な感じだし」


 神々しいってどうやったらそう聞こえるのだろう。


「わかりました。ではユエと呼ばせていただきます」


 優絵のイントネーション、カタカナ読みされているような違和感がある。

 うまく説明できないちょっとした違い。

 でも救世主様呼ばわりされるよりずっといい。


「あ! わたし、私はケッティルと申します。ケティとでも呼んで頂ければと嬉しいです」


 あわてて彼女も自己紹介して、私の前で小さく一礼した。


「それで?」


 目の前に立ち尽くされても居心地が悪い。

 スプーン片手に問いかけると、少女――ケティはうつむいた。


「少しお話ができたら、と思ったんです。救世――じゃなくて、ユエと」

「私と?」

「どうぞ召し上がりながらで、どうか」

「はい」


 彼女の必死そうな懇願に私は頷いて、スープ皿をお盆に戻しパンを手に取った。

 お言葉に甘えてパンをちぎって食べる。

 こっちもおいしい。

 素朴だけれど、それがいい! とパンに舌鼓を打っている私の目の前でケティは突然頭を下げた。


「ごめんなさい! 本当にごめんなさいっ!」


 謝られても、何に対する謝罪なのかわからないからたじろいでしまう。


「え、ちょっと」

「勝手に召喚なんてしてしまってごめんなさい。さっきは興奮していて世界を救ってくださいなんて勝手なことばかり言ってしまって。ユエにはユエの世界があるというのに」


 頭を下げたまま、ケティは続ける。


「本当に勝手なことばかり……押し付けてごめんなさい」


 この子は、いい子なのだろう。

 土下座でもしそうな勢いの彼女を見て、そう思う。

 いい子過ぎて泣きたくなった。


「救世主っても、巡礼だけなんでしょ? 神様に会えたら帰れるんでしょ?」

「でも、ユエには関係のない世界なのには変わりありません。いくら神様のお力が弱っているからといっても自分たちでどうにかしなければいけないのだと思うのです」


 ……ん? 何かひっかかった?

 神様の力が弱っている? そんな説明さっきはなかったよ?


「でも神様のお力がなければこの世界がその形を保つことはできません。わたしたちの使う力はすべて神様のお力のもの。力の源の違う異世界の救世主さまに頼らざるをえませんでした」


 何か、ちょっと話が違う?


「ですが、それはユエにとってはいい迷惑ですよね」

「ケティ、ちょっと、顔上げて」

「いいえっ! そんなのできません!」

「いいから!」


 パンをサイドボードの上に戻し、私は半ば強引にケティの肩をつかんで顔を覗き込む。


「ユエ」

「どういうこと? シェリーさんの話を聞く限りそんなこと一言も言ってなかったような気がするんだけど」


 半泣き状態のケティは、私の視線をさけるよう目を伏せて視線を合わせようとしない。

 


「ごめんなさい」


 そんな私の手を振り解き、再度詫びるとケティは部屋から飛び出していってしまった。

 怒りはないけど、とにかくモヤモヤする。


 どうしようもないので、パンとスープをたいらげて、そのまま横になった。


 『食べてすぐに寝ると牛になるよ』と、子どものころ散々お父さんに言われたことが思い浮かんで、急に家族に会いたくなってしまった。

 じわりとにじんだ涙に気づかぬふりをして足を抱え込むようにベッドの上で丸まった。自衛のためだった。




「ユエ!」


 ばたんと、ドアが壁にぶち当たる音で私は目を覚ました。

 あのまま寝ちゃってたみたい。

 何事かと起き上がり、寝ぼけまぶたをこする。

 あまり朝に弱くないというのはこういう時困らなくて良い。

 部屋に転がりこんできたのはケティだった。


「ユエ! 出発です!」


 切羽詰った物言いをする彼女の様子に、素早く用意を整えた。

 服を着替えず寝てしまったので持ち物を持つのとマントを羽織るだけで準備は完了。

 下ろしていた髪は頭の高い位置で一つに結ぶ。


「シェリーさんは?」

「予定が変わったんです」


 力強く言うわりにはケティの目は泳いでいる。

 母親が俳優業をやっているせいか、割と私は嘘を見破るのが得意なんだけど、そんなテクニック一切使わなくても嘘だとわかった。本当にこの子は実直すぎ。


「と、いうわけでいきましょう!」

「出発には異存はないですが、ケティ、それは窓ですよ」


 さあ、と窓を示す彼女に冷静に突っ込むとケティは大きく首を横に振って見せた。


「旅立ちは窓から出て行くのが慣わしなんですよ」

「嘘つけ」

「じゃあ、伝承でそうなってます」

「じゃあって、適当っぽいなぁ」

「なら! どういえばいいんですか?」


 悲しそうに目を伏せるケティに、小さく息を漏らしてしまった。


「正直に言ってよ」

「神官長さまには反対されていたのですが、やはりわたしが案内をしたいと、思いまして」


 本当のことを口にして、ようやくケティはまっすぐに私の目を見た。


「わたしが無理やりユエを召喚してしまったのです。最後まで見届けたいし、ユエの力になりたい。ユエを守らせていただきたいってそう思いまして」


 言いたいことはよくわかった。

 この子らしい決心だなって思う。


「でも」

「もう決めました」


 私の言葉をさえぎる様に言って、ケティは少し微笑んだ。

 これ以上は何を言っても聞いてもらえなさそうだな


「わたしのしたことは自分で責任を取りたいんです」


 正直なところ、私的にはぜんぜん気にしてなかったりするのだが。

 ただ、この世界のことを正確に教えてくれなかったシェリーさんに対しては不信感がある。

 シェリーさんに比べればこの素直なケティならば信頼できるし、安心して旅立てると思うけど。


「さあ、早く行きましょう。ユエ。シェリーさまが来てしまう前に」


 ケティは言いながらも布団からシーツをはぎとると二枚のシーツを使ってロープみたいなのを作りはじめた。

 まったく。


「手伝う。何すればいい?」

「そちらのシーツをとってください」


 はいはい。


 こうして、私の救世主としての第一歩はシーツのロープで伝って降りて始まったのであった。

 まるで逃亡みたいなスタートだけど、出発は出発だ。

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