第7話 その二文字の言葉
ある日の放課後、いつものように教室で勉強をしていた時、ふと肩を軽く叩かれた。
「田中君、また相談に乗ってもらってもいいかな?」
その声は、最近聞き慣れた水瀬の声だった。
俺は少し驚きながらも、彼女の顔を見ると、微笑んでいた。その笑顔がどこか落ち着いていて、俺は自然に頷いた。
「もちろん。どうした?また恋愛のこと?」
「うん、そうなの。でも、前よりもちょっと複雑で……」
水瀬はそう言って、自分の席に戻らず、俺の近くに座り込んだ。俺は心の準備をしつつ、彼女の話に耳を傾けることにした。
「最近、気になる人がいるんだけど……その人が、全然気づいてくれなくて」
その言葉に、俺は内心少しドキッとした。この前の相談と似ている内容だ。
彼女は前にも、気になる人がいると言っていた。でも、その相手が誰かを、俺はまだ聞いていなかった。
「そっか。前の話と同じ人かな?」
俺が聞くと、水瀬は少し照れたように頷いた。
「うん、同じ人なんだ。でも、どうやって近づけばいいのか分からなくて……」
彼女の悩みは、恋愛相談ではよくあることだ。
相手にどう接すればいいか、どうやって気づいてもらうか。俺はこれまで何度もこうした相談を受けてきたし、その度にアドバイスをしてきた。
だけど、今回は少し違う。水瀬が誰に恋をしているのか知らないし、それが気になって仕方がなかった。
「話しかけたり、何か共通の話題を作ったりしてる?」
「うん、頑張って話しかけてるつもりなんだけど、その人が鈍感なのか、全然私の気持ちに気づいてくれないの」
水瀬は苦笑いを浮かべた。
その姿に、俺は思わず真剣になった。
もしかしたら、その相手はクラスの誰かだろうか。それとも、彼女は誰か特別な存在に恋をしているのか?いろいろと頭の中で考えながら、次の言葉を選んだ。
「相手が鈍感だと、なかなか気づいてもらえないこともあるよな。でも、水瀬みたいにしっかりしてる子なら、自然に振る舞うだけで気づいてくれるんじゃないかな?」
そうアドバイスしながら、俺は心の中でその「鈍感な相手」に少し嫉妬すら覚えた。
水瀬がこんなに真剣に悩んでいるなんて、その相手はどれだけ幸せなんだろう。
俺もそんな風に思われたら……なんて、考えてしまう自分がいた。
バカバカ。田中光、しっかり自分をもて。
あくまでも俺は『恋愛相談キャラ』だ。そのようなことを相談相手に望むのは俺の美学に反する。
「自然にかぁ……そうだね。でも、やっぱり勇気がいるよね」
水瀬はそう言って、少し遠くを見つめた。
その表情には、迷いが浮かんでいた。彼女はきっと、自分の気持ちをどう伝えればいいのか、悩んでいるんだろう。
俺はもう少し何か言おうと口を開きかけたが、水瀬が先に話し出した。
「──田中君は、誰かを好きになったことってある?」
「え……?」
その質問に、俺は一瞬言葉を失った。
これまで何人もの相談にのる中で、自分が恋愛に向き合ったことなんて、ほとんどなかったからだ。
友達の恋愛相談には乗ってきたけど、自分自身が誰かを好きになった経験は、ほぼ皆無に近い。
「うーん……あんまりないかも。俺、いつも友達の相談に乗る側だから、自分のことは後回しにしちゃってる感じかな」
俺の心の中を正直にそのまま答えると、水瀬は少し笑った。
「やっぱり、田中君ってそういう人なんだね。他人のことはすごく考えてるのに、自分のことになると全然気づかないようなとこあるんじゃない?」
「え、そうかな?」
俺は照れながら返事をしたが、彼女の言うことは確かに当たっている気がした。
俺はこれまでずっと『恋愛相談キャラ』に徹してきて、自分の気持ちに向き合うことを避けてきたのかもしれない。
「うん。でも、田中君のそういうところ、私好きだよ」
「え……」
水瀬はそう言って、優しい笑顔を浮かべた。
──び、びっくりした……!
いきなりこの女好きだ、とか言うからドキッとしてしまったでは無いか。
その言葉が、妙に心に残った。
でも、きっとこれは、いや確実に友達としての意味の『好き』だろう。
俺はあくまで「相談役」で、水瀬はただそんな俺に頼ってくれているだけ。そう思い込もうとした。
しかしそのたった2文字のその言葉の重みが俺の中からなかなか消えなかった。
「ありがとう。でも、俺はまだまだだよ」
そう言いながらも、心の中に少しずつ生まれている水瀬への気持ちに気づき始めている自分がいた。
******
次の日、水瀬はまた俺に話しかけてきた。
いつも通りの明るい笑顔だったが、その目には少しだけ違う感情が混じっているように見えた。彼女が何かを言いたそうにしているのは感じたが、俺にはその「何か」が何なのか分からなかった。
「田中君、最近どう?」
彼女は軽い調子で尋ねてきたが、その裏には何かを探っているような気がした。俺は自然な感じで答える。
「うん、まあ普通かな。水瀬は?」
「私も普通だよ。でも、田中君とこうして話してると、なんかホッとするんだ」
まただ。
水瀬はこうやって俺のことを褒める。
普通の会話の中にふっと差し込まれるその言葉が、どうしても気になってしまう。毎度毎度彼女自身そんな特別な意味を込めて言ってる訳では無いと分かっているのにドキッとしてしまうのだ。
「そう?俺なんか大したことないけど……」
「そんなことないよ。田中君はすごく優しいし、ちゃんと相手のことを考えてくれる。私、そういうところ本当に好きだよ」
結花はそう言いながら、少し照れたように笑った。
まただ。水瀬は好きへのハードルが低い。だから他の男たちもかんちがいしてしまうのだろうな、そんなことをふと思った。
そう思いながらも、二文字のその言葉に、俺はまた胸がざわついた。
水瀬が俺にどう思っているのか、それが何となく分かるようで全くわかっていない。
でも、確実に俺と彼女の距離は少しずつ縮まっている。彼女の恋愛相談に乗りながら、俺自身も彼女に対する気持ちが変わっていくのをほんの少しでけ感じていた。
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